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【第三章 水面(みなも)、緋に染まる】蜜月は終わった(1)
まるで呪いのように瞼の裏に灼きついた「緋(あか)」が消えない。
「はぁ……」
さして広くもない自室の、それも隅のほうの壁にぴたりと背をつけ座り込むのはレオンハルトである。
首筋に遊ぶ黒髪が、ふとした拍子にくすぐってくるのを手で跳ねのけ、この日何度目かの溜め息をついた。
弟の敵であるルーカス王への復讐は果たした……と思う。
実は王の兄であったという父の願いは、今となっては分からない。
けれども、もういいかげん目の前から血の色が消えてくれたっていいのではないか。
胸に手を当て、大きく息を吸う。
そして吐く。
そうすると指先に堅いものが当たった。
首から提げている金色の指輪だ。
暇……といえば身も蓋もないが、手持ち無沙汰であることは確かなレオンハルトは家族の形見の指輪を握りしめては、指先でつまんでしげしげと眺めだした。
ぱっと見で価値は分からないが、純度の高い金で造られた指輪で、台座に心臓の意匠が形作られている。
「…きもちわるい」
よく見れば、血管が浮き出た心臓の形は生々しくもある。
「なぁエドガー、これで良かったのか?」
いいわけないだろ、兄貴──という声が聞こえてきそうだ。
弟は死んだ。
王を王座から引きずり降ろそうが、たとえその命を奪ったとしてもエドガーは帰ってこない。
何度目かの溜め息が室内に重く沈む。
慣れた自室とはいえ、カーテンも閉め切って過ごしていると時の流れにも疎くなっていた。
腹が減らないものだから、水以外何も口にしていない。
ばあやがスープをたくさん作ってくれていたが、初夏を過ぎたこの季節。
鍋の蓋をあける勇気はない。
でも何かを口にしなくてはと、レオンハルトは立ち上がった。
じいやとばあやを呼び戻そうか、なんて考える。
王への復讐を一応は果たして、そのうえで自分はこうやって生きているのだから。
家族のような存在の二人とともに心穏やかに余生を過ごしたっていいじゃないか。
とりあえず台所へ行こう。
いや、その前に窓を開けるか。
「暑い……」
室内にいても体に熱がこもる季節になっていた。
窓辺に近付いたレオンハルトは、カーテンを握りしめ、しかしそのままの体勢でうなだれる。
冷たいあの手が恋しくてならないのだ。
「駄目だ」
ずるずると、カーテンから手が放れた。
目の前に浮かぶのは「緋色」。
血のような色をしたヴィルターの髪と眼差し。
その色はレオンハルトにとっては今も優しく感じられた。
「ヴィル……」
やはり窓を開けるわけにはいかない。
街のはずれにあるクラインの館は、今や玄関も窓もぴたりと閉ざされていた。
カーテンも閉められ、外から見る限り人の気配は感じられないはずだ。
事実、何度かヴィルターが訪ねてきている。
それからルーカスの使いも。
玄関の扉を何度も叩かれ、声をかけられた。
家の周りを一周して、開いている窓がないか確認していた節もある。
館の中から反応がなく、室内を覗くこともできないから、彼らは諦めて帰っていったのだ。
──窓を開けるわけにはいかない。
ヴィルターにはもう会わないと決めたのだから。
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