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蜜月は終わった(2)

 レオンハルトを手に入れたいというルーカスの歪んだ想いに気付き、婚約者のシンシアを差し出すよう仕向けたのはヴィルターであったという。  さらにエドガーがシンシアを連れ出したと密告したのも彼だったのだ。  くわえて、この屋敷の屋根裏からエドガーを逃がしたのは自分だと、これはヴィルター本人が告白したことだ。  ヴィルターの行動の断片が集まるにつれ、疑念は深まる。  彼がまるでレオンハルトの周りから、信頼できる人を奪おうとしているようではないかと。 「ヴィル……」  何度目だろうか。  また溜め息。  レオンハルトは力なく首を振った。  ヴィルターへの疑惑は、自分が口を噤んでいればよいだけのことだ。  何も知らなかった風を装って、そっとこの街を出よう。  あいつにはもう会わない。  抱きしめあい体温を交換し充たされた。  恋人と言われて髪を撫でられ、本当に嬉しかったのだ。  だが、蜜月はもう終わった。 「この家を売るかな……売れるかな? 無理か。何せ立地が最悪だから」  あえて現実的なことに意識を向けたのは、幼なじみの緋の色を脳裏から追いやるためだ。  いっそ、家はじいやとばあやに貰ってもらおうか。  いや、いらないと言いそうだな。 「なにせ森の際に建っている。とにかく立地が最悪だ」  なんて口にしたときのことだ。 「レオ、いるんだろう」  懐かしい声が聞こえた。  深く響くこの声を。レオンハルトは知っている。 「ヴィル……?」  声は近い。  玄関ではなく、この部屋の窓の外から叫んでいるのだろう。  やはりカーテンを開けていなくてよかった。  窓越しに彼の顔を見たら、こんな状況にもかかわらず愛おしさが込みあげていただろうから。  レオンハルトが居留守を使い続けていたせいで、シュルツの別荘で別れて以来、数週間顔を合わせていない。  出会ってからこっち、こんなに長い期間離れているのは初めてではないだろうか。 「いるのは分かってるんだ、レオ。別荘には帰ってこない。街のどこにもいない。この家にいるはずだ。聞こえてるんだろ、レオ!」 「………………」  レオンハルトは身を強張らせ、息をひそめる。  ──なんで諦めないんだよ。俺のことなんか放っておいてくれたらいいんだ。  しかし、窓の外の気配が去ることはない。 「レオ、そこにいるんだろ。少し離れていて。窓を割るから」 「えっ?」  言うが早いか、耳をつんざく破壊音が響く。  短刀の柄が窓硝子に打ち付けられたのだ。  あっけなく砕けた硝子が宙をキラキラと舞って敷物の上に散らばった。  割れた窓の隙間から手が入ってくる。  どこに何があるか知り尽くしたという動きで、その手は鍵をひねった。  がらりと窓を開けて室内に姿を現したのは、緋色の髪をした背の高い男だ。 「レオ、会いたかったよ……」  ヴィルターである。  強盗まがいの侵入方法に、しかし悪びれる様子もなくレオンハルトのほうへと歩を進めた。 「だ、だめだ。来るな、ヴィル……」  後ずさるレオンハルト。  ヴィルターは名門シュルツ家の跡取りである。  真っ当な未来が約束された人物だ。  王が告げたこと──父の秘密が事実であったとしても……いや、余計にこんな厄介な身の上の自分なんかに関わってはいけないのだ。

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