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蜜月は終わった(7)

 固く握られたレオンハルトの拳が、ヴィルターの胸を打つ。  思わず呻いた男を押しのけて、レオンハルトは寝台から転がり出た。  はだけられた胸元を掻き合わせる。 「ヴィル、何でだよ。何でそんな酷いことをした? 俺が何かしたっていうのか?」 「逆だよ。君は何もしてくれなかった。だからだよ」 「逆……?」  腹の奥が、今さらのようにじくじくと痛んだ。  緋色の眼差しがレオンハルトの身体を絡めとる。 「レオのなかを、おれでいっぱいにしたかった。おれ以外に大事なものなんてないようにね」 「お前……おかしいよ」  後ずさるレオンハルトに手を伸ばす。瑠璃色の眸に恐怖の色が滲んだことに気付いたのだろう。  その手は宙で止まった。  かわりに漏れる呻き声。  ヴィルターが両手で己の頭を抱えている。 「ヴィル、どうした?」 「……聞こえるんだ」 「え?」  あまりに顔色が悪い。  レオンハルトは親友に近付いた。  そっと触れた彼の手は震えているではないか。 「湖で悲鳴が聞こえるんだ……」 「湖? 悲鳴? お前の別荘で話されてる怪談のことか?」  突然何を言い出すんだと訝しむレオンハルトの前で、ヴィルターは激しく首を振る。 「悲鳴みたいな声が……聞こえるんだ」 「何を言ってるんだ」  親友の顔を覗きこもうと屈みこんだ途端、腰を抱き寄せられた。  恐怖に身体が一瞬、強張る。  だが、レオンハルトの胸に顔を埋めるヴィルターに先ほどまでの情念は感じられない。 「レオがそばにいてくれたら、声は止む。でも、レオに拒まれると頭の中にまたあの声が……」 「ヴィル、大丈夫だから……」  レオンハルトの手がおずおずと緋色の髪を撫でた。  安心したのか、ヴィルターが息をつく。 「おれなんて放っといたらいいのに。レオ、君は甘いよ。だから、おれみたいなのに付けこまれるんだ」 「何を言ってる、ヴィル。付けこむとか……そういう間柄じゃないだろ、俺たちは」  憐憫か哀切か、レオンハルトは親友を抱きしめた。 「レオ……」  ゆっくりと背に回された手は、こんなときですら心地好い冷たさだ。  ふたりは寝台で抱き合って眠る。  しかし目が覚めたとき、ヴィルターはいなかった。

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