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裏切り(5)
馬鹿のひとつ覚えの「ごめん」を聞いて、シンシアは苦い笑みを返す。
包帯の端を洗濯竿にくくりつけてから屋内へと戻っていった。
「もしも《王の影》が兄を追ってきても、わたしがいればひとまずは手出しできないでしょうから。正しい判断だと思いますわよ、レオンハルト様」
外に比べて室内はあまりに薄暗い。
目が慣れるまで瞬きを繰り返しながら、レオンハルトはシンシアの後を付いて歩いた。
「陛下が突然退位すると言い出して大変みたいね。父が大慌てで駆け回っているみたい。こんなときに兄はあれだし……」
別荘に隠れ住みながらも都の情報は得ているようだ。
どこか気楽な調子でシンシアは呟く。立ち止まったレオンハルトを不思議そうに振り返った。
「……俺に謝る資格なんてないけど、きみには本当に申し訳ないことをしたと思ってるんだ」
「………………」
「きみを失って、エドガーを亡くした。ヴィルも、多分オレのせいであんな怪我を。なんでこんなことになったんだろう。俺が何をしたっていうのか……」
薄暗い廊下でシンシアが俯く気配。
「……何もしなかったからよ。レオンハルト様はその時々でただ楽なほうへと流されて、誰とも戦おうとしなかった。その結果がこれなのよ」
静かな口調にこもるのは怒りか、哀しみか。
「そうだな、シンシア。きみの言うとおりだよ……」
ごめんなさいと彼女は小さく呟いた。
「ひどいことを言ったわ。あなたにだって、どうしようもないことなのに」
「そんなふうに言うな。悪いのは全部俺で……」
沈む空気を払いのけるように、シンシアはひときわ明るい声をあげる。
「よくは分からないけれど、スープとやらを作ってみましょうか。レオンハルト様もお手伝いしてくださいな」
踊るような足取りを装って台所へ。
その後ろ姿を見やって、レオンハルトは目を細めた。
「シンシア、少し変わったな。何ていうか、こわ……かっぱつ……あかる……そう、明るくなった気がする」
「今、怖いと仰って?」
「ち、ちが……」
焦るレオンハルトに微笑みかける。
「わたしね、もう時分を繕うことはやめたんです。好きなものは好き。嫌なものは嫌ってちゃんと言おうと思って。大切な人生だもの。そうやって生きていきたいわ」
「シンシア……」
遠くを見つめる彼女の視線の先にエドガーがいるようで、レオンハルトは己の胸を押さえる。
「なぁ、シンシア。これを……」
そっと差し出されたレオンハルトの手。
その手のひらには心臓を形作った金色の指輪が乗せられていた。
小首をかしげ、シンシアは不思議そうな表情だ。
「弟の形見だ。きみが持っていてくれたほうがエドガーも喜ぶと思う」
この指輪はレオンハルトにとって復讐の象徴であった。
でも、もう必要のないものである。
「すべてを失っても愛が残るなんてエドガーは言ってたな。あのときは、こいつは何を馬鹿なことを言ってるんだと思ったけど。今は心から思う。弟の愛が全部きみのもとへ届けばいいと」
「レオン……さま……」
両手で口元をおさえ、シンシアは首を振った。
「いただけ……ませんわ。だってわたしはエドガーから思い出や愛情や……大切なものをいっぱいもらったもの」
「シンシア……」
ああ、弟が戻ってきてくれたら……。
そうしたら、目の前の思慮深い女性に安心して託せるのに。心の底から二人を祝福してやれるのに。
レオンハルトは強引にシンシアの手をとった。
「エドガーを愛してくれてありがとう、シンシア」
この指輪を彼女に渡せば、すべての重荷から解放される──そんな気がした。
弟の無念を忘れられるはずはない。
それでも、少しだけ前を向けるように思ったのだ。
それはレオンハルトにとって救済に違いない。
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