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裏切り(6)

 しかし、彼に救いは訪れなかった。 「……何をやってるんだ、レオ」  押し殺した低い声が二人の間を引き裂いたのだ。  廊下の向こうに緋色の影。  腹に包帯を巻いたヴィルターが、壁を支えに立ち尽くしている。  ヴィル、気が付いたのか。具合はどうだ──そう言って駆け寄らなかったのは、そこに漂う禍々しい空気に怯んだからだ。  緋色の眼差しが刺すのは、レオンハルトとシンシアを繋ぐ心臓の指輪。 「……そうだな、レオは元々その女と婚約していたんだな」 「ヴィル? 何を言って……」  指輪を握ったままレオンハルトの手は硬直する。  表情を伺おうにも親友はこちらに見切りをつけるかのように背を向けてしまった。  追いかけたのは反射的な動きだ。 「ヴィル、誤解してないか」  つかむ手首。一旦振り払われたものの、もう一度握り直す。  彼の足が寝室ではなく玄関へ向かっていることが気になった。 「ヴィル、ダグに見つかったらどうする。しばらく外へは出るな」  それにお前は怪我をしてるんだからと強引に引っ張っていった寝室で、ヴィルターは俯いてしまった。  シンシアに渡しそびれた指輪を再び首にかけながら、レオンハルトがおろおろとどこか落ち着かない様子なのは、ヴィルターがあまりに静かだからだ。 「ほら、お前は怪我をしてるんだから……」  同じ言葉を繰り返しながら親友の肩をおして寝台に座らせる。  広い屋敷ではないが、住人は今やレオンハルト一人だ。  部屋はいくつか余っている。  なのにやはり自分の寝室につれてきたのは、ヴィルターとここで過ごした濃密な時間が恋しいからにほかならない。 「ふ、ふふっ……」  ヴィルターの唇から漏れるのは笑い声か。久々に見た親友の笑った顔に、しかしレオンハルトが顔を引きつらせたのは、その声があまりに低く重く響いたからだ。 「……長い時間かけてゆっくり追い詰めたっていうのに。おれしか味方がいない状況にしたはずだったのに」 「ヴィル?」 「すべてを失って傷ついて、レオに残ってるのはおれだけだと思ってたのに」  なかなか上手くはいかないな──と、これは嘆息の言葉である。 「ヴィル、もう何も言うな。お前の口からそんなこと聞きたくない」  力なく寝台に腰かけるヴィルターの前に、レオンハルトは座り込んだ。  親友の膝に顔を埋める。  無意識の動きだろう。  ヴィルターの手が、レオンハルトの黒髪を撫でる。  体温を感じさせない指先。  目の前が緋色の闇に堕ちていく。 「おれがおかしくなったのは、多分レオのせいなんだ。昔からおれはレオがどこを……誰を見ているかが気になってしょうがなかった」 「もう言うな」 「離れているとレオのことばかり考えて。君の一言でおれは簡単に傷ついたり喜んだり……」  愛というにはあまりに重い。  レオのことが好きすぎてもう辛いよ──そう呟くヴィルターの唇を、レオンハルトは自らのそれで覆った。  角度を変えて何度も何度もくちづける。

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