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守りたいものは(4)

   ※  ※  ※  木の葉の隙間から漏れるのは、やわらかな午後の陽射しだ。  座り込んだ足元からは爽やかな下草の香りが立ち上っていた。  揺れる草に、湖の水面から飛沫が散る。  光の粒は宝石のように美しかった。  その小さな白い輝きを映すのは、キラキラ光る瑠璃の眸。  小さくて透明な爪が、水面をちゃぷちゃぷと揺らしている。  そよぐ黒髪。  肌理(きめ)のこまかな白い肌。  大きな瑠璃色の眸は、今は不安に震えている。 「ごめんなさい、父上。どうしよう……」  湖の上を突風が抜けるたび、びくりと小さな身を強張らせる。  今にも泣きだしそうに俯いているのは幼いレオンハルトであった。そう、これは十年前──レオンハルト九歳のときの物語である。 「くすん、すん……」  鼻をすするのは、もはやどうしようもなくなったからだ。  預けられていた別荘を抜け出て湖に来たのは、一人になりたかったからだ。  母を亡くした可哀想な子どもを、この屋敷の使用人たちが入れ替わり立ち替わり構いにくるから。  それが居たたまれず屋敷から抜け出して湖までやってきた。  光射す湖面に浮かんでいる小舟を見つけ、乗りこんだのは身を隠すためだ。  小さな手にオールを握りしめて懸命に動かす。  湖に浮かぶ小さな浮島に降り立ったときは、ようやく息がつけるとほっとしたものだ。  知らぬ間に小船が流されたことに気付いたのは、緑豊かな浮島の草の絨毯に寝転んでうとうと微睡んだ後のことだった。  九歳のお坊ちゃんのこと。  ロープを繋いでおかないと、船は風で流されてしまうということを知らなかったのだ。  ──ひぃぃ……。  湖から沸き立つのは細い悲鳴だ。  レオンハルトの両手が胸の前で握りしめられた。  ──夕方になったら、湖が血の色に染まってしまうんだって。  ──その証拠に、陽が傾くと女の悲鳴が聞こえてくるでしょ。  別荘の使用人たちが噂していたっけ。  客人の少年の耳に入っていることになど気付かず、怪談話に花を咲かせてはキャッキャと喜んでいたのは若いメイドたちだ。  ──ひぃぃ……。  「声」が聞こえずにすむよう、レオンハルトは両手で耳を塞いだ。  こわい。どうしよう。どうやって湖のむこうにもどればいい?  夕食の時間になったら、客人の小僧がいないことに気付いてくれようが、まさか湖の浮島でぽつねんと座っているなんて誰が想像するだろう。  どちらにしろ、夕食が始まるのは空が暗くなってからだ。  その前に、幽霊が出ると噂される夕方になる。  青く澄んでいた水面も、心なしか徐々に薄いオレンジ色に色づいていってるような気がしてレオンハルトは眸を瞑った。  何も見ない。  何も聞かない。  外界と遮断されると、思考はどうしても内側へ向く。  何故、自分が今こんなにも怖い目に合っているのかというと、やはり罰なのだろうという思い。 「だって、俺はドロボウだから……」  耳を塞いでいるせいだろう。  罪の告白が頭のなかにグワンと響く。  喉の奥に熱い塊がせり上がってきた。  ぽろぽろと零れる涙。  微かな振動に気付いたのはその時だ。  草の匂いが一際濃くなる。  ──誰かいる?

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