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守りたいものは(8)

   ※  ※  ※  水面は緋色に染められていた。  レオンハルトが足を止めたのは、幼いあの日、ヴィルターと出会った湖の際だ。  湖の中ほどにある浮島に今、倒れているのが見えたのは血の色をした髪の毛であった。 「ヴィ……?」  一瞬、ドキリとしたのは草地に伏したその男が息絶えているのかと思ったからだ。  湖畔にはいつも小舟が停められてある。  漕ぐのが苦手だなどと言っていられず、手近な一艘を操って思い出の小島までやってきた。  船を停めるのももどかしく足元を水に濡らしながら駆けだす。  ここからヴィルターの姿は遠く、レオンハルトの瑠璃色の眸は不安気に細められた。  ほっと小さく息をついたのは、彼の胸が上下に動いていると分かったから。  眠っているのか。  それとも優しい夢想の中に溺れているのだろうか。  近付こうとした足が止まったのは、緋色を遮るように黒い影が過ぎったからだ。  ──あれは、ダグか?  今もルーカスに忠義を尽くし、不穏分子と認定したヴィルターを追っているという。  シュルツの別荘なら分からなくもないが、湖にぽつんと浮かぶこの小さな孤島まで探しあてたのはただならぬ執念といえよう。  いや、待て──レオンハルトは息を呑む。 「まさか、俺が後を付けられたのか?」  家族の墓の前でルーカスと話をした。  そのとき、すぐそばにダグが控えていたとしたら? レオンハルトに気付かれぬよう後を追って、ここまで来るのは造作ないことだろう。  己の不用心さに歯ぎしりをする思いだ。  だが、悔やんでいる暇はない。  黒鎧から覗く腕には大振りの剣が握られていた。  黒い鞘が、いつ抜き払われるか分からない。  なのに、ヴィルターは動かない。  深い下草が、ダグの足音を消しているのだ。  レオンハルトは凍り付いた。  このままでは目の前でヴィルターが殺される。  助けなくては。  ──いや、待て。  レオンハルトからすべてを奪って絶望に突き落としたこの男。  生きていれば、この男は永遠に自分を縛るだろう。  もしもこのまま自分が動かずにいれば、ダグはヴィルターの命を奪うはずだ。  ただ黙って見ていれば、緋色の呪縛から解き放たれるのだ。 「………………」  ダグの手の中で剣の鞘が抜かれる。  眠るヴィルターの頭上に大剣が振り上げられた。  躊躇など一切感じさせない。  刃は緋色の頭に振り下ろされる──。 「ヴィル!」  叫び声。  僅かに動揺したダグの背を、飛んできた小石が打つ。  レオンハルトである。  石を投げると次の瞬間、足元の土を蹴って飛び出した。 「何やってるんだ、ヴィル。早く起きろ!」  閃光を思わせる勢いで黒い背中に激突する。  正面からぶつかって《王の影》の長に敵うはずがない。  だが、こうして不意をつけば少なくとも第一撃は決まるはず。  あとは油断をついてヴィルターを連れて逃げることができれば。  しかし貴族の坊ちゃんの思惑など、歴戦の猛者であるダグに通用する由もない。 「うっ……」  ぶつかったものの黒鎧に弾かれ、レオンハルトの身体はその場で力なくよろめいたのだった。  倒れる暇すら与えてはくれない。  大剣の切っ先は問答無用とばかりにこちらを向く。

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