2 / 7

第2話

「何だと?」  問い返した瞬間、視界が反転した。背中がマットレスに埋まり、一瞬息が詰まる。 「ッ――何を…っ!」  斉木は反射的に抗い、起き上がろうとしたが、藤井の掌に顎を捉えられるほうが早かった。 「――……!」  次の瞬間、藤井の唇が斉木の唇に重なっていた。愕然と瞳を瞠る。  キスなど、もちろん、「契約」では重大な規定違反だ。突き放そうと、斉木の両手が藤井の肩にかかる――しかしそれより早く、藤井の舌が斉木の唇をこじ開けていた。  ぬるり、と熱い舌が口内に侵入し、全身が総毛立つ。悪寒とも快感ともつかないその感覚に、斉木の脳裏に激しい警鐘が鳴る。咄嗟に舌を噛もうとしたが、藤井の長い指が下顎にきつく食い込み、その動きを許さなかった。 「……ッ、っ…!」  斉木の喉から抑えきれない吐息が漏れた。  熱く獰猛な舌肉が斉木の舌を絡め取り、まるで奪うように強く絡み付く。  ――ふざけるな。こんな行為、許していない。  理性はそう叫んでいるのに、藤井の舌が斉木の口内を荒々しく犯すたび、頭が霞み、思考が溶けていく。歯列をなぞられるたび、上顎を執拗に擽られるたび、思考とは裏腹に、斉木の身体が勝手に小さく跳ね、震え、熱を上げていく。  肩を突き放そうとしていたはずの手は、気づけばすっかり力を失い、むしろ縋るように藤井のシャツを掴んでいた。  藤井の目が嗤っている。その目は普段なら斉木を激怒させるはずだった。しかし今は、思考が追い付かない。――いや、そもそも思考そのものが麻痺している。混乱と快感の所為で、何も考えることができない。 「ふ、――ぁ、っ…」  藤井の唇が角度を変えて更に深く重なる。熱い舌が、竦むように逃げを打つ斉木の舌根を強引に絡め取り、卑猥な水音を立てて貪るように啜られる。  溢れる唾液が口端から伝うほんの微かな刺激にすら、斉木の身体は更に熱を帯びた。  嗤う藤井を殺意すら込めて睨み付けようとするが、薄く涙の膜が張った自分の目がどんな表情を浮かべているのかわからない。混乱している間に、抵抗する意志すら快感の奔流に飲み込まれそうになる。 「――ん、っ…、…ッぅ、…!」  歯列、舌根、口蓋、どこを擽られてもどうしようもなく感じてしまうことを、斉木は最早隠すことができなかった。藤井の好きなように口中を犯されるたび、堪えようと思う間もなく勝手に肩が跳ねる。  唇が擦れ合い、熱い吐息が絡み合う。卑猥に濡れた音が部屋に響き、斉木の甘く掠れた吐息がその合間に零れる。 「……、は、…ッ」  永遠にも感じられたキスがようやく終わっても、斉木はすぐには言葉を発することもできなかった。薄く開いた唇から乱れ上擦った吐息が零れるまま、整えることも覚束ない。霞む視界に映る藤井が薄く笑っていることも、理解するまでに間が空いた。  優しい指が斉木の唇を拭う。その指の熱に、ひく、と、顎が小さく跳ねる。 「キスだけでもうとろとろですね、斉木課長」  直後、冷水を浴びせられたように我に返った。 「何のつもりだ、藤井……!」  組み敷く藤井の身体から逃れようと、肘をついて半身を起こす。しかし、ベッドの上をずり上がろうとする動きはあまりにも緩慢だった。  藤井の指に再び顎を捉えられる。視線を藤井に向けて無理矢理固定され、走る痛みに眉根を寄せた。 「教えてあげてるんですよ。斉木さんが本当に望んでることを」 「――どういう意味だ」 「俺はずっと斉木さんのこと見てたんです。……斉木さんが、俺と『契約』する前から、ずっと」  藤井の声は低く、笑みを浮かべながらもどこか危険な響きを帯びていた。斉木の心臓が大きく跳ねる。  契約を提案したのは自分だ。何もかも自分が決め、主導し、管理していたはずだ。そして藤井は、完璧に立場を弁え、斉木の要望を完全に理解した、非の打ち所のない安全な男だったはずだ。 「斉木さん以上に、俺は斉木さんのこと、わかっちゃってるんですよ」  藤井の指が、ゆっくりと斉木の顎から輪郭を滑る。ただ皮膚が触れ合うだけの刺激。だというのに、背筋に甘い痺れが駆け上がり、上擦った呼気が漏れそうになる。  しかし斉木は懸命にその衝動を抑え込んだ。歯を食いしばり、鋭い視線で藤井を睨み付ける。 「増長するな。お前の代わりなどいくらでもいる」  藤井の双眸が、まるで獲物を値踏みするように細められた。唇には変わらず柔らかな笑みが浮かんでいる。 「まだ自分の立場がわかってないんですね」

ともだちにシェアしよう!