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2-3妾腹αと無用の召喚者
この世界の第二の性別はうっすらと知っている。
前の世界で、不良仲間の先輩達が、そのうちの一人の妹が持っていた同人誌というやつを馬鹿にしながら回し読みしていたのだ。
そして彼らが当時目をつけていた下級生を「オメガ男顔」と呼び、無理矢理ひと気のない所に連れてゆくのも何度か見かけた。
つまりオメガ………Ωとはそういう目に遭うものなのだ。
他人事だと見て見ぬふりをしていた事が、いじめの言いがかりではなく現実の変化となって自分に起きるなんて、誰が思うだろう。
なので、ジアルの兄が薬の約束をしてくれたことにシシオは内心安堵していた。
ただ一つ気がかりなことがある。
一昨日あたりから腹の下、腰骨の内側辺りに時々違和感を感じていた。
鈍く熱い不思議な感覚が、トクトクと数秒はねておさまる。
一昨日は半日に一度だったのが、昨日は午前午後ともに数回に増えた。
そして今日は、まだ朝なのに既に三回起こっている。
異世界にきたストレスだと思い込もうとしているが、あともう何回か起こったら、気は進まないがジアルに相談したほうが良いのだろう。
ヒートとは一体どの度合いからフェロモンを出し始めるのだろう。
αのジアルはまだ平気な顔をしているが………。
「おや、シシ見てごらんよ」
宮廷内、兄の殿と自分の殿をつなぐ渡り廊下で前を行くジアルが、外を見てシシオに言った。
中庭を挟んだ向こうの廊下をロカロが歩いてゆく。
行く先は厨房や使用人たちのいる所で、おそらく彼らの粗探しでもしにゆくのだろう。
先ほどよりなお機嫌の悪そうな顔をしていた。
「さっきの兄上への嫌味を僕が邪魔したのより、もっと不愉快な事があったのかもしれないな」
ジアルは興味深そうに笑って、シシオの手を引いた。
「魔法を勉強したいと言ってたね。面白いものを見せてあげよう」
今も、シシオに触れてもジアルは涼しい顔だ。
「………おう」
これはヒートじゃないかもとシシオは自分を元気づけ、召喚主の表情を伺いながら返事をした。
ジアルが居住する殿は、宮廷の中心近くにある兄達の建物より少し離れた場所だった。
建物も上二人のより規模が小さい。
本妻の子ではないのが理由の一つだ。
「少し捨て置かれるくらいが気楽で良いんだよ。好きなだけ趣味に没頭できる」
ジアルの趣味は魔法の研究だ。
独学でシシオを呼び出しただけあって、その技術と感覚は既にこの国で並ぶ者がない。
だが時々好奇心に負けて、使って良い魔法とまずい魔法の分別がつかないフリをすることがある。
殿の場所の理由二つ目がこれで、彼の部屋の周りは彼自身が施した強めの魔法結界に包まれている。
突然厄介な魔法を発動しても結界の外に被害を及ぼさない為だ。
立場が弱いのに、こんな好き勝手が許されているのは今現在唯一の王族αであるからだった。
「そこに掛けてなさい」
部屋にある柔らかな長椅子にシシオを座らせて、ジアルは大きな書物棚の横に立てかけてあるものを引き出した。
布に包まれたそれは、両手で抱えるほどの大きな鏡だ。
変わったデザインで、鏡の下に小さな器が付いている。
「遠見鏡の魔法を見せるよ。練習すればシシも使えるようになる。一日に何度もは無理かもしれないけどね。この鏡は人や関係している物や場所を映し出すことができる。下準備として対象人物の髪や爪などを用意しなければならない。多少魔力が強ければそれらは無くても映し出せるが正確さの面で些か………」
楽しげに話すジアルをシシオは黙ってみていた。
本当に魔法が好きらしい。
暴れるシシオを容赦なく魔法で躾けたときも、こんな調子だった。
怒鳴るでもなく叱るでも殴るでもなく、魔法でガッチリ押さえつけ、逆らうと時々軽い電流みたいなものを流しながら淡々と諭し、時々脱線して魔法の雑談を心底楽しそうに話すのだ。
普段はつかみ所のない微笑を浮かべているのに、今は目を異様にキラキラさせながらさっぱり分からない説明を流れるようにしゃべり続けている。
置いてけぼりを食らった顔になっているシシオを見て、ようやく自分がはしゃいでいたと気が付いたか、ジアルは「ああいや、直に見た方がわかりやすいね」と、心なしうきうきと棚の引き出しから小さな箱を出してきた。
深い草色のガラスの小箱から取り出したのは薄い布に包まれた数本の毛髪だった。
「これはロカロ兄上の髪でね。僕がαと判明して急遽ここに引き取られた時、庶民の衣しか無かった僕へロカロ兄上がくださった古着に付いていたものだ。汚れたまま下さったから、髪のほかにも汗汚れや少々の垢、引っ掻いた瘡蓋だとか情報が取り放題だった。人体の一部を使う魔法の練習にとても重宝したものだ」
最悪な兄だと思いながら聞いていたが、途中からこの弟もやっぱり大概だ、とシシオは思った。
無用扱いされているのにここに居なければならないら、今の自分と同じ………などと同情しかけていた気持ちを、慌てて振り払った。
ジアルはロカロの髪を短く切取り、器に入れた。
「器に見たい人物の欠片を入れ、そして遠見の呪文だよ。『古の気高き鏡 我にその者の企みを知らせたまえ』」
唱えながら指を鏡の前でひと回しする。
すると鏡にぼんやりと人物が浮かび上がった。
ロカロだ。下女を叱っている。今の彼が鏡に映っているようだ。
ロカロを映す鏡の表面に文字がいくつか浮かび上がる。
この国の文字なのでシシオには読めないが、ジアルが代わりに読み上げた。
「連絡がこない、刺客、遅い………これは鏡にうかんだ人、つまりロカロ兄上が考えていることを、断片的にだけど読み取れる魔法だ。刺客とは穏やかじゃないなあ」
メモを取りながら彼はまた次に出てきた言葉を読んだ。
「シャルシパ」
「召喚者」
「イスルギコノカ」
シシオがぴくりと眉を動かす。
「なにか知っているのかい」
意外そうにジアルがシシオをみた。
「イスルギコノカ………石動好歌………」
少しの間目を閉じ、シシオは記憶をたぐった。
「たしか………小学校で同じクラスにいた奴だ」
「ショウガッコウ?学園みたいなものか」
地味で無口で、休み時間は一人で本を読んでいるような、幽霊みたいな奴だった。
中学受験でどこだかの女子校に進んだが、時々姿を見かけることはあった。
相変わらずの雰囲気で、まるで小柄な男子がセーラー服を着ているように見えたのを覚えている。
「石動が、ここにいるのか?」
「同じ人物だとしたら………召喚者とも出ていたね。シャルシパでも召喚された人間がいるのかもしれない」
ふむ、思案してジアルはさらに別の呪文を唱えた。
すると鏡のロカロが消え、 代わりに見知らぬ男が浮かび上がった。
比較的整った顔をしているが、どことなく冷たい雰囲気だ。
「この件についてロカロ兄上と近く接点があった者の動向を追ってみよう。別の魔法を使えばもう少し詳しく追えるが、今はこの魔法のままでも良いだろう。この男が刺客かな。彼までならこの魔法でそれなりに追えそうだ」
鏡には薄暗い何処かの酒場が映った。
マントを被ったロカロが、その男に何かを告げ前金を渡す。
画面が変わり、ナンファンではない深夜の街を走り抜ける男と仲間たちが映る。
たどり着いたとある下宿屋に踏み込もうとして始まった、思いがけない戦闘。
下宿屋の中からあわられ男を殴った少女の姿を見て、シシオは「やっぱ石動だ!」と叫んだ。
一人ぼっちだと思っていた世界に現れた知り合いの存在に、彼女と親しかったわけでもないのに嬉しくてたまらなかった。
だがそれは次に鏡が映したものを見るまでの、ほんの短い間だった。
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