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四、枕飾り
月曜日になり、10日ぶりに仕事をしている間も、俺の頭の中にはずっと槐さんがいた。槐さんしかいなかった。
朝は食べないらしい。ほとんど動かないし、1日2食、何なら1食でも充分なんだと。
前からそんな生活だったらしいが、あれほど細いのは、体質だろう。骨格はしっかりしているのに、筋肉も脂肪もない感じだ。
俺の仕事が始まる事は、昨日伝えた。
夕方に退勤したらスーパーに寄って、夜はアパートで一緒に食べる予定だ。その時に、次の日の昼も準備しておかないと。
他に必要な物も、聞くには聞いた。
本でも、漫画でも、プラモでも、ベーゴマでも、槐さんが欲しがるなら何でも探す。バスで遠回りしてでも、買ってくる。
もっと頼ってくれていいのに、別に何もいらないという返事だった。
今日の昼だけは、近くのうどん屋から出前をする事になっている。
小柄な老夫婦が切り盛りしている小さい店で、位置的には、俺の引っ越したマンションとアパートの間くらいにある。
安いのに美味いし、おやっさんもおかみさんも感じが良いから、引っ越して来た頃からよく通っている俺の行きつけだ。
たまに、俺の親と同世代の息子も手伝いに来ている。パッと見は夫婦に似ていない縦にも横にも大きい人だが、感じの良さは良く似ている。
問題は、その中の誰が届けに行ったか、だ。
電話では、親戚が来ていて留守番をしてもらっていると伝えたが、槐さんを見て何と思うだろうか。
もし、おやっさんか息子が行ったなら、俺はもうあの店には行けない。どんな顔をして会えばいいのか分からない。
とにかく、俺は夕方まであの人に会えない。
仮に、来たのがおかみさんだったとしても、前後にまた見ず知らずの男を連れ込んでいるかも知れない。
そうでなくても、あの熱い部屋で、熱中症や脱水症状になって倒れているかも知れない。
槐さんのことで頭がいっぱいになる。
そんなんだから、手元が疎かになっていたらしい。軍手が滑って、足の上に金属の部品が落ちてきた。見た目の割にかなり重いから、安全靴の爪先の樹脂を貫通してきた。
しかもちょうど痛い角度で直撃して、思わずうずくまった。声も出ない。涙だけ勝手に出てくる。
その痛みで、やっと我に返った。
『私にかまけたところで、失う物は少ないだろう?』
槐さんの言っていた言葉の意味も理解できた。
今でこそ、足の親指で済んでいるが、このままいけば確実に事故を起こす。それも取り返しの付かないレベルの。
もっと社会的な立場があったら、周囲の信用やら、守るべき家族まで失うのかも知れない。
そうなったら、困るのは槐さんだ。
だから、俺がヘマをするわけにはいかない。
休憩室で救急箱を出して手当てをしていると、他にも人が入って来たのが分かった。
「うっわー、派手にやりましたねぇ」
高い声がして顔を上げる。入ってきたのは昴 だった。
フルネームは鈴木 昴 だが、2年前に入社してきた時、工場にはすでに鈴木という人がいたので、自然と下の名前で呼ばれている。
小柄でマッシュルームカット、クリクリした目で、ちょっと出っ歯。小動物系と自分では言っているが、何ともキャラクターっぽい見た目の男だ。
もう1人の鈴木は、先代の五十鈴社長の頃からの大ベテランで、呼び名は「鈴木さん」ではなく「爺さん」。
白髪で日に焼けていて、小柄なのに、武術の達人のような風格がある。寡黙で言葉数が少ない分、重みがあった。
実際に、この24歳の昴とは40歳くらい離れているし、昴のさらに後輩の浜屋 は18歳なので、祖父と孫でもおかしくない。
「爪1枚やっただけだよ。骨は大丈夫」
心配させないよう軽めに言った。
怪我をしているのは俺なのに、昴の方が痛そうに顔を歪め、
「いー、いー……」
と出っ歯をいっそう出して見てくる。
肉体労働をしている以上、この程度の怪我には慣れっこだが、確かに見た目は、人に見せたい絵面じゃない。
爪は中央から砕けていたので、全部剥がしてしまった。新しく爪が生えてくるのに邪魔になるからだ。
靴下を裏返して、引っかかっていた爪の破片も捨てる。
血まみれで赤くなったティッシュを丸めていると、昴がゴミ箱を差し出してくる。サンキュ、と言って放り込んだ。
「こないだ松田 さんも言ってました。骨は大丈夫だから傷のうちに入らないよー、とか。もう基準バグってるッス」
後輩は嫌そうな顔をしているが、先輩の怪我には本人より周りがオーバーリアクションになるのがお決まりだ。
昴はゴミ箱を元の位置に戻すと、冷蔵庫から2リットルの烏龍茶のペットボトルを出して、口をつけずに流し込み始めた。
ラベルにも「スズキ」ではなく「スバル」と書いて、丸で囲んである。
それを見て、俺も喉が渇いているのを自覚した。
巻いた包帯の先を留め、出していた道具をまとめて救急箱にしまった。
「いーんだよ。名誉の負傷だ」
俺が言うと、昴が振り返った。
「はい?」
「傷は男の勲章なんだよ」
聞き返され、足首を回して繰り返す。
あの人のことを、守りたい人のことを考えていて負った傷。これは俺にとっては名誉だと思う。
事情を説明していないから、当然、理解もされなかった。
「いや、ぜんぜん意味分かんねッス。武士? 剣豪?」
それから昴は何かに気付いたように、俺の顔をじっと見てきた。
「……てか勝 さん、今日ヤバくないスか、顔」
烏龍茶を持ったまま、ダイレクトに言ってくる。
「勝」というのは、この工場だけで通じる俺のニックネームだ。名付け親は、すぐ上の先輩の日野 さん。
初めのうちは「忠勝 」と呼ばれて、早々に忠の字が端折られて、こうなった。本名に1文字もカブッていないが、すっかり馴染んでしまっている。
「お前さすがに失礼だろ」
靴下と靴を履き直し、俺も冷蔵庫の方に行く。
「勝」と書いて常備してある1.5リットルのスポドリを出して飲んだ。粉末タイプで、溶け切らなかった分が底に残っている。
「じゃなくて、何でそんな疲れてんスか。え、連休明けッスよね?」
「色々してたんだよ。田舎に顔出したり、親戚の葬式とか、引っ越しとか」
「あー……」
昴は納得しかけたが、
「え、和泉さんと別れたって言ってませんでした? もう新しい人できたんスか?」
急に、そんな事を聞いてきた。
まさか聞かれるとは思っていなくて、ドリンクを吹きそうになった。口を押さえ、背中を向ける。
「ちょ、待ってください! 図星ッスか!」
笑いながら聞いてくる。拳で腿を叩いてピョンピョン跳ねて、マッシュルームカットを揺らして、中学生みたいにはしゃいでいる。
首からかけたタオルで口を拭いて、咳払いをしてから言い返した。
「あてずっぽこいてんじゃねーぞお前……」
「なんか、なんか分かんねースけど! ヤりまくってお疲れな感じしたんで」
昴はそう言って、ペットボトルを持ったまま、膝を使って腰をへこへこ動かす。
何ともバカで低俗なやりとりだが、男だらけの職場は、休憩室が部室と同じノリになりがちだ。
この五十鈴製作所に来るまでもいくつか短期で仕事をして来て、どこもそんな感じだった。
「今度はどんな感じの人ッスか? 美人系とか、綺麗系とか、年上とか」
「それお前の好みだろ」
「黒髪ショートで、でも和装もイケる的な。普段人前ではクールなのに、2人っきりでスイッチ入ったらもう……」
「うるせーな、聞いてねーから」
本当はしっかり聞いていた。
そして、強いて言うなら、全部だろうな。そう思った。
言いたい、自慢したい気持ちと、誰にも教えたくない気持ちが半々くらいだ。
ただ、それ以前に、絶対に教えてはいけないという大前提がある。
どれだけ美人だろうと、どれだけ恋い焦がれようと、あの人は、年上で社会経験もない、俺と血の繋がった男だ。
男を次々に狂わせて、親戚から爪弾きにされたそんな人を、部屋に囲っているなんて。
狂っているのは自覚している。
こんな小さい工場でそれが知れ渡って、社会的に終わったら、俺はやっていけない。
「いーなー。オレも年上にいじめられたいッス」
6つも年下の後輩がそう言ったので、
「おう、俺ちょうど年上だぞ。いじめてやろう」
俺は指を鳴らしながら提案した。もちろん冗談だ。
昴はさっきまでの楽しげな顔から真顔になって、手を前に出してくる。
「や、それはパワハラなんで」
「遠慮すんな」
「いやマジで。マジでナイ」
俺が体を向け、近付くフリをしただけで、軽やかにジャンプして逃げていく。
年季の入ったソファーが置いてある狭い休憩室を、反復横跳びみたいに動く。
「バカ。今俺そんな走れねーって」
「あ、そうでしたっ! ラッキー」
思い出したように、昴はぴたりと止まった。
「ラッキーじゃねーよ」
俺も口ではそう言うが、この後輩は何とも愛嬌があると言うか、憎めない。
たまにポロッとタメ口をきかれても、軽口を叩かれても、それほど不快には感じない。
俺はひとりっ子で、親戚は俺より年上が多いし、今回の葬式も参列者も、中年から高齢だった。
部活でも職場でも、慕ってくる後輩ができると、弟がいたらこんな感じだろうかと思って接している。
「でも、でもね勝さん、マジな話」
逃げていた昴が戻ってきて、今度は内緒話をするように小声になる。
小さい体で、口に手を添えて背伸びをされたら、俺も思わず体を傾けて、聞こうとしてしまう。
「アレって結局、オス側は生命力を出してる事になるんで、やり過ぎたら別の意味で危ないらしいッスよ」
鈴木昴という男はこう見えて、話すのも、空気を変えるのも上手い。期待させては、こんな風に下らないネタを仕込んで、楽しませてくる。
何がマジな話だ。
傷が痛いのに、つい笑ってしまった。
「所詮オスは養分なんス。カマキリもサカナも、交尾が終われば用済み。人間様も、子供が産まれたらATMなんで」
笑ったのもつかの間、今度は急に、冷めたような、恐いことを言ってきた。
たまに、こういう所がある。昴に限らず浜屋もそうで、逆に俺や、40代の日野さんと松田さん、50代の二代目、60代の鈴木の爺さんにはない。
俗に言うさとり世代というやつなのか、確かに何かを悟っているような、そして諦めのようなものを感じる。
「……お前ほんとどこで仕入れんの、そういうムダ知識」
呆れつつ感心すると、昴はまた笑顔になる。
「そういうサイトがあるんですってば。おもしろくないッスか?」
「ネットばっかしてると現実が疎かになんぞ。浜やんにも言っとけ」
偉そうなことを言いながら、冷蔵庫に自分のペットボトルを戻す。
「浜やん」は、浜屋に俺が付けたニックネームだ。
2000年生まれ。早生まれだが、鈴木昴のさらに6歳下と知って愕然としたのを覚えている。干支ひと回り以上も年下と一緒に働く日が来るとは思わなかった。
少しでもこのオッサン集団に馴染むようにと思って、あえてダサいのを付けてやった。
昴の方に手を伸ばすと、烏龍茶のペットボトルも預けてくるので、一緒に戻してやる。
「さすが! リアルがお忙しい人は言うことが違うッス! お疲れ様ッス!」
出っ歯をこれ見よがしに出して、ぐっと親指を立てて来た昴の脇腹に、軽く膝を入れた。
もちろんパワハラではなく、コミュニケーションとして。
長すぎる1日がようやく終わって、俺はすぐに近くの商店街にあるスーパーに走った。
蒸し暑い夏の夕方、混んでいるのもいつもの事なのだが、イライラせずにいられなかった。
早く、あの人に会いたかった。
店内の冷房で少し体は冷えたが、外に出るとまたすぐ汗が吹き出す。
走る事自体も好きじゃない。学生の頃より体が重いし、無酸素運動の方が楽だ。それでも、足が動いてしまう。
おまけに、右足の親指が包帯の内側でズキズキ痛む。
「あー、クソッ……」
歯を食いしばって、アパートの階段を昇る時には汗だくになっていた。
部屋から物音はしない。
戸の前には、見覚えのあるうどん屋の器が出ていた。きちんと空になっていて、洗った水滴もないほど乾いていた。
「ただいま……」
部屋に上がった時、自然とそう言ってしまった。
一人暮らしをしていた頃は当然言った事も無かったのに、槐さんを預かってからは毎日通っている。
帰った家に人がいるという意識に変わっていたらしい。
ベッドに寝そべって本を読んでいた槐さんが顔を上げる。
「ただいま?」
怪訝そうに聞き返されて、
「なんか、無意識に言っちゃいました」
思わず下を向いて言い訳した。
パイプベッドが軋む音がする。
「では私も、言った方がいいな」
足元から視線を上げると、あの人は起き上がって、ベッドに正座していた。
「お帰りなさい」
目を見てそう言われた途端、心臓がどくっと跳ねた。
槐さんの表情が、あんまり優しくて穏やかだったから。
この人のために俺は、今日という日を乗り越えたのかも知れない。そこまで思った。
急に恥ずかしいような、照れくさいような気がして、また目を見られなくなる。
「……あの、昼は不便かけてすいません。けど、あそこのうどん、美味かったでしょ?」
聞きながら、サンダルを脱いで畳に上がった。
途端に、槐さんが真剣な声を飛ばしてくる。
「どうしたんだ。昨日はそんな怪我、してなかっただろう」
しゃがんだ拍子に、ゴトッとスマホが落ちた。このハーパンはポケットが浅くて、座ったりしゃがんだりするとすぐ飛び出してしまう。
「大した事じゃないっすよ。こんなの、よくあるんで」
スマホを拾って、冷蔵庫に買ってきた物をしまいながら、軽く答えた。
急いで買った晩メシは、値引きされていたパックの寿司と、インスタントの味噌汁。
明日の昼は、ワゴンにあったおにぎり。好きな具は分からなかったから、とりあえず梅とかつおと昆布を放り込んだ。
思い出して冷凍室を開けると、俺が引っ越す前に買っていたソーダアイスの箱が入れっぱなしになっていた。
2本あれば、2人で晩メシの後に食べられる。1本を半分ずつにしてもいい。
槐さんがベッドから下りてくるのが分かった。お香の匂いが流れてきた。
俺の前に膝を折って座り、畳に手を突いて、俺の足を見てくる。
「仕事中にか? 何があったんだ」
「俺、工場で働いてるんすけど、部品落として爪割れただけっす。骨も大丈夫だし」
冷凍室のドアを閉めた瞬間、無防備な体勢の、浴衣の胸元に目がいってしまった。
どこにも行きようがなくて、そんな槐さんと向き合うようにその場に座る。またスマホが落ちたのが分かったが、気にしていられなかった。
「連休明けだったもんで、ぼーっとしてて。ドンくさいっすよね」
笑ってごまかそうとしたが、槐さんの少しひんやりした手が、俺の熱を持った足の甲に触れてきた。
「私にかまけた男が身を滅ぼすのを見てきた。忠義くんもそうならない筈がない」
顔を上げたあの人の、焦点の霞んだ、薄墨みたいな色をした瞳に、見透かされていた。
どくんっ、どくんっ、と心臓の音が早まって、呼吸が乱れる。
「確かに本当は……、槐さんのこと、ずっと考えてて……」
白状しながら、俺も、槐さんに触っていた。勝手に手が動いて、胸、首、頬と触ってしまう。
槐さんは形の良い眉毛を歪めた。
「そうだろう。だから労 しいんだ」
こんな風にさせて申し訳ないという気持ちとか、この人には、あるんだろうか。
あくまでも他人事として、身を案じてくれるように聞こえるのは何でだろうか。
いたわしい、じゃなく、いとおしい、だったら良かったのに。
そう思いながら、顎を引き寄せてキスした。
俺がしようと思ったんじゃない。させられた。誰かに聞かれていなくとも、そう言い訳したくなるような空気感があった。
顔を離すと、ちょっと憐れむように見られていた。
「まだ若いのに、可哀想に」
そんな事を言いながら、今度は槐さんが俺の足を持ち上げた。黒っぽく汚れた包帯にそっとキスして、その隣の人差し指、中指、と口に含んで舐めてくる。
仕事終わりで、まだ風呂にも入ってない。工場を出た後はサンダルだし、外を歩く時もむき出しだった。
どう考えても汚いのに、どうして平気でそんな事ができるのか。
何も言えずに見ていると、俺の毛の生えた脛や膝まで舐めてきた。
脚全体を体で抱えるようにして、そのまま上がってきて、ハーパンのボタンを外し、チャックを下げて、ボクサーもずり下げられる。
まだ、そんなに勃ってはいない。仕事終わりだし、汗もかいて、いつもより蒸れた臭いがする。
恥ずかしかった。
でも槐さんは、付け根に手を添えて起こすと、当たり前のように口を付けて来た。
「いや、ちょっ、やばいっす! さすがに!」
慌てて止めさせようとするが、離してくれない。目を閉じて、嫌な顔ひとつせず、一気に咥え込んでしまう。
もしかしたら、今日は誰とも寝ていないのかも知れない。それで、待ちきれないのかも知れない。
唇を窄め、舌の上をぬるぬるさせて、喉の奥の方まで進める。苦しそうではあるが、そこまで入るものかと驚くほど、深くまで。
「さすがにっ……、あー……」
気持ちよさに、俺はあっさり降伏した。
「やばいっす、槐さん、こっちも上手すぎ……」
両手を下ろして、温かくて濡れた粘膜が包み込んでくるのに身を任せる。
やっぱり、今まで同じ事をしてきた女の子よりいい。女に比べると体が大きいから、口で覆える範囲も広いし、喉も太くできているのだろう。
俺の下の毛に口元が埋まるほど深く咥えながら、脚に挟んだ俺の脛に、自分の股を擦り付けてきていた。
もういいか、と思った。
忠告してくれた昴には悪いが、養分でも何でもいい。この人がどこの誰でも、俺がどんなにボロボロになろうと、この人がいつ誰に抱かれていようと、構わない。
ハーパンとボクサーを膝までずり下ろして、左脚を曲げて抜いて、もっと咥えやすいようにする。
槐さんの頭を片手で押さえつけ、右足の向こう脛で股を押し上げてやった。
「うっ! んん、んんっ……!」
押し込んでいる喉から呻き声が漏れる。
浴衣の合わせからむき出しになっているこの人の“幹”は、芯が通って熱くなっていた。
この人はこうして、男から生命力や養分を吸い取って、生きてきたのだ。
木が土から養分を吸い上げて成長するのと同じ。
男を滅ぼすほど夢中にさせないと、自分が生きていけない。
頭を掴んだままの手を動かした。少し押して離しては、また引き寄せる。がぽっ、がぽっ、と濡れた中に空気の入る音がする。
「うぐっ……、おっ、ごっ……」
どう聞いても男の、低い声が漏れる度に、喉に当たって、つるっと奥まで入る。
少し年上で、自分も男のくせに、何となく男という存在を見下している。
その人を、征服した気分になる。
ひっ掴んでいた頭を強めに押して、顔を離させた。カウパーと涎の混じったのが、薄い唇から、どろっと垂れた。
すぐ体を引き上げると、察して、浴衣の裾を端折って乗ってくる。すっかりガチガチに硬くなったやつを入れさせてやる。
普段は窄んでいるはずの、男を受け入れるようにはできていない襞を、先端で割って挿入していく。
初めは、ぷにっとしていて、気持ち程度の抵抗をしてくるが、構わず押し開くと、ずぶっと呑み込まれる。数日間で、この感触が、癖になってしまった。
「ああ……」
色っぽい吐息混じりの声を漏らしながら、俺の上にまたがって、抱き付いてくる。
畳の上に座ったまま、向き合って腰を揺らす。
もっと深く、付け根まで入るように、槐さんの尻をわし掴みにしながら引き寄せた。
「ふうっ! うっ、うんっ!」
あの人も俺の腰の後ろで脚を絡めて、苦しそうに唸りながら、苦しいほどしっかり抱き付いてくる。
片腕は首に回して、もう片方の手で後頭部の金髪部分を掴まれていた。伸びた髪の毛を下に引っ張られるから、顔が上に向いてしまう。
しかも、抱き着いてくる槐さんの鎖骨と、自分の喉仏が気道を押してくる。
「あっ、あ……」
苦しいのと、気持ちよさで、俺の方も濁った声が漏れた。
天井を見ながら口を開けて、はあ、はあ、と息をしながら動かす。
今の俺は、すごく間抜けな顔をしていると思う。縁日の金魚が、酸素を求めて水面でぱくぱく息をするみたいに。
視界の端に、槐さんの整ったうなじが映った。
白い肌と黒い髪の境目。葬式の白黒幕を思い出した。煙っぽい匂いがする。走馬灯よりもっと速く、色んな映像が脳裏に浮かんで一瞬で消える。
「槐さ──」
呼ぶのがやっとだった。
ドクドクッと溢れて、あの人の中に吸い取られていく。
「うぅっ!」
槐さんも声を上げ、俺の髪を掴んだまま体を震わせる。髪がぎりぎりひっぱられて痛かったが、喉の奥が詰まったような声がまた色っぽかった。
体を少し離して、ゆるんだ浴衣をひっかけた肩で息をしながら、顔を覗き込んでくる。
何も言わずに、しばらく見つめ合った。
俺から吸い取った生命力で、あの人の目ははっきりと黒くなって光っていた。
俺は髪の毛も伸び放題で、あちこちに毛も生えて、汗臭くて、汚いのに。
この人は、どれだけ乱れても、こんなに綺麗でいる。
俺たち男はその辺の汚い土みたいなもんで、槐さんは名前の通り、そこから綺麗な花を咲かせる木なんだ。
所詮、オスは養分。
ぼんやりした頭で、納得していた。
「晩メシ……食いましょうか」
張りついた喉で唾を飲んで提案すると、槐さんも俺に乗っかったまま頷いて、
「そうだね……」
と掠れた声で言った。
腹も減ったし、喉もカラカラだった。
養分になるならなるで、ちゃんと腹を決めて、腹ごしらえをして、怪我も治していかないと。そう思った。
そんな風に、仕事が始まってからも、俺は槐さんの元に通い続けた。
何度か、職場の日野さんや大学時代の仲間が飲みに誘って来たが、断ってしまったほどだ。
せっかく新しいマンションに引っ越したのに、帰る頃には力尽きて、フローリングの上に寝るだけだった。
ネットで注文していた新しいベッドがようやく届いても、組み立てる体力すら残っていなかった。
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