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五、線香
土曜日の昼、買い出しをしてアパートに行くと、槐さんが浴衣を貸してくれた。
「外を見ていたら、浴衣を着た人がこぞって歩いていくのが見えたよ。明るい時間から縁日もあるのかな。皆、浮かれた顔をしていた」
文字通り風呂敷を広げて、呉服屋の店員みたいに畳に正座して、きちんとたたんだのを並べて見せてくれた。
「女物みたいに派手な柄や色はないけど、良い物なんだ。私だけが着ていても、宝の持ち腐れだから」
あの人が持ってきた荷物は、和紙に包んだ浴衣が何着かと、手拭いに包んだ最低限の洗面用具、この前読んでいた文庫本、お香とマッチ、そして、俺に預けた少し厚みのある茶封筒。
本当に、それだけしかないらしかった。
封筒以外は全部、世話になっていたばーちゃんに貰ったという話だ。
洗面用具は剃刀、石鹸、歯ブラシだけ。つげ櫛もばーちゃんの物だが、毎日髪を梳かしてやっていたので、そのまま持ってきてしまったらしい。
たらい回しにされるのに慣れて、今回みたいに急に追い出されても良いように、あまり物は持たないようにしているのかも知れない。
俺は特にこだわりもないし、
「着れそうなやつで……」
と言うしかなかった。
一応、デートみたいな気分だったから、ヒゲは剃って来たけど散髪は間に合わなかった。
黒と金の混じった髪を後頭部で縛ったイカつい男が浴衣なんて着ても、祭で幅をきかせるヤンキーか、テキ屋を冷やかすチンピラにしか見えない気がする。
外用の洒落着だと紹介されたのは、いつも槐さんの着ている綿の柔らかいやつじゃなく、麻のしっかりした生地でできていた。
初めて会った時にこの人が着ていたのも、そうだった気がする。
けど、見せてくれたのはまた別物だ。無地の黒色だけど、真っ黒でもなく、かと言ってグレーでもない、明るい感じの黒色。
開いて俺の体に合わせた途端、
「これがいい! 私の一張羅だが、今日は忠義くんが着てほしい」
槐さんは見開いた目をきらきらさせて言った。
「そっすか……」
何がハマったのか分からないが、楽しい事なんて無さそうなあの人も、そんな顔をするんだと思った。
槐さんの物だし、線の細い体型によく合っていたから、俺にはきついかも知れない。身長も、ちょっとだけ俺の方が高いし。
そう思っていたが、槐さんはきちんと着付けてくれた。
「俺、こういう浴衣とか着るの、何気に初めてかも」
ハーパンを脱いだら、槐さんが後ろで浴衣を広げて、袖を通させてくれる。
この人はいつも裸の上に直接着ているが、俺はTシャツもボクサーも死守するつもりだった。
槐さんは脱がそうとしてくるでもなく、
「馬子にも衣装と言うだけあって、どんな人間でも良い物を着れば様になる。時期や冠婚葬祭に限らず、もっと着られてもいいのに」
そんな事を言いながら襟や袖を直すだけだった。
不思議なことに、着付けの間は、体を触られても、密着するような距離に来られても、いつもみたいにムラムラしなかった。
槐さんが動く度に、お香のいい匂いがした。
それでまた、この人との距離感が分からなくなってきた。
俺は結局、この人をどうしたいんだろう。この人にとって、どうなりたいんだろう。
今日を入れても、あと7日しか、ここに居てくれないのに。
「前から気になってたんすけど、何でいつも浴衣なんすか? 趣味?」
着物とか浴衣とか、そういう人を見るのは、夏祭りや花火大会。あとは温泉施設か、観光地くらいだ。
それを普段着として着て現れた人に、最初に聞いてもいいくらいの事を、今更になって質問した。
後ろから槐さんの声がして、襟に指が入ってくる。
「先日までお世話になっていたおばあ様が、若い頃和裁の先生をされていたらしいんだ」
必死に記憶を辿る。
「えっと、イヅ美 さん? でしたっけ……」
義理の大伯母さんの名前なんか、葬式がなければ知らないままだったかも知れない。
でも、確かそんな名前だった。よりによって、別れた元カノとカブらなくてもいいじゃないかと思った気がする。
そうだよ、と聞こえて、ひと安心する。
「それで私をマネキンに、こうして浴衣や、お着物をたくさん仕立ててくれた。それで有難く着ているんだ。持って来られず諦めた分もある。|畳紙《たとうし》も先月取り替えたばかりだ」
「ふーん、そうだったんすね」
槐さん本人の趣味と言うより、ばーちゃんの趣味だったのだ。
確かに女の子は人形を着せ替えて遊んだり、ケータイをデコッたりするのが好きで、スマホカバーにも男よりこだわるイメージがある。
しかも、自分をマネキンと言ったように、綺麗な人だから、色々と着せたくなる気持ちは、俺も分からなくはない。色が白くて、どんな色でも似合いそうだし。
見慣れてしまって、イヅ美さんに引き取られる前はどんなファッションだったのか、想像できないくらいだ。
「痴呆症でも、和裁をしている時だけは、妙にちゃきちゃきしていてね。当時はさぞ厳しい先生だったと思うよ」
槐さんが俺の前に回ってきた。ばーちゃんの話をするその人は、今まで見た中でいちばん優しい顔になっていた。
「私は数年しか一緒に住んでないけど、それまで躾らしい躾もされず無教養だったから、箸の持ち方、座り方ひとつでも、ずいぶんしごかれた」
本当のところ俺の知りたいのは、イヅ美さんではなく、この人のことだ。
それを、ようやく、少しだけ知れた気がした。
帯を俺の腰に巻き、折り返したり、長さを調整したりする時には、妙に真剣な表情になった。
向かい合わせでよく結べるな。そう思いながら、俺はその人のことをずっと見ていた。
虚ろさも、ぎらつきもない、澄ました目元。日焼けやニキビどころか、ヒゲすらも無縁そうな、女の人みたいにすべすべの肌。
いつもなら、ここまで近付いたらそれどころじゃなくなってしまう。
けど今は、さらさら揺れる細い髪と長い睫毛、下瞼の赤い粘膜に光が当たって白くなっているのまで、まじまじ見ていられた。
「生まれつき綺麗なんじゃないんすか、槐さんは」
思ったことが、ポロッと口から出ていた。
中腰になっていた槐さんが手を止めて顔を上げる。
前髪を払う拍子にいい匂いがして、きりっとした眉毛と目がまっすぐ見上げてきた。
「いつから私のことを綺麗だと?」
「えっ? いや、いつからってか、ずっと?」
低い声で聞かれて、逆に聞き返してしまった。
槐さんは何も答えない。黙って、表情を消して、まだ俺を見ている。
「さ、最初に会った時かな。タクシー降りてくるところ、実は俺、見てて。細いし背も高いし、顔も肌もぜんぶ綺麗。何か、歌舞伎俳優? とか思ったりして……」
ずっと黙って見てくるから、俺は気まずくなってきた。
感情が見えないのはいつもの事だが、さっきまであれだけ優しそうな顔をしていただけに、何か気に障るようなことを言ったのかも知れない。
と思っていたら、あの人は姿勢を起こして、半歩分踏み込んで、俺の首に右手を添えてきた。まだ帯の結び目は作りかけで、それを左手で押さえたまま。
「そういうことも、言えるんじゃないか」
背伸びをして、顔を近付けてくる。
あ、と思った時には、槐さんの唇が触れていた。
キスは何回もしていたけれど、槐さんからされたのは初めてな気がする。しかも、ベッドの上でもない時に。
何か、大人だな。そう思った。
いつもの俺みたいに必死さとか、がつがつした感じがまったくない。“やりたくて”やると言うより、してあげる。
槐さんがたまに見せる上品さとか、落ち着きとか、余裕みたいなのを、そのまま表したようなキスをされていた。
舌も突っ込んで来ないし、ただ顔を傾けて、重ねるだけ。それなのに、目だけが色っぽかった。
手を回しそうになった瞬間に、体が離れていく。
「おばあ様の教育の賜物だが、私も人の子だから、褒められて悪い気はしない」
「はい……」
俺はすっかり敬語になっていた。
軽くキスされただけなのに、俗に言う年上好きの気持ちが、少し分かった気がした。
何で突然、キスしてくれたのか。褒めたお礼なのか、嬉しい事をした俺へのご褒美なのか、単なる気まぐれなのか。
そんな疑問が湧く頃には、槐さんは俺の腹で帯の結び目の続きをして、背中側に回していた。
「着慣れていないならこの結び方でいいと思うよ。そう言えば今日は髪型も、侍みたいだしな」
そこで初めて、俺と槐さんの格好は着物の素材や帯の種類が違うだけじゃなく、結び目の形も変えてあると知った。
「何か違うんすか?」
「これは角帯 で、浪人 流 し。私のは兵児帯 を蝶結びにしただけだ」
槐さんは言いながら、その場でくるりと回った。
蝶結びにしただけにしては、ボリュームがある結び目が、背中の真ん中より右側に寄せられている。
柄もないシンプルな1本の帯なのに、何枚かに重なって、リボンか花みたいに見えた。
もしかして、この人も、今日をデートみたいに特別に思ってくれているんじゃないかと、俺は思ってしまった。いつもの結び方がどんな形だったか、見てもいないくせに。
俺の着付けを終わらせた槐さんは、床に並べていた浴衣を大切そうに戻して、出していた他の荷物と一緒に包み直した。
大風呂敷に見えたのに、あっさり片付いてしまう。
それをいつもの場所に置いて、部屋の時計を見てから、それとなく話を切り出してきた。
「そう言えば、男女の性交渉を花火に例えた作家がいたな。浴衣で花火を見に行って、その流れで……と。まあ、よくある表現だろうが」
急に言われて、俺はちょっと焦った。
「えっ、ちょ……もう誘って来ます? さすがに早いっつーか」
今日はまだ、と言うか、今はそういう気分になれない。きちんと着付けまでしてもらったのに、崩れてしまう。勿体ない。
だから、やんわり断っておいた。
ただ、後ろから改めて見ると、槐さんの浴衣の着方が、俺とはかなり違うのに気付いた。
俺がぴしっと衿を立てて着せてもらったのに対して、この人は衿の後ろが下がっていて、わざとうなじが出るように着ている。白くて細長い首を見せつけるように。
それだけじゃない。
俺にはざっくりと羽織るように着せて帯で締めたのに、自分はぴったりと体のラインが出るようにしていて、よく見ると、帯の下にある尻の形まで分かる。
他の部位は筋肉も脂肪もない感じなのに、今にも手で触って、腰を叩き付けたくなるような、柔らかそうな肉の形を強調している。
間違いなく男の人でも、どこか女の人っぽいと思うのは、この着方のせいだ。
自分のどこにどういう魅力があるか理解していて、いつでも男を誘えるような、色気が出るような格好をしている。
それが自然で、わざとらしさが無いから、今まで気付かなかった。むしろ、隙があるように見えていた。
俺は早くも湧いてきた煩悩を振り払うべく頭を振った。
それから目を開けると、向き直った槐さんが腕組みして睨んで来ていた。
「違う。私がこんな回りくどい誘い方をした試しがあるか。単に着付けの話で思い出したから言っただけだ」
低い声でぴしゃりと言われた。ちょっと軽蔑するような表情で。眉間にシワが寄って、眉尻も上がっている。
どうやら俺は、恥ずかしい勘違いをしたらしい。性懲りも無くやましい事を考えているのは俺だけだ。
「そ、そうっすよね! えーっと……何か、騎乗位が打ち上げ花火的な、そういうやつですか!」
しどろもどろになって、言い訳も出てこない。
出てくるのは下ネタ好きのオッサンみたいな発想だけで、ますます墓穴を掘る。具体例なんか挙げなくていいのに。
あの人は腕を組んだまま下を向いて、ふん、と小さく肩を揺らした。
笑ったらしい。
すぐに顔を上げ、指で前髪を払ってまた見てくる。眉から力が抜けて、もう睨んでもいない。
「いま自分の顔に何と書いてあるか、分からないだろうな」
むしろ笑っている口元を、拳に握った手で隠しながら言われた。
自分でも赤くなったのが分かるほど恥ずかしい。
「……ハイ」
告白した時はまったく理解されなかったのに、今は言葉にしなくても見透かされている気がした。
この人の笑った顔を見たのは、初めてだった。
それも、こんなにおかしそうに笑うなんか、想像もできなかった。
昼には年齢相応の、落ち着いた、大人っぽい一面を見せたくせに、やっぱり槐さんは槐さんだった。
案の定、花火を見ている途中でガマンできなくなった。俺も、あの人も、ふたりとも。
あの人があの人なら、俺も俺だ。
始まってからしばらくは、1発、2発と上がる花火を見ていた。
よく見えるよう部屋の電気を消し、特等席の窓枠は槐さんに譲った。
今夜は少し風があるお陰で、花火の煙は流れていき、槐さんの髪もさらさら流れるように揺れていた。
花火を見る、と言っても、豪快な衝撃や熱を体で感じられるような場所じゃない。
音は少し遅れて来る距離だし、これが家から見られるならラッキーという程度だ。
それでも槐さんは柵に寄りかかったまま、
「誰かとこんな風に過ごすのは久しぶりだ」
と言った。感情は読めなかったが、少し嬉しそうにも、寂しそうにも見えた。
俺はベッドに座って、そんな花火と槐さんの姿を見ていた。
特等席なのは、むしろこっちの方かも知れない。
想像していた通り槐さんには、ビールよりも日本酒の方が似合う。スーパーで買ってきた、お徳用の安物でも。
本当は、今見ているこの景色を、スマホで撮りたくて仕方がなかった。
これまでなら間違いなくそうしていた。
ナイトモードと言っても、申し訳程度でしかない。たとえしっかり写らなくても、記念と言うか、記録として残しておきたかった。
けど、スマホは脱いだハーパンのポケットにある。それを取りに行くには、この特等席を離れなければならない。
スマホを持っていないにしても、俺が不審な動きをして、レンズを向けたら、あの人は気付くだろう。
嫌がられるかも知れない。そうなったら、この空気も台無しだ。
惜しいが、悩んだ挙げ句、諦める事にした。
バレずに撮る事ができなければ自然な状態を収めておく事は不可能だし、もしフル画質にしたとしても、俺が今感じている空気感を、そっくりそのまま残してはおけないのだ。
見ているうちに、花火の数も種類も増えて、演出が派手になる。どんと上がって、ぱっと開き、ぱらぱら散っていく。消える間もなく、次の花火がまた開く。
光がここまで届くようになって、立て膝をしたあの人の、白い脛や髪に色がつくくらいになっていた。
おー、という声が聞こえて下を見ると、アパートの前での道路から少し先の十字路に、近所の人がちらほら集まっていた。
音を聞き付けて出てきたのかも知れない。高さはなくても、見通しのいい場所から花火を見ているのだ。
いつからいたんだろう。槐さんの姿を、見られていないといいが。
「こっち」
何も気にせず花火を眺めている槐さんの手を引き、部屋に戻ってもらった。
「盛り上がってますけど、あんまり……」
花火に照らされている槐さんを、誰にも見せたくない。そう言いたいけど、うまく言えなかった。
窓を閉めると、花火の音はこもったようになった。
そうさせた理由を、槐さんは聞いてこなかった。
ベッドにあぐらで座る俺の隣に来て、膝を抱える体勢で、窓越しに花火を見た。
俺はコップに残っていた日本酒を飲んで、紙パックから注ぎ足して、槐さんにも勧めた。いつもは麦茶を入れているコップだ。
顔の前に差し出すと、透き通った日本酒が半分くらいまで入って、その中に向こうの花火が歪んで映っているのが見えた。
それを見た槐さんは、風流だな、と言った。
風流の意味も、感覚も、俺には何となくしか分からない。
あの人が寄りかかってくるみたいに、肩がずっと当たっている。そこから伝わってくる熱だけ、しっかりと分かっていた。
槐さんは一気に流し込み、コップを俺に渡してきた。
俺も座ったまま体をひねって、ベッドから落ちそうになりながら腕を伸ばして、ちゃぶ台に置こうとした。
全部、いつもの癖みたいなもんだ。
その瞬間、槐さんと目が合った。
どっちからしたかは、分からない。
気が付いたら槐さんとキスしていて、口移しで、酒を飲まされていた。一気に飲んだんじゃなく、口の中に止めていたらしい。
コップが手から落ちて、ちゃぶ台を転がるのが分かる。
体勢を立て直す間もなく仰向けにされて、上に乗られる。浴衣の衿を掴まれていた。俺がいつもしているみたいに。
舌が入ってきて、温かくなった酒が流れ込んでくる。
「ん、んっ!」
溢れる、と思って夢中で飲んだ。ごくっ、ごくっ、と音がして、甘ったるい匂いが鼻に抜ける。
ただでさえ悪酔いしそうな安酒なのに、この人からこんな事をされたら、さらにクラクラしてしまう。
1滴残らず俺に飲ませると、あの人は自分の唇をペロッと舐め、
「よくできました……」
と口角を上げた。
その顔に、ぞくっと鳥肌が立った。脳天から爪先まで痺れていた。
いつも下に組み敷いている相手、俺が居ないと何にもできない相手、いつでも好きに抱ける相手……。
俺も槐さんが居ないと生きていけないが、心のどこかでは、そんな風にも思っていたらしい。
それが、その相手から馬乗りにされて、少し強引に酒を飲まされて。上手くできたら今度は、子供みたいに褒められて。
鳥肌が立つほど興奮してしまった。
昼のキスも大人だったが、夜のキスはまた別の意味で大人だった。
そんなキスから始まって、前を開かれて、胸や腹や首にも唇をつけて、舐められた。俺が初めて会った時にそうしたみたいに。
せっかく着付けてくれた浴衣も、結局あの人の手でぐちゃぐちゃにされてしまった。白くて細い手の力は、意外と強かった。
電気を消した、窓から花火が照らしてくる部屋の中で、槐さんはベッドに仰向けにさせた俺にまたがり、自分で腰を振っている。
「あっ、あ! ちゅ、ぎ、く……」
途切れがちに呼んでくる声も、いつもより大きくて、甘い気がした。窓を閉めていても外に聞こえてしまいそうだ。
例のごとく肩から浴衣がずり落ちて、半裸になった姿を、遠くの花火の赤や黄色の光が浮かび上がらせる。
一気にじゃなく、所々を、淡く。
綺麗な槐さんの全部を見たいのに、見せてくれない。下半身は暗さに溶け込んで、俺との境目も分からなくなっている。
手探りで腿を辿って、腰を掴んだ。槐さんを力任せに引きずり落として、一気に奥までブチ込む。
「ああんっ!」
槐さんは背中を反らせて大きく喘いだ後、
「ひっ、ひっ、ああ……」
泣いているみたいに早い息をしながら、俺の手を引きはがしてきた。
両手をまとめて、下腹に押さえ付けられる。
その体勢で、槐さんは繋がっている所を勢いよく上下させ始めた。
「え、槐さっ……! やばっ、それ、だめ……」
搾り取られそうだった。
歯を食いしばって耐えるが、勝手に腰が浮いてしまう。
「ゆっくり、ゆっくり、して、ほし……」
もっと奥、届く所までじっくり入れたいのに、許してくれない。
ベッドがギシギシ軋んでいるのが聞こえる。早くも内腿の筋が引き攣ってきた。
酔いが回っているのに、萎えもせず、むしろ血圧も硬度も上がったみたいだった。視界がクラクラしてくる。
俺の訴えも無視して、腰を打ち付けてくるその人の切れ長の目は、時々光る花火で、ぎらぎらしていた。黒い瞳の中に花火が弾けて見えるくらいだ。
俺を呑み込んだ体の芯に火が着いて、燃えてるみたいに熱かった。
やっぱり、上品さなんてない。
でも、こうしている間はすごく幸せそうだ。
親戚中から縁を切られても、こうして俺と、繋がっている。
この人には俺がいるし、俺はこの人さえいればいい。
この人が居れば、後は何もいらない。
日本酒と汗でベタベタになった俺の胸に爪を立てて、“名前”を呼んでくる。
「ちゅうぎくん、ああ、ちゅうぎ……!」
このまま、心臓をえぐり出されてもいい。
この人のためなら、命を懸けてもいい。
人生で初めて、誰かに対して、“忠義”を尽くしたいと思った。
花火大会の夜、俺はマンションに帰らなかった。
花火も、“やる事”も終わって、帰ろうとしたら、槐さんが引き留めてきたから。
「休みなんだろう? このまま泊まって行けばいい」
俺はあの人に尽くすつもりでいたから、槐さんがそう言うなら、帰る理由は無かった。
ひとっ走りコンビニに行って、歯ブラシ、ヒゲ剃り、タオル、替えのTシャツとブリーフを買った。
前までの俺なら、わざわざ往復40分かけて、マンションに取りに帰っていたかも知れない物ばかりだ。金を使う事に躊躇しなくなっているのに気付いて、少し反省した。
ブリーフにしたのは、ボクサーもトランクスも売り切れていたから。どうやらこの辺りでは、俺みたいに花火大会の後に“イイ思い”をしている男も、少なくないらしい。
黒色のやつが残っていたのが、せめてもの救いだ。小学生みたいな白ブリーフなんか、人前では絶対に履けない。
同じ部屋には、何も履いていない人もいるが。その人に見られたくなかった。
シャンプーやティッシュといった消耗品は、槐さんが来るのが決まっていたから置いてある。
同じ物を使っているはずなのに、槐さんからはいい匂いがする。
あの人のはお香で、俺のは煙草。同じ煙なのに、まったく違う。自分で自分の体臭は分からないが、喫煙所の臭いは分かる。いい匂いとは、言えないはずだ。
俺が1人で使っていたベッドは、男2人が横になるには狭かったし、槐さんとくっ付いていたら、多少の休憩を挟んだとしても、エンドレスにやってしまいそうだった。
だから、夜の間はもうしないと宣言して、俺は部屋の端っこで寝た。
嫌いになったわけじゃなく、単に、身がもたない。養分でもいいと思っていても、賢者タイムは頭も冷静に、現実的になる。
でも結局、夜中に起こされてしまった。
槐さんが畳に下りて、壁に向いて寝ている俺の背中にぴったりくっ付き、手を回していた。寝ていた俺の、半勃ち状態なのを触っていたのだ。
「なに……槐さん?」
寝起きで、まだ状況が理解できずに後ろを向いた。
「しないって言ったじゃないすか……」
誰にも聞かれていないのに、俺は何故か小声で窘めた。
だが、槐さんは悪びれる様子もなく、
「私が触りたいだけだから。忠義くんは寝てていい」
そう言うだけで、続けてきた。
縛っていた髪は寝る時に解いていて、その中に鼻を埋められているのが分かる。匂いを嗅がれていた。
髪から出た首に、汗とは違う濡れた感触もして、舐められ、吸われたのも分かった。
俺の腰に当たっているのも硬くなっている。
「そうじゃなくて……、もお……」
仕方なく槐さんの方に向き直って、下に手を伸ばす。お互いに浴衣の中に手を入れて、しごき合う羽目になった。
先週は触る度胸も無かったのに、頭がまだ起きていないからか、何の抵抗もなく触っていた。
そして、うすうす気は付いていたが、この人には、下の毛もなかった。
体を寄せて来られたら、キスするしかない。
とは言え、少し体が遠い。
「へら出して、槐さん……」
首を伸ばし、お互いに舌を大きく出して、表面を舐め合うみたいにする。
「ん、はあ……はっ……」
吐息の間に、声が漏れるのが聞こえた。
二の腕や背中に汗をかいてきた。エアコンは点いているはずなのに、効きがよくない。何より、こんな事をしているから。
そんな事をしていると、槐さんが手を離して、俺の手に重ねてきた。すべすべした脚も絡めて来て、さらに密着する。
「ん……」
俺は短く返事をし、手を広げて、2本一緒にしごいた。
自分以外の男のモノを触るなんて思わなかったし、ましてや自分のと一緒になんて。でも、腰を動かしたくなるほど気持ちよかった。
目を閉じて俺に任せた槐さんの口が開いて、
「あ、あ……」
と、小さく喘ぎが漏れた。それから、ぶるっと震える。
手の中に出たのかは、見えなかったし、分からなかった。出ていなかった気がする。
俺は、まだちゃんと動かない頭と口で、
「槐さん、脚……広げて」
そんなことを言っていた。
そもそも男のモノを触ったのすら初めてだったのに、もっと、別の事までしようとして。
眠気のせいなのか、この人に狂わされてしまったからかは、もう分からない。
槐さんは片手で口元を隠しながら俺を見ていた。
何も言わず浴衣の合わせを引き上げてゆるめ、右脚を起こして、膝を立てる。
俺は握っていた下まで手を伸ばして、いつも挿入している割れ目を探った。
何でそうしたかは分からない。ただ、触りたかったんだろう。槐さんの、もっと深い所に。
濡れていた中指は、するする入って行った。槐さんの体がびくっと体を跳ねた。
「ちゅうぎ……」
呼んでくる声が、少し不安そうだった。
「大丈夫」
何の根拠もなくそう言って、人差し指も入れた。今度はちょっときつくて、周りの襞を巻き込むようにねじ込む。
「ひっ、ぎっ……!」
あの人が痛そうに顔を顰めて、高い声を漏らした。
「すいません、すいません……」
俺はとりあえず謝ったが、止めなかった。
指2本咥え込んだそこは熱くて、ぬるぬるしていた。つい何時間か前まで、俺のモノを咥え込んでいた場所だ。
ここで、何人の男を呑み込んだんだろうか。
その感触を味わいながら、指を出し入れしたり、手首をひねったり、関節を曲げたりした。
徐々にその動きを大きくしていくと、グプグプと濡れた音が聞こえるようになった。
「ちゅうぎくん……」
槐さんがまた呼んできた。
「大丈夫ですって」
俺もまた言って、曲げた指を中に引っかけて、自分の方にグイッと引き寄せるようにした。
されるがまま、腰を突き出してくる。
「あ、あ、あっ!」
もう小声とは言えない声を上げながら、俺の腕を押さえるように両手で掴まってきた。
それでも、脚はしっかり立てている。嫌がられてはいない。
俺は薬指まで入れて、3本でかき回した。グチュグチュグチュッと聞こえるほどの音をさせて、肘から下を使って、槐さんの腰が揺れるほど激しくした。
「やっ、ああっ! ちゅうぎっ! ああ、ああぁ……!」
あの人は、らしくなく悲鳴みたいな声を上げた。
それでも、広げた脚は閉じずにいる。
むしろ大股に開いて、立てた足の指を床に着けたみたいだった。横向きの体勢が安定して、もっと動かしやすくなっていた。
「ちゅうぎ、ちゅうぎっ……、はあ、ああ!」
いつの間にか、“呼び捨て”になっていた。
それは心地良かったし、近付けたようで嬉しかったけど、色んな意味で間違っていると思った。
今、俺のしているのは、忠義立てでも何でもない。
ただ、自分が触りたいから。槐さんの乱れる所を見て、これまででまだ知らない所を知りたいから。
それに、ちょっとしたお仕置きの感覚もあったかも知れない。
しないと宣言したのに、誘ってきた。それなら、どんな目に遭わされても仕方ないと。自業自得という言葉が、この人にはよく合う。
俺の脳はやっと覚醒して、ほとんど力任せに、乱暴なくらい、夢中で腕を動かしていた。
かき回す水っぽい音は、大きくなって、部屋中に響いている気がした。
ついに、あの人は目を閉じたまま、
「あああっ!」
と、大声を上げて仰け反った。
薄い体や、膝を追った脚が、痙攣みたいに震える。ぎゅうっと指が締め付けられた。
それから、腰を揺らしてしまうのが止まらなくなったらしい。床の上で、俺に向かって、へこへこと前後に振り続けている。
上の口は開けっぱなしで、下の口には俺の指を咥えたまま。
情けないし、いやらしいし、下品だった。
痙攣がおさまっても、まだ時々、びくっ、びくっと震えていた。
もう俺も腕や手が疲れて、限界だ。普段は手作業や力仕事をしているとは言え、仕事とは動かし方がまったく違う。
でも、からかうつもりで少しだけ、まだ挿入したままの手を動かしてみた。
途端に、槐さんが俺の着ている浴衣を掴んで、すがってくる。
「も、もう無理、無理だ……勘弁してくれ……」
あの人が初めて、泣き言を吐いた。涙をいっぱいに溜めた目が、暗い中で光っていた。
自分が出さずに済んで、この人が満足してくれるなら、これも良いのかも知れない。そんな考えが過ぎった。
「ベッド、戻ってください。明日も俺、いるんで……」
疲れた俺が眠気に引きずり込まれながら言うと、ようやく槐さんの体温は離れていった。
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