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第一章 ボーイ・ミーツ・パパ②
後から現れた真生のために、若い女性の従業員がテーブルに水の入ったグラスを丁寧に置く。佳嘉の向かい側に座った真生は掛けていたスポーツバッグを下ろし、座席の奥へと置いて身なりを整える。
まだ合流してから間もあかず、身なりも整っていない真生に向けて佳嘉はクラフト封筒をすっと差し出す。
「先に、渡しておくよ」
真生は小さく「あ」と声をあげ、テーブルの縁を掴むようにして手をつくと佳嘉に向けて深々と頭を下げる。
会釈をするように佳嘉も頭を下げ、真生が封筒へ手を伸ばしその中身を確認する様子を見やると、端に追いやったソーサーを再び自分の前へ持ってくる。
漆黒の液体がわずかに水面を揺らし、店内の照明を反射させる様子に目を細める佳嘉は、冷めぬうちにとコーヒーを口に運ぶ。
「こんなに……!」
驚きの声をあげる真生の手にはクラフト封筒から覗く二枚の一万円札があり、真生の表情が高揚に緩んでいるのが見てとれた。
通常初対面の顔合わせでの相場は一万円であり、その倍の二万円となれば真生が驚くのも無理はなかった。
佳嘉が真生に声をかけたきっかけはSNSの投稿で、タイムラインに載せられていた写真のどれも真生が美味しそうにスイーツやファストフードを頬張るものだった。
少しでも食生活の足しになればと佳嘉自ら申し出た今回の話だったが、封筒に収められた金額に真生が表情をほころばせたのは一瞬で、すぐさま何かを疑うような上目遣いを佳嘉へと向けられる。
「今日って顔合わせだけ……でしたよね?」
真生の言葉から危惧している感情の意味を理解した佳嘉は、カチリと小さな陶器の音を響かせてカップをソーサーの上へと戻す。
相場よりも高い金額を渡されれば、顔合わせ以上のことを求められるのではないかと不安に思ってしまうのはもっともで、テーブルの下で長い脚を組み直した佳嘉は真生を安心させるために正面から視線を向ける。
「学校のあと、わざわざこんなところまで足を運んで貰っているんだ。交通費として考えてくれたら嬉しいよ」
お互いの生活圏から離れた、もしくはその中間となる地点で初対面の場を設けるのは暗黙のルールで、それは万が一にもお互いの関係者に顔を見られ、声を掛けられるようなリスクを避けるためのものだった。
「あっありがとうございます!」
不安要素が無くなった真生は途端に晴れやかな表情へと戻り、受け取った封筒を胸元で大事に握ると再び佳嘉に向けて礼を述べた。
たかが数時間の顔合わせに二万円を支払うことは佳嘉にとっては痛手でもなんでも無かった。そのくらいの出費が惜しくない程度の稼ぎはあったし、それだけの価値が真生にあると感じていた。
受け取った封筒をスポーツバッグにしまい込む真生だったが、ファスナーを上げるその瞬間独特なプラスチックの開閉音とは他に、空っぽの袋から空気を無理やり押し出すかのような重厚な音が店内に響き渡る。
それが真生の空腹からなる腹の音であるということに気付いたのは直後のことで、一瞬の静寂の後、周囲の客から微かな笑い声が聞こえる。それらは決して真生の腹の音を嘲笑するようなものではなく、あまりにも豪快に響き渡った元気のよさに対する堪えきれぬ思いからなるものだった。
「い、やあ……今日部活のあとそのまま来たもので……」
普段なら夕食時ともなるこの時間、代謝が良いであろう年代の真生が腹を空かせているのは当然の摂理で、とくに気に留める必要もなしと考えていた佳嘉だったが、視線を向ければ耳まで赤く染め恥ずかしそうにうつむく真生の姿が目の前にあった。
あらかじめその可能性を想定できていれば、もっと気軽に食事が楽しめる場所を選ぶことも出来た佳嘉だったが、自身の趣味嗜好から少し敷居が高めの喫茶店を選んでしまったことが愚策だった。
店を移すということも検討できたが、ただでさえ少ない時間の中これから改めて店を探すことは大きな時間のロスともなり、真生の空腹に対し、店を移す以外の手段を考える必要があった。
テーブルの端に置かれた革張りのメニュー表を手に取ると、軽食が掲載されたビニールページを開き真生へと向けて見せる。
「好きなものを頼みなさい」
「えっ、いいんですか!?」
当然食事代にかかる費用もすべて佳嘉の支払いであり、佳嘉は真生の時間と会話する権利に金銭という対価を支払うことになっていた。
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