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Prologue オムファタル③
【二十一時二十三分】
正義は居酒屋の裏口を出る。
閉まるドアの金属音とともに、厨房の熱気が一気に途切れる。
代わりに、夜の街の涼やかな空気が肌に触れた。
狭い裏路地。途切れ途切れにアスファルトを照らす電灯の光。
歩道沿いには、無造作に並ぶ原付、吸い殻、濡れた段ボール。
壁沿いの駐輪ラック。銀色の自転車には、前カゴに巻かれたチェーンロック。
正義は無言でチェーンを外す。わずかに引っかかる鍵が、甲高い金属音を立てる。外した鍵をカゴに放り込む。
片足を上げ、サドルにまたがる。
背後から響く厨房の排気音。遠くから聞こえるサイレン。生温い夜風。
ブレーキを握ったまま、静かにペダルを漕ぎ出す。
アスファルトを擦るタイヤの音。夜の住宅街。街灯の下を飛ぶ蛾。まばらな店の明かり。閉店したコンビニ。
信号のない交差点を抜け、坂道を下っていくと、緑の植え込みに囲まれた建物が見えてきた。
外壁は明るいクリーム色、木製のバルコニーがアクセントになっている。
低層ながらも洒落たデザインで、エントランス脇には小さなベンチと花壇。彼女の住むアパート。
建物の前で自転車を降り、通路の端に寄せ、立てかける。
バイト先で知り合い、付き合うようになった彼女。
資格取得の勉強を理由に、この数ヶ月はふたりで会う頻度も減ってきていた。
最後に会ったのは、もう一ヶ月近く前のことかもしれない。
外階段はコンクリート打ち放し、鉄製の手すりは黒に塗られ、無骨ながらも統一感がある。
他の部屋から漏れるテレビ音。二階の一番奥、淡いグレーの玄関ドア。表札はない。
ノックはせずに、ドアノブを回す。施錠されていない扉が、静かに開く。
地方出身の彼女は、何度言っても玄関の鍵をかけ忘れる。
正義はふと、足元に視線を落とす。
黒の革靴は大きめのサイズ。爪先には磨かれたような鈍い光沢。
隣に揃えられた彼女のパンプスとはまったく異なる気配をまとっていた。
リビングには薄暗い照明。ソファに丸められたブランケット。
テーブルの上に空のグラスと缶ビール。脱ぎ散らかされたジャケット。
床には通販の箱、くしゃくしゃになったハンドタオル。破れたスナック菓子の袋。
奥の寝室。半開きのドア。
ベッドの上に重なるシルエット。白いシーツが腰まで捲れ、露わになった肌。
男の背中。黒髪、筋肉質な肩。
その背にしがみつく手。かすれた笑い声。押し殺した吐息。
床に転がる、男物のベルト。財布。靴下。
寝室にこもるにおい。汗と体臭、アルコール。閉め切られた窓。時計の秒針。
きしむような微かな音。
正義は立ち尽くし、その場を動けなかった。
照明の灯りを受け、廊下の壁に伸びる影。
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