11 / 35
第11話
「いやぁ、でも浅見のあんな顔を見たのは、私も入社以来初めてでした。何より声をあげて笑うなんてねぇ」
浅見からCM出演の了承をもらった数日後、斗楽は打ち合わせのために再びアルタイルエンターテイメントに足を運んでいた。
前回の浅見の態度が余程珍しかったのか、応接室に案内された途端、桜田が夢中で感想を述べている。
「私はテレビの浅見さんしか知らないので、プライベートでは気さくな方なのかと……。でも、依頼を引き受けていただいて嬉しかったです。本当にありがとうございました」
テンションの高い桜田に気押されながらも、平常心を心掛けた返事をした。
「去来川さんの力説が効いたんでしょうね、きっと」
桜田が斗楽の方を見てニカッと笑った。
始末書ものになるか紙一重だった発言は、浅見の度量に救われた気がする。
「いえ、生意気なことを言って、本当にすいませんでした」
他社のCMを断ってまで引き受けてくれたのは、本当に嬉しかった。
櫓 でもあればそこに登って、太鼓の音とともに歓喜の声を響かせたいところだ。
斗楽の演説が効いたかどうかはわからない。
ただ、心で思っていたことをそのまま口にしただけの、何の作戦も攻略もない、感情のまま羅列した言葉だった。
それに、まだ不安はある。
CMの概要を知ったら、浅見さんはやっぱり無理だと断わるかもしれない……。
「熱かったですよね、去来川さん。でもそれが浅見に響いたんでしょうね」
あれこれ考えているところへ、桜田から興奮の眼差しを向けられた。
「あ、いえ。勝手なイメージで話してすいませんでした。でもそうおっしゃって下さって嬉しいです。では早速、今後のフローの説明をさせていただきますね」
桜田の興奮を宥めるよう、資料をテーブルの上に並べながら言った。
「撮影は山梨県河口湖の温泉旅館で、そこの離れを借りて撮影します」
「温泉?」
桜田が不意を突かれたような表情で見返してくる。
「はい。浅見さんには露天風呂に入っていただき、雄大な空と湖が広がる中で、富士山を遠目にアカペラで歌う、というコンセプトを考えております」
「アカペラ? 浅見が歌うんですか?」
一驚する桜田を予想していた斗楽は、ここからが正念場だと喉を鳴らした。
「はい、歌を、歌っていただきます」
穏やかだった桜田が顔を歪ませたかと思うと、困惑の表情に変わる。
「申し訳ないですが、浅見は歌わないですよ。私たちもこれまで何度も打診しましたけれど、浅見は首を縦に振らなかった。だから今回の件も無理だと思います。我々も浅見が歌から離れた理由を抽象的にしか知りません。けど、余程の理由が彼にあると私は思ってます」
大きなため息を吐き、桜田がソファに荒々しくもたれて落胆を見せる。
「それは重々承知の上です。それを踏まえての依頼をさせて下さい」
身を乗り出して桜田に詰め寄ろうとしたが我に返り、申し訳ありません、と深謝してソファに座り直した。
「桜田さん、一度でいいんです。浅見さんを説得するチャンスをいただけませんか? もし、どうしても無理なら、曲を流すだけにいたしますので」
苦肉の提案に桜田が口を一文字に結び、腕を組んで熟考している。
組んだ腕の先にある人差し指が、何かを生み出そうと小刻みに動く。
「お願いします、浅見さんの歌が流れると、視聴者はCMでもザッピングせず食い入って見ると思うんです。浅見さんの歌は、最高の演出になると思うんです」
自分の思いをゆっくり訴えた。
桜田からは唸り声が聞こえる。
少しの間を開けたかと思うと、不詳不詳ながらも、わかりましたと返事をくれた。
「浅見の強固な思いは覆ることはないと思います。それでもとおっしゃるのなら、一度説得してみて下さい。もし、浅見がその気になったら、我が社は万歳三唱ですよ」
桜田が大袈裟なほど肩で息を吐き、気持ちに弾みをつけるよう膝を叩いて言ってくれた。
「あ、ありがとうございます!」
斗楽はまたバネのように立ち上がると、腰を折るようにして深々と頭を下げた。
****
「お電話変わりました、去来川です。お世話になっております、桜田さん」
浅見への説得を宣言してから二日後、待ちに待った電話がかかってきた。
『去来川さん、急なんですが本日の十九時いかがでしょうか? 撮影があったんですが悪天候で中止になりまして、十九時以降はオフになったんです」
桜田の言葉に、斗楽は武者震いした。
「はいっ、こちらは大丈夫です」
「では十九時に事務所で。浅見にも来るように伝えておきます」
「かしこまりました。十九時にお伺いいたします、よろしくお願いします」
嬉々として返事をした斗楽は、そっと受話器を置くと、あまりの嬉しさにガッツポーズをした。
本当は、やったーと、大声で叫びたかったけれど、さすがに社内ではできない。
足元から沸々と湧き上がる熱が、血流にのって全身に巡ってくる。
かと言って浮かれてばかりはいられない。ここからが本番だ。
興奮とともに味わったことのない緊張感に襲われると、両手を握っては開くを繰り返す。
みなぎる力を本番で出し切れるよう、持てる力全てを体内に取り込む。
落ち着かないまま時間まで業務をこなし、斗楽は浅見の事務所へと足を運んだ。
ジャケットを整え、前髪を指で梳《す》いて身構えていると、桜田が現れた。
「去来川さん、急ですいません」
「とんでもない。こちらこそチャンスをいただき、ありがとうございます」
頑なに歌を拒む浅見を口説くのは容易ではない。
けれど浅見のアカペラ案は斗楽の提案だ。
言い出しっぺの自分が、浅見の首を縦に振らせないと。
応接室に通され、浅見との対面に心拍数は跳ね上がる。
「いえ、どうぞおかけください、じきに浅見も──ああ、来ましたね」
桜田が言い終わるのを待たずして、浅見が入ってきた。
覇者のようなオーラの再来に体は強張り、反射的に会釈をした。
けれど今の動きはロボットのように滑稽だったと、自分でも思う。
「きょ、今日はお忙しい中、お時間さいていただきありがとうございます」
平静を取り繕うと、「こんばんは、去来川さん」と、さすが俳優。
前回と変わらず、涼やかな笑顔で名前を呼ばれ、やっぱりカッコいいなと見惚れてしまう。 同じ空間にいることに呼吸困難になりそうだ。
「改めてまして今回のオファーを引き受けていただき、本当にありがとうございます」
頭を下げたあと、撮影プランやコンセプトの説明に入った。
露天風呂で撮影と、ここまで説明を終えると斗楽は浅見の様子を伺った。
黙ったまま話を聞いている視線が痛い。
この先の話を聞いた浅見の反応が怖い。
不安が勝手に顔から滲み出てくるけれど、ここまできたら貫くしかない。
斗楽は意を決して口を開いた。
「浅見さんには温泉に浸かりながら、日本酒を飲んでいただきます」
「ふーん、じゃ俺は脱ぐんだ」
「は、はい! すいません……でも上半身だけですから」
慌てる斗楽を浅見がからかうように尋ねてくる。
いつもなら明るく笑って返せるのに、今回はそうもいかない。
「で、その……浅見さんには温泉に浸かりながら、アカペラで歌っていただきます」
恐る恐る問題のワードを口にした。
案の定、浅見の綻んでいた表情が一気に曇る。
「歌か、それは──」
拒まれるのは承知の上だった。
浅見の笑顔が崩れ、薄氷のように触れただけで割れてしまいそうな瞳に変わる。
予想していた反応とはいえ、決心も揺らぎそうになる。
「わ、私は浅見さんが歌を手放した理由を存じません。けれど素晴らしい歌をたくさん歌ってこられたのは知ってます。それは私だけではなく他にもたくさんいます」
瞬きも忘れ、懇願するように語る斗楽とは反対に、浅見の顔は翳っている。
「去来川さん、やはり歌はちょっと難しいかと……」
不穏な空気を悟ったのか、桜田が申し訳なさそうに割って入る。
それでもCMには浅見薫の歌が必要なんだと、斗楽は力説を続けた。
「…………以前、雑誌のインタビューで浅見さんが話していました。『完全な絶望を味わったあとに残るのは、目の前の大きな壁だけ。』『それを乗り越えて向こう側に行ける人間になるために、今は自分から歌を取り上げた』って話を思い出したんです」
ここまで話た斗楽は、そっと一呼吸した。
浅見は黙ったまま、斗楽を見ている。
「浅見さんの前に挑むべき壁があるというなら、今回のCMをその壁を飛び越える踏み台の一つにして欲しいと思ってます。杜氏さんが弟さんの死を乗り越え、彼の夢を完成させた美酒を伝えられるのは、壁に挑む浅見さんが最適じゃないかと思ったんです」
一気に話し終えると浅見を真っ直ぐ見据えた。
「傷付いた心を癒したり勇気をもらったり、温かくすることができる方法は色々あると思います。その中の一つとして浅見さんの歌は、偉大な力が放たれると私は思ってます」
ちょっと、大袈裟でしたかねと恐縮し、頭を下げて再び嘆願した。
どうか歌ってもらえますようにと、願いを込めて。
「……わかりました。少し考えさせてください」
浅見がポツリと言った。
そのまま腰を上げかけたとき、「あの」と、斗楽は去って意向とする背中を引き止めた。
「お返事をいただける日に、少しでいいので時間をくれませんか。浅見さんにどうしても見てもらいたいものがあるんです」
ドアに手をかけようとする後ろ姿にぶつけるよう、声を張った。
少しの間を置き、浅見が肩越しに振り返ると、わかったと許可をくれた。
今はこのひと言だけで十分だ。そう思い、斗楽は頭を下げた。
「ありがとうございます。どうかよろしくお願いします」
ともだちにシェアしよう!

