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第13話

 雪村酒造の新商品CMが全国に放送された。  浅見薫がアカペラで歌っている、たった二十秒の映像が大反響し、ネットやSNSでも浅見薫が再び歌うのではと騒がれていた。  一方、商品の日本酒も注目を浴び、年配にしか好まれなかった酒のイメージが払拭された。  若者でも気軽に手に取るお酒としての橋がけとなり、幅広い層に望まれる商品としてメディアにも取り上げられていた。 「先日、雪村酒造さんから連絡があって、浅見薫を起用した宣伝効果で商品の売れ行きが大好評だそうだ」  日下部に会議室へ収集された斗楽たちは、嬉々とした表情で互いを労った。 「やったね、斗楽」  隣に座っている槇が、斗楽の耳元で称賛をくれた。  浅見の事務所を訪ねてから三日後、桜田から歓喜に満ちた声で連絡がきた。  彼の浮かれた声で聞くまでもなかったけれど、つい斗楽も、電話口で雄叫びをあげてしまい、日下部に大目玉を喰らってしまった。  ジェットコースターに乗った気分の仕事だったけれど、ご褒美のような案件だったなと、しみじみと噛み締めた。 「今回の功労者は去来川だな。お前、頑張ったみたいだし。赤坂から聞いてるぞ」 「ありがとうございます!」  斗楽の胸に、じんわりと達成感が広がる。 「この調子で次の案件も頼んだからな」  褒めて伸ばすを指針とする日下部の微笑みを有り難く頂戴し、任せてくださいと胸を張った。  世間に浅見の歌が浸透されてきたころ、CMで起用されていた曲が再リリースされ、オリコンランキングでもいきなりトップとなっていた。  現在の浅見の声で収録された曲が配信されると、ダウンロード数が一気に駆け上がり、テレビやラジオでも頻繁に流れ、世間を賑わせる結果となっていた。  仕事を終えた斗楽は外に出ると、すぐイヤホンを耳に入れた。  耳から身体へと順に浅見の声が染み込んでいく。  自然と目を閉じ、周りの景色を遮断するかのように浅見薫の世界に浸っていた。  通勤中も聴いていたのに何度聴いても足りない。  できるなら職場でも聴きたいけど、それはさすがに怒られる。  浸りすぎて目の前の通行人にぶつかりそうになり、慌ててイヤホンを外して謝った。 「危ないな、目を閉じたまま歩いたりしたら」  聞き覚えのある優しい声に振り返ると、背中に薔薇、いや後光を放った完璧な男が立っていた。  浅見さ──と、口にしそうになり、慌てて手で覆った。 「久しぶりだな、元気だったか」  黒ぶち眼鏡姿の浅見が、斗楽のすぐ後ろで微笑んでいる。 「あ、浅見さんどうして。ダ、ダメですよ。またこんなとこに来ちゃ」  浅見に会えて飛び上がるほど嬉しい反面、周りが気になって仕方がない。  変装か見えなくてかけているのか。眼鏡くらいでは浅見のオーラは隠せないのに、無自覚な呑気さに、ほんの少しだけ呆れてしまう。 「大丈夫だろ。それより今から飯に行かないか。斗楽君は予定ある?」  チラチラと浅見を見つけた視線が向けられているのに、本人はおかまいなしで、斗楽の答えを待っている。  本当のところ、今回のCMの件で斗楽は浅見に恨まれていると思っていた。  歌いたくない、今は歌うときじゃないという浅見を押し切り、彼に歌う選択をさせてしまったからだ。  けれど今、斗楽の目の前にいる浅見が、そんな後ろめたさを吹き飛ばしてくれたように思える。 「予定は……ないです」  安心した途端、浅見から食事に誘われている現実に、全身がじわっと熱くなる。 「なら、よかった。けど、俺は何度も声かけたんだけどな」  街路樹の側に停めてある車へ向かいながら、浅見が拗ねたような顔をする。  初めて見るちょっと子どもっぽい顔は、斗楽を一段と喜ばせた。  CM撮影に同行したときの浅見は、まるでそこに誰もいないかのよう、終始無言で仕事をこなしていた。  笑顔などなく、撮影が終わるまで神経を張り詰めたような眼差しだった。  歌に携わる真摯な姿に感慨深い気持ちが溢れ、けれど、これでよかったのかと不安な気持ちがずっとせめぎ合っている。  極上の笑みで食事を誘ってくれることを、答えと思っていいのだろうか……。 「す、すいません。イヤホンしてたものですから」 「ふーん、何を聴いていたのかな」  悪戯をする少年のような表情で、浅見が顔を覗き込んでくる。その顔は反則だ。  わかっているくせに憎らしいと思いながらも、浅見さんの歌ですと素直に答える。  案の定、「へぇー、浅見薫かぁ」と、したり顔をするから、ファンは翻弄されて困る。  どんな表情もカッコよくて見惚れていると、周りから怪しむ声が聞こえてきた。  ギョッとした斗楽は浅見の背中を押しながら、早く車に乗ってくださいと、囁いた。  近くにいた女性数人が、こちらへ近づいて来ようとしている。 「浅見さん、早くここから離れた方が──」  急き立てても本人は慌てることなく、斗楽を先に助手席に誘導し、浅見本人もようやく運転席に乗り込み、飄々としてエンジンをかけた。 「斗楽君、食事なんだけどホテルの部屋でもいい?」  前方に視線を向けたまま浅見が、片手を斗楽の膝に乗せてくる。  隣に乗るだけでも尋常じゃないのに、触れられるなんて失神しそうだ。  凝視することもできず、チラリと横目だけで見ると、信号が赤になったと同時にハンドルにもたれ、下から掬うように見つめられた。 「いいかな、斗楽君」と、蜜が滴るように呟いてくる。  蜜熟した表情に対抗できずにいると、信号が青に変わってしまった。  運転を再開する眼鏡越しの瞳が残した余韻で、肺に穴が空いたように息苦しさを味わう。  浅見の手がまだ斗楽の膝の上にあり、重みと温度が斗楽を勘違いさせてくる。  いやいや、ダメダメ。これはただのスキンシップだ。  邪な感情を持たないよう、何でもないフリで窓の外に目を向けた。すると、振動に便乗するかのよう、膝に置かれた大きな手が斗楽の手を包んでくる。  驚いて運転席を見ると、涼しげな横顔は片手でハンドルを握ったまま前を向いていた。  人見知りを覚えた子どものように顔を戻した斗楽は、そっと浅見を盗み見た。  もしかしたらこれは担当者への労いなのだろうか。  じゃなければ、浅見が自分なんかに特別な感情を持つわけがない。   手の温もりを嬉しいと思いながらも、自分はファンの一人何だと言い聞かせて大きな手を独り占めしていた。  二度目の訪問でも、浅見が過ごしている場所かと思うと緊張は半端ない。  壁一面を占める窓の向こうはインディゴに染め上げられ、その景色は相変わらず美しい。  星にも負けない人口の粒子が散りばめられ、小さな瞬きが斗楽の緊張をほぐしてくれる。  空が近いのかなと見上げると、欠けた白い月と一等星が辛うじて見えた。  夜の気配を眺めていると、窓に映る斗楽に浅見の姿が重なる。  後ろを振り返ろうとしたとき、浅見の両腕が斗楽を閉じ込めるよう、背中ごと抱き竦めてきた。 「あ、あの、浅見……さん?」  唐突の抱擁に戸惑い、包まれた腕の中で斗楽が身動《みじろ》ぐ。  すると、「ありがとう」と耳元に囁かれて必然的に動きが止まった。  声に意識を向けていると、腕の力がさらに強まる。 「早く斗楽君に会って、お礼が言いたかったんだけど、忙しくて会いに行けなかったんだ」  何のお礼? と、まずその言葉が頭に浮かび、振り返って浅見の顔を見ようとした。なのにそれを阻むよう、浅見の両腕が斗楽を閉じ込めようとしてくる。 「俺にもう一度、歌うきっかけをくれた斗楽君に、だよ」 「で、でも、それは俺が無理やり演出に組み込んでしまったから……」  浅見に歌ってもらう打診をしたのは斗楽だ、それも情に訴えるようなやり方で。  お酒をたしなみながら、温泉に浸かって鼻歌混じりに歌を口ずさむ。  それを斗楽は強引にと、思っていた。  だからと言って浅見を担ぎ上げた記憶もないし、歌うように煽動したつもりもない、と思う。けれど、浅見がと思っていたなら、恨まれても仕方ないと思っていた。  それなのに、礼を言われるとは夢にも思わなかった。  自分の思いを伝えようと無理やり体を捻り、後ろを振り向いた。  甘い香水の香りに目が眩む。  至近距離に憧れの人がいて、お互いの胸が密着している。  ふと、キスされたことを思い出し、全身が熱くなってしまった。  羞恥と緊張でおかしくなる前に離れようと、腕を突っ張って浅見から体を引き剥がそうとした。けれど、離れるどころか反対に腕を掴まれ、そのまま引き寄せられてしまった。  お互いの心音が混ざるほど、胸と胸が重なり合う。 「あ、あの。浅見さ──」 「斗楽君は俺の歌、どう思った」  突然の質問に返事に迷う。  歌声のことなのか、それとも歌った事実のことを聞いているのか。  逡巡しているとさらに深く抱き竦められ、けれど、受けた行為は心なしか怖がっているように感じた。 「……あの、取り敢えず離してもらえませんか。この状況はちょっと……困ります」 「困る? どうして」  浅見の顔が斗楽の首元に近づき、肩に乗っかったまま甘く囁いてくる。  首筋に吐息がかかり、浅見から発する香りが濃厚になると、フェロモンにあてられて、体がどうしようもなく反応してしまっていた。  浅見さん、いい匂い。でも、このままじゃ俺……。  浅ましい体なのがバレるのを恐れ、斗楽は思いっきり浅見の胸を押して物理的な距離を作ろうとした。けれどそれはあっさり覆され、再び広い胸の中に閉じ込められてしまう。 「どうして逃げる。質問に応えてないだろ。それに恥ずかしがらなくてもいい、わかってるから」  囁かれた言葉に心臓が凍りついた。  同時に羞恥心が湧き上がり、体中の隅々まで焼け付くように熱くなって涙が溢れそうになる。  どうしよう。ゲイだってバレている。しかもこんな反応したら、きっと気持ち悪がられる。  暴走する股間の熱を制御できず、耐えられなくなって顔を逸らそうとしたら顎を掴まれた。  そのまま角度を付けられて、浅見へと見上げる形に向けられてしまった。 「あ、さみ……さん?」 「斗楽君の下半身が反応してるのは、男が好きだからかな。前もキスしたとき、嫌がらなかったしね」  吐息がかかる距離で問われ、恐る恐る首を縦に振った。 「ご、ごめんなさい、すいません。き、気持ち悪いですよね。男の人が好きだなんて。それにあのキ……スも、浅見さんの冗談だってわかってますから。だから俺、忘れようと……。あ、あの、やっぱり今日は帰りますっ」  浅見の手を払い除けて体を翻し、拘束から抜け出した。  鞄を掴んで逃げようとしたけれど、リーチの長い手に捕まり、浅見が両手を壁に付けると、二つの腕の中に斗楽は閉じ込められてしまった。 「帰るのは早いんじゃないか? まだ飯も食ってないし、質問にも応えてない」  静かな声音で詰め寄られ、俯いていた顔をゆっくり上げて目の前の双眸を覗き込む。  真正面にある表情がどこか苦しげに見え、救いを求めているように感じた斗楽は、手を差し出して浅見の頬に触れてみた。  輪郭をなぞりながら、幸せでしたと、答えを告げた。 「幸せ? どういう意味?」  静かな声で問われると、斗楽は自然と笑顔を向けていた。 「俺……浅見さんの歌を聴いて、とても幸せでした。ほんの僅かな時間でも充分だったのに、浅見さんはまた歌うことを選んでくれた。それがどれだけ嬉しかったか」  虹彩が膨らみ、勝手に涙が出そうになる。  ずっと大好きで、繰り返し聴いていた歌を目の前で聴き、この上ない幸せだった。  そればかりか、また歌の道を進んでくれるなんて嬉しすぎる。  きっと同じことを思っている人は大勢いる。  浅見薫の歌を待ち焦がれ、喜んだ人たちが。 「幸せ、か」 「はい、幸せです」  満面の笑みで応えると、斗楽を閉じ込めていた腕が解け、浅見の頭が斗楽の肩に乗っかった。  甘えるような仕草に戸惑っていると、「よかった」と、か細い声が耳に注がれる。 「歌うまで、ずっと不安だったからさ。それにもう一つの心配事も今、解消された」 「もう一つ……?」 「そう。斗楽君が俺と同じなのがわかったってことがさ。さっきは嬉しくて、ちょっとからかいたくなったんだ」 「同じ? 同じって──」  言葉の意味がわからず、肩に置かれた浅見の顔を覗き込もうとしたとき、「俺、バイだから」と、打ち明けられた。 「だから、斗楽君の恋愛対象が男だってわかって嬉しかったよ。前はフライングでキスしちゃったから」 「お、俺、おれは……」  槇以外の人に知られてしまったことに動揺し、声を詰まらせていると、頬に口づけをされた。  また揶揄われていると思った斗楽は、自然と苦笑いになっていた。 「お、俺が浅見さんのファンだから、また、からかってるんですよね? あの、もう充分喜んでますから。だからもうこれ以上は──んんっ」  必死で張り上げた声は浅見の唇で塞がれ、背中を壁に押し付けられた。  重ねられた唇で深く貪られ、熱い舌が口腔に押し入ってくる。  淫靡(いんび)な水音が静寂の中に響き、羞恥で思考が翻弄されそうになる。  斗楽の口腔内で浅見の舌が好き勝手に暴れ、気性の激しい動きに対抗できない。  手から離れた鞄が落ちた振動で浅見に隙が生まれ、突き放そうと腕に力を込めた。  それなのに反撃は片手で阻止され、頭の上で一纏めにされると壁に貼り付けられてしまった。 「あ、さみ、さ——」  唇が一瞬離れた隙に名前を呼んでみた。けれど、すぐに声ごと飲み込まれてしまう。  激しさを増す唇と舌で、執拗なまでの愛撫を与えられ、斗楽の静まっていたモノが反応する。  布の下からもたげてくると、斗楽よりも大きくて硬いモノが下腹部に触れてきた。  止まない口づけのあとは、物足りないというように斗楽の首筋を舌が這ってくる。  快楽をじわじわと与えられ、斗楽の口は勝手に喜悦を漏らしていた。  肌に唇を押し付けられ、丁寧に舐め上げられると、今度は舌先で耳の中まで犯された。  口淫でほどこされる愛撫に抗えず、腰が抜けて立っていられなくなる。  崩れそうな体を浅見に軽々と持ち上げられ、そのままベッドに寝かされる。  体が沈んだ重みで浅見の香りが立ち込め、斗楽の意識をさらにおかしくさせた。  無防備な状況に呑まれていると、逞しい胸板が体に重ねられる。  いつの間にかジャケットは脱がされ、浅見の指でシャツのボタンを外されると、アンダーシャツをたくし上げられて上半身が露わになった。  白い胸に唇を落とされ、小さな突起の片方を優しく喰まれる。  反応した腰が跳ねると、はしたない言葉が飛び出しそうで、斗楽は慌てて口を手で覆った。 「何で塞ぐ。聞かせてよ、斗楽君の可愛い声を」  耳元に息を吹きかけるように言われると、たまらず背中が弓のようにしなやかな弧を描いた。  頑なに声を抑える斗楽の欲望を引き出そうと、情痴の匂いを纏った浅見の手技が止まらない。  舌で小さな粒を舐められ、反対側は潰しそうに指先で摘み上げられる。 「あぁ、はぁん……。あさ、みさ、ダメ、だめです……」  たまらず漏らした声に下半身が呼応するよう、唆り立ってきた。  斗楽の嬌声を満足そうに聞く浅見の手が小さな粒から離れると、斗楽のベルトを器用に片手で外し、スラックスを下着ごと剥ぎ取られてしまった。 「あ、や……だ。浅見……さんっ」  静止を促す声は無視され、浅見が斗楽の下半身へと顔を埋めてくる。  小ぶりな斗楽のモノが温かい粘膜に包まれると、先端を強く吸われた。 「ああっ、だめ……きた……ない、浅見さ、ん、あさ……っ、ン、んんぅ」  斗楽の喘ぐ声で浅見の口唇愛撫が激しさを増し、吸っては擦るを繰り返す浅見の探春(たんしゅん)が止まらない。  淫らな音が思考を狂わせ、斗楽は無意識に浅見の髪を掴んで乱れてしまった。 「斗楽君……可愛いな。もっと声をだして俺を翻弄してくれ」  煽情される言葉を囁かれると、薬物を摂取したようにもっと、もっとと欲してしまう。  浅見の指や口、舌。おまけに低音の甘い声が一斉に多幸感を引き出してこようとする。  憧れていた人から受ける刺激に意識は朦朧とし、斗楽のすべてが翻弄されていた。 「あぁ、も……う、もう、だめ、でちゃう。あさ……みさっ、だ、め、浅見さっ。ううぅ、くぅ。あぁっ」  耐えきれず放ってしまった白濁は、体のどこにも付着しておらず、息絶え絶えに見下ろすと、浅見が自身の口元を手の甲で拭っている姿が見えた。 「す、すいません。す……いません、俺、おれ、何てことを……」  自分が放った快楽の吐口を浅見の口にしてしまったことに、真っ青になった。 「何を謝る。こんなこと何でもないだろ、嫌いな相手じゃないのに」  嫌いじゃない……。それはどういう意味なのか。悦楽で鈍った頭で考えていると、浅見に見下ろされ、乱れた前髪に触れられた。  長い指は優しく斗楽の顔や肩、腰の輪郭を撫で終えると再び顔を包んでくる。  斗楽の頬に口づけをした唇は薄く開かれ、そこから耳を疑うような言葉が溢れてきた。 「……斗楽君。俺と……付き合ってみないか?」

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