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第18話

「絶対にダメです」そう言ったのに、浅見はまた会社まで迎えに来てくれた。  定時前にスマホが鳴って、浅見から食事に誘われた。それはすごく嬉しい。けど、自分が有名人なこと、自覚してほしい。  浅見の車で向かったのは、都心を少し離れた日本料理の店。  趣ある庭園の中に佇む離れに案内され、浅見と向かい合って座る。  まるで、ドラマの見合いシーンのようだ。 「斗楽君、元気だったか?」  久しぶりの浅見の笑顔に、飲んでもないのにもう頬が熱くなる。  斗楽の部屋で過ごしてから一度も会えず、僅かなメッセージのやり取りだけが支えだった。  だから、今夜のサプライズは喜びもひとしおだ。  思わず叫び出したくなるくらい、最高に幸せだ。 「元気でしたよ。浅見さんは忙しくて大変でしょう? 体調はどうですか」  ノンアルコールのビールを飲みながら、二人はお互いをねぎらう。  個室で人の目を気にしないで過ごせるのは、幸せの極みだ。 「ドラマの撮影はもう終わるけど、レコーディングが撮影の合間に詰め込まれたからね。ごめんな、連絡も大してできずに」 「いえ。忙しいのはわかってますから」  浅見が忙しいのは当然だ。  歌にドラマに取材など、売れっ子芸能人には休む間がないのは想像できる。  斗楽と会う時間など欠片もないと思うのに、時間を割いて食事に誘ってくれた。  これだけで十分だった。 「今日、斗楽君の顔を見ないとしばらく会えないからな。急に誘って悪かった」 「浅見さんからの誘いを断る理由なんて俺にはありません。でも、しばらくって──」 『しばらく』がどれくらいなのか不安になる。  斗楽は頭の中でカレンダーをパラパラとめくった。 「映画の撮影で、バリに一ヶ月程行くんだ」 「バリ──ですか……」  外国へ行ってしまう。  会えない理由が仕事じゃ仕方がないと理解しているけれど、感情は自然と落ちる。  でも……と、唇を左右に引き結んだ。  自分の長所は明るく振る舞うこと。  沈んでいると、相手も暗い気持ちになってしまう。  斗楽はいつものように、笑顔で浅見を見つめた。 「映画ってどんなですか? 浅見さんはどんな役って、それは聞いちゃダメか。あーでも、恋愛ものだったらちょっと嫌だなぁ」  息継ぎもせず、思いつく言葉を一気に吐き出す。  すると、向かいに座っていた浅見が立ち上がり、斗楽の隣に移動してきた。  肩と肩が触れ合うように並ぶと、浅見の腕が背中に回された。  斗楽の頭を抱え、自分の頭にコツンとくっつけるよう引き寄せられる。 「俺も寂しいよ、斗楽君の笑顔が見られないんだから」 「浅見さん……」  泣きそうになるのを全力で堪え、込み上げてくる寂しさと戦う。  そんな斗楽の心情を察してくれたのか、浅見の手に力が込められた。  二人の隙間を埋めるよう、片手で抱きしめられる。  吐息がかかるほど近くにいるのに、ふと、寂しさを感じ、浅見の腕を掴んだ。 「出発はいつですか……」と、広い胸に顔を埋める。 「来週の火曜だよ」そう告げられて、また、悲しみで押し潰されそうになる。  今日が金曜だから、あと四日後には出発……。  暫く寄り添ったまま黙っていると、浅見が口を開いた。 「今日もこのまま青森に行くんだ。で、そのままバリに行く流れになるかな」  低音ボイスがいつもは心地いいはずなのに、今夜はとても切なく聞こえる。  大好きな声が、寂しさを誘ってくる。  こんな暗い雰囲気で、旅立って欲しくない。  思いたった斗楽は、浅見の脇腹をくすぐってみた。 「こ、こらっ。くすぐったいって──あっ、ダメ、やめろ。……参った、降参!」  モヤる気持ちを追い払うよう、全力で浅見を笑わせた。  けれど簡単に手首を掴まれ、浅見の腕に囚われてしまった。  熱い眼差しで見据えられると、必死で虚勢を張っていた気持ちが崩れそうになる。 「浅見さん、気をつけて行ってきてくださいね」  潤みそうな目に力を込めながら伝えた。  今、少しでも触れられると、絶対に泣く。  それなのに浅見の手が優しく頭を撫でてくるから、とうとう雫があふれてしまった。 「寂しいのは斗楽君だけじゃないからな」  優しい声と一緒に、長い指が涙を拭ってくれる。  不安に襲われながら、斗楽は「はい……」とだけ返した。  言葉が真実かどうかは考えまいと……。  涙の原因はただ寂しいだけじゃない。  寂しさ以上の気持ちを、絶対に口にしてはいけないと、堪えているから。  もし、言えばきっと、奇跡のようなこの関係は消えてしまうのがわかるから……。 「斗楽君も仕事、頑張れよ」 「はい。俺は大丈夫です。だってお守りがありますから」  斗楽は自分の足首へ視線を送った。 「そうか、お守りか……」  そう言ったきり、浅見は口を閉ざしてしまった。  期待していた、『俺もだよ』の言葉は得られず、斗楽は心の中で肩を落とした。  空気がふわりと冷えたように感じて、斗楽は心の奥でひとつ、何かをたたんだ。  恋人になっても証のような二文字の言葉を、浅見からはまだ聞いていない。  俯いていると、「向こうから連絡するから」と、斗楽の頭頂部に口づけをくれた。  本当は唇にほしかったけれど、そんなことは図々しくて言えなかった……。

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