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第22話

 部屋のインターホンが鳴った。  今日は玲央が来てくれている。だから、来客の確認は任せた。    今の斗楽には、どれだけ気合を入れてもベッドから起きて出迎える余力はなかった。  貧血に栄養失調──  そんな弱った体に風邪までひいたのだから、仕方がない。  入社以来初めて会社を休んでしまった。  土日と合わせて寝ていれば回復すると思っていたけれど、熱は下がらないまま夕方を迎えてしまった。ここまで寝込んだのも、久しぶりだった。  いつものアポなし訪問で現れた玲央を、逆に驚かせる羽目になった。  楽しいデート帰りだったのに、申し訳ないと思う。  けれど「泊まって看病する」と言ってくれたから、今は素直に甘えることにした。  ──たぶん、心も体も、限界だったのかもしれない。  通話口を押さえて玲央が聞いてくる。 「『アサミ』だって。知ってる?」  ……知ってる。  全国民の八割は知ってるって、言いたかった。  でも、声を出す元気もなかった。  首を傾げる玲央が「どちらのアサミさんですか」と尋ねている。  返ってきた声は、懐かしいくらいに甘かった。 「俺だよ、斗楽君」 ──蕩けそうな声が、インターホン越しに届く。  二卵性といっても双子だし、男兄弟だから声は似ていると思う。  浅見が玲央を斗楽だと思うのも無理はない。 「取りあえずでるよ」  そう言って、玲央は玄関まで行ってしまった。  止めないといけないのはわかっている。  でも、訪ねてくれた浅見の心が知りたい。  斗楽は、ゆっくりと体を起こしてベッドに座った。  両手を祈るように組むと、玄関にそっと意識を向けた。  ドアを開ける音がする。  少しの間があって、浅見の声が聞こえてきた。 「あっ、えっと、ここは去来川、斗楽君の部屋……ですよね」 「そうですけど、どちらのアサミさんですか?」 「どちらの──そうか。……斗楽君に、どうしても会いたくて……すみません、夜分に。あの、浅見薫……です」 「あ……さみ、かおる──って、も、もしかしてあの、俳優の浅見薫ですかっ! 眼鏡かけてるからわからなかった──って、な、何で兄ちゃんの家にあなたが?」  驚く玲央の声がする。  無理もない。  あの、『浅見薫』が自分の兄の部屋を訪ねて来たんだから。 「弟さんですか、夜分にすいません。どうしても直接お兄さんに会って話したいことがあるんです」 「あ、兄は……体調が悪くて寝てます。急ぎなら俺が代わりに聞きますけど」  まだ玲央は動転している。滅多に聞かない声だ。 「体調が悪い? 病気ですか、それとも怪我? あの、大丈夫なんですか」 「熱があります。あと、寝不足と貧血もあって、メシもろくに食ってなかったみたいなんで。あの、芸能人のあなたが兄にどんな用があるのか知りませんけど、今日はお引き取りください」  ──浅見さんが心配してくれている。いや、あの人は優しい……。  浅見の声を聞いていると、また泣きそうになった。  逢いたい、顔が見たい。けれど、会えば何を口走るかわからない。 「……そうですか。では、これをお兄さんに渡してもらえますか。どうしても話があると浅見が言っていたと」  ──話なんてないはずだ。  たった一通のメールで、強制的に終わりを告げられたのだから。  おまけに、マスコミの報道で決定打を突きつけられた。 「はあ。でも、兄が連絡するかはわかりませんよ」 「構いません。どうかよろしくお願いします。今夜はこれで失礼しますので」  浅見の声が途絶えた。  ドアを閉める音、微かに聞こえる革靴の音が遠ざかって行く。  見えないのに、後ろ姿がまで浮かんで涙が止まらない。 「兄ちゃん、どういうことだよっ。何で浅見薫が──ちょ、何で泣いてるんだっ」  必死で歯を食いしばっていたけれど我慢できず、泣いてしまった。  玲央に肩を揺さぶられても、ただ唇を噛んで振動に身を任せるだけだった。 「なあ、聞いてもいいか。あの人とどんな関係なのか」  玲央の質問に唇をほどきかけ、でも、また引き結んでしまった。 「言いたくないならいいけど……」  双子だからか、言葉にせずとも伝わるものはある。  けれど、ゲイだと今日までひた隠しにしてきたことは、さすがの玲央も気付いてない。 「……玲央。俺はお前にずっと、黙っていたことがあるん……だ」  絞り出すような声で言うと、玲央が隣に座ってくれた。 「兄ちゃん、何でも話せよ。どんな兄ちゃんでも俺は変わらず大好きだからさ」  力なく膝に置いていた手を玲央が握ってくれる。   ちゃんと受け止めるから正直に打ち明けてほしい。そんな声が玲央の温もりと一緒に届いた気がする。 「あり、がとう。あのな、あの、俺は、その。ゲ、ゲイなんだ……。それで、そ、それで、あ……さみさんと、つきあって……。黙ってて、ごめ、ん」  粉々になりそうな声で告白をした。  大切な弟に嫌われても仕方ないと、覚悟をして。 「兄ちゃんが誰を好きだろうと、俺には関係ないよ。そりゃ驚いたけど……でも、兄ちゃんは、俺の大切な家族には変わりない」  手に力が一段と込められ、力強く玲央が言う。  心の中に焦げ付いて黒くなったかさぶたが、ポロポロとこぼれ落ちていく感覚。  まだ痛む傷口に、新しい皮膚の代わりにふわりと包んでくれる。 「あり、がと。玲央ならそう言ってくれると……思って、た」  掠れた声で言った。  玲央が背中を撫でながら、「もう、全部吐き出せよ」と、言ってくれる。  咀嚼せずに飲み込んだままの感情を、玲央が受け止めてくれようとしている。 「けどこれだけは先に言っとく。兄ちゃんが今弱ってる理由が浅見薫なら、俺はあの人を絶対に許さないからな」  弟の真剣な眼差しを受け止めると、斗楽は浅見との出会いから別れをゆっくりと語った。

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