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第29話

 白や紫の胡蝶蘭が、会場の入り口に埋め尽くされている。  豪華絢爛な受付では、招待された来賓者が賑わいをみせていた。  高貴な香水と花の香りにむせかえり、既に気後れしていた斗楽は、受付から少し離れた椅子へと避難していた。  正装した賓客が斗楽の前を、次々に通り過ぎていく。  煌びやかな人たちが会場に吸い込まれていく風景を見ながら、ふと、自分のスーツ姿を見下ろした。  忘年会の日に着て以来、クローゼットの奥に仕舞い込んでいた一張羅。  既製品とはいえ、清水の舞台から飛び降りる覚悟で購入したスリーピース。  きっとあの人たちが着ているのって、オーダーメイドなんだろうな……。  自分のスーツの何着分なんだろうと、どうでもいいことを考えながら、ここへ来たことをもう後悔している。  扉の向こう側の住人とは、あまりにも住む世界が違い過ぎる。  勇気を出して踏み込んだとしても、斗楽の存在など空中を浮遊する塵と同じで、邪魔なだけで誰の目にも留まらない。  ……もう帰ろうか。  そう思ったとき、遠くからざわめきとは別の、凛とした空気が近づいてきた。  その雰囲気に嫌な予感がして、今すぐ回れ右をしたかった。  けれど、「受け付けはこちらですよ」と声をかけられて斗楽の体が勝手に反応する。  招待状を出そうとしたら、「その方は私の招待客です」と、背後から声が聞こえた。  反射的に振り返ると、目の前にはロングワンピースを見に纏う文乃が微笑んでいた。  白い肩に羽織る真紅のオーガンジーが、彼女のオーラのように見えて、斗楽は圧倒された。 「ちゃんと来てくれたんですね、どうぞ入って」と、強引に中へと案内される。  扉の先に広がるバンケットルームには、煌めく装飾が乱反射し、テレビで見る芸能人や政治家たちに光の欠片を振り撒いている。  幻想的な雰囲気に怯みながら、斗楽は逃げ道もなく文乃のあとをついて歩いた。  文乃の背中を見ながら、斗楽は浅見と初めて出会った忘年会のホテルを思い出していた。  あのとき、ちょっとした興味本位で最上階へと足を運んで見た別世界。  同じような世界に生きる人たちが、今、斗楽のすぐ目の前にいる。  あのとき、浅見さんもきっとあのパーティに招待されていたんだろうな……。  煌びやかなホテルの最上階から、すごすごと肩を落として階下へ戻った自分が、今の自分と重なる。  白い招待状を持ってここへ来ても、場違いなことは自分が一番よくわかっていた。 「じゃ、私は忙しいので、適当に食べて飲んで、……薫を待っていてくださいな」  真っ赤な唇で告げると、文乃はどこかへと行ってしまった。  特別な場で浮いた存在を縮こませるよう、斗楽は円柱の柱に身を寄せていた。  周りではワインやシャンパンを片手に、賓客が楽しげに会話を繰り広げている。  柱の一部になったように斗楽が息を潜めていると、フッと場内の照明が薄暗くなった。  そして次の瞬間、壇上にスポットライトが照らされる。  司会の男性がマイクを片手にうたげの始まりを告げると、割れるような拍手を浴びながら、文乃が壇上の中央に立つ。  深々とお辞儀をしているその横には、タキシード姿の浅見がいた。  浅見……さん……。  二人が肩を並べて立つ姿を見た途端、斗楽は目を背けた。  足に力が入らず、縋るように柱へと寄りかかる。  文乃と並ぶ浅見は、初めて出会ったときより一段と凛々しく聡明だった。  壇上で微笑んでいる浅見は、斗楽のよく知る浅見ではなく、メディアで見る『浅見薫』だった。  割れんばかりの拍手に包まれている二人を見ると、あまりにも自分が惨めに思えた。  浅見の横に立つのは、文乃のような人がお似合いだ。  それをわからせるための招待なのだ。  斗楽は勇気を持って、二人に背を向ける。  少し歩いたあと、何かに引かれるように振り返った。  ライトだけじゃなく、自らが放つ眩しい光。  美しい二人に悲しくも見惚れてしまい、お似合いだなと、心から思えた。  大勢の人に祝福される二人は、長い年月を経てようやく結ばれるのだ。  浅見が側にいてほしいと言ってくれた日から、一通のメールも電話も斗楽の元には届かなかった。  それがどう言う意味なのか、鈍くて間抜けな自分にでもわかる。  浅見が言っていた文乃の恨みは思い込みで、ただ好きな人がお互いを選んだ。  それだけのことだ……。  現実を突きつけてくる大歓声に耳を塞ぎながら、外に出た斗楽は静かに扉を閉めた。

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