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第32話

 爽快な空と空気の中、たっぷり土にまみれて浄化した気分ではあった。  けれど、斗楽はどこか上の空で、時々、槇や朝日から心配そうな視線を浴びてしまった。    また二人に心配させてるじゃないか。 俺のいいところは、笑顔。笑顔だろっ。しっかりしろ、去来川斗楽!   自分で自分を鼓舞していると、「では、出会いにかんぱーい」と、朝日の声で我に返った。  斗楽たちは、朝日の実家で食事を堪能したあと、飲み足りないなと言った陽太の発案で、自宅から少し離れた場所にある居酒屋に足を運んでいた。 「先輩方、どうでした? 疲れてませんか」  斗楽のグラスにビールを注ぎながら、朝日が様子を伺ってくる。 「楽しかったよ、ありがとうな朝日。久しぶりに体動かしてスッキリした。夢中で野菜を収穫してたら、頭の中、空っぽになってたし」  「よかったっす、そう言ってもらえて。いきなり青森なんて、飛行機乗っても遠いし、断られるかなとも思ったんだけど。誘ってみてよかった」  心から安堵の笑顔を見せる朝日に、気を使わせていたことを心苦しく思う。  きっと、会社でも槇と一緒になって、気にしてくれていたんだろうな。  ほら、また気を使わせてる。  しっかりしろ、お前はもっと笑えるはずだ!    優しい親友、気遣ってくれる後輩に申し訳ない気持ちで一杯になる。  本当に自分は情けない。 「朝日、ありがとうね。私も楽しかった。ご両親もすごく良くしてくれたし」  槇がそう言うと、「今度は二人で里帰りだな」と、いつものように斗楽は冷やかした。 「な、何言ってるんっすか、斗楽先輩! そ、それより兄貴と圭介さんまだかなぁ」  照れくさいのをごまかすように朝日が席を立ち、わざとらしく入口の方を見ている。  するとタイミングよく、暖簾を掻き分けて、陽太と圭介がやって来た。 「あー、来た来た。兄き、圭ちゃんこっち」  ツナギ姿とは打って変わり、VネックのTシャツにスリムなデニムを着こなす圭介が、手を振っている。 「圭ちゃんは相変わらずカッコいいなぁ。それに比べて兄きは……おっさん丸出しだな」  ブカブカのカーペンターパンツを履き、煙草をふかしている陽太の姿に朝日がげんなりしている。 「お、なんだ朝日。なんか文句あるのか? 俺はこれが楽なんだよ、このおっさんスタイルがな」  握りこぶしを朝日のこめかみに陽太がグリッと押し当てると、朝日が悶絶して、ギブ、ギブと叫んでいる。  無邪気な兄弟の様子を見ながら、槇もお腹を抱えて笑っている。  圭介を見ると、呆れたように二人を見ていた。    昼間聞いた圭介と『カオル』の電話。  もう、斗楽の中では会話に出てきた名前の人物が確定している。  それなのに、〝まさか〟と思いたい自分もいた。   乾杯を仕切り直して、みんなで食事や会話を楽しんでいたら、店のスタッフが客を迎える声がした。  つい、反応して斗楽は入口に目を向ける。  店内のガヤガヤした笑い声にまぎれて、カツン、と硬い靴音とともに革靴のつま先が見える。  ふと、斗楽の胸にざわつきが芽生えた。  長い指が暖簾を掻き分ける。  その瞬間、斗楽は思わず「あっ!」と叫んで立ち上がった。  ──ま、まさか……。  「ちょっと斗楽、急に大声出して立たないでよ。びっくりするじゃない。どうしたの?」  槇に声をかけられているのがわかっていても、斗楽の視線は店の入り口で立つ客に釘付けになっていた。 「ど、どうし……て。な、なんでここに……」   斗楽の言葉で、全員がこちらへやって来る男性に目を向けた。  賑やかな居酒屋の一角だけが妙に静まり返り、固唾を呑んでいると、「久しぶりだな、圭介」と、黒縁眼鏡をかけた浅見が、圭介の方をジッと見ている。  浅見の目は斗楽のことが見えてないかのよう、振る舞っている。  冷たい態度にショックを受けていると、浅見を睨み上げている圭介が視界に入った。 「薫さん……。本当に来たんですね」  溜息混じりに圭介が言うと、「直接言った方が早いだろ」と、浅見が意味深な言い方を返している。  二人が対峙している中、斗楽は周りにいる客やスタッフの視線を気にした。  浅見薫だとバレないようにしなければ。  そんなことを考えてしまった自分に、はたと気付き、まだそんな行動をとる自分を情けなく思った。  もう、自分は『浅見薫』とは何も関係ない人間なのに……。 「圭介の家に行ったら、おふくろさんがこの場所を教えてくれたよ。お前、電話くらいでろよな」 「すいません……気付かなかったから」  伏せ目がちに圭介がポツリと言う。 「まぁ、いい。こうして会えたから。ちょっと席外せるか?」  斗楽のことを視界に入れない浅見の態度が答えとわかり、斗楽の心は限界に達そうとしている。 「すいません。ちょっと圭介を借ります」  浅見がそう言うと、強引に圭介の腕を掴んで店を出ようとしている。 「ちょ、ちょっと薫さん。何する──」 「斗楽!」  圭介の言葉を遮るよう、浅見に名前を呼ばれた。  心臓が激しく浅見に呼応し、斗楽は恐る恐る顔を上げた。 「圭介と話しがついたら必ず会いにくる。待っててくれ」  予想外の言葉が浅見の口から飛び出した。  斗楽は頷くこともできず、圭介を引きずるように連れ出す浅見の背中を見ていた。  店内にはざわめく客の声、スタッフの接客、それらが賑わっていたのに、斗楽たちの一角だけが静まり返っている。  その中、口火を切ったのは槇だった。 「ねえ……斗楽。どういう……こと?」  瞬きもせず、放心状態になっていた槇がポツリと言った。  横を見ると、朝日も同じような顔をして斗楽を見てくる。    どうしよう。まさか、青森まで来て浅見と会うなんて思いもしなかった。  どこから話せばいい? 忘年会の日? それとも恋人になって、そして、フラれたところから? 文乃ことは、どう説明する?   兄妹だと思っていたらそうじゃなくて、でも二人は元恋人で。  そして今、二人はよりを戻そうと婚約を……した……。  時系列を頭の中で考えていると、招待されたパーティを思い出した。  壇上に並ぶ、お似合いの二人……。 「ちょ、ちょっと。斗楽、なんで泣いてるのよ!」  槇に言われて、初めて自分が涙をこぼしているのに気付く。 「え……、あれ。おかしいな、なんで──」 「斗楽……」  ぽろぽろと雫で頬を濡らしていると、「なあ、今の人って俳優の浅見薫か?」と、不思議そうな顔で陽太が呟く。 「ま、マジで浅見薫……だった。な、兄貴。何で、浅見薫は圭ちゃんを連れて行ったんだ? そ、それに……」  動揺を隠せない朝日が中腰になって陽太に言った。  視線がそのまま斗楽にスライドし、瞠目する朝日の目と絡まる。 「何でって──そりゃ、元バンドメンバーだからだろ。そっか。最近浅見薫が歌い出したのって、バンドの再結成を控えてたからか! で、メンバーの圭介を呼びに来たんだな。やるなー、圭介。引退してもこうやってあの、浅見薫が迎えにまで来るんだから」  戻ってきたらサイン貰っとくか、と陽太が言ってビールを飲み干している。  陽太の解釈に、槇と朝日は納得しながらも、視線はずっと斗楽に向いている。 「ねえ、斗楽。まさか、あの人と……ううん、いいや。斗楽が言いたくなったら話して。さ、陽太さん、飲みましょう! 圭介さんの分まで」 「お、いいねぇ。松田家の嫁に相応しい発言だ」 「ほら、朝日も。斗楽もよ」  そう言って槇にグラスを握らされる。 「槇ちゃ……」 「『必ず会いにくる。待っててくれ』って言ってたでしょ。だから、ちゃんと待っていよう。あの人と斗楽の関係はわからないけど、あんたが元気ないのが浅見薫のせいだってのはわかった。あの人が戻るまで──ううん、話が終わっても、斗楽が望むならそばにいるから。だから、待っていよう」 「槇ちゃん……。ごめ、ん。ありがと……」  切れ切れに呟くと、槇が肩を組んできた。  手にしていたコップを見ると、朝日が縁ギリギリまでビール注いでいる。  ふと香ばしい匂いがして前を見ると、陽太が「これ、うまいぞ」と焼き鳥を差し出していた。  「あ、ありがとう……ございます」  串を受け取りながら、斗楽は目頭を手の甲で拭った。  浅見が自分を探しにここまで来たんじゃない。  そんなこと百も承知だ。  だいいち、青森の朝日の実家に来ている情報なんて、浅見に知る手段はない。    偶然なのはわかっている。  そして、そのベクトルが圭介に向いていることも。    ——きっと、別れを告げられる。  あれだけ盛大に文乃さんとの関係を公表したんだ、俺の存在はもう、邪魔なだけ……だ。  会うのが怖い……。  でも、もう、そう思うのも今夜で最後にする。  斗楽は横にいる槇を見た。  次に向かいに座る朝日、そしてその横で豪快に笑う陽太。  浅見に何を言われても、覚悟はしている。  それも、今まで以上の。  悲しくて泣いても、自分には寄り添ってくれる人がいる。  家に帰って、玲央に思いっきり甘えたっていいんだ。  自分を慰める方法を、斗楽はもう知っている。  不意に背中を思いっきり叩かれた。  横を見ると、槇がニッと笑っていた。  斗楽はこの痛みを糧に、浅見の心に挑む決意をした。

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