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クマ屋敷
屋敷の来客室に通されたカイラは、座り心地の良い革張りのソファに腰掛けながら周りを見回していた。
高級そうな家具類はよく磨かれており、いつでも客を迎え入れる準備をしていた様だ。
大きな飾り棚には、クマをモチーフにした置物が所狭しと並べられている。
(よほどのクマ好きなんだな……この屋敷には何匹クマがいるんだろう)
カイラは密かにこの家を「クマ屋敷」と呼ぶ事にした。
窓を見れば木々や草花が植えられた中庭が広がっており、部屋にいながら季節を感じられる。
(綺麗な場所……こんな所に住めるなんて幸せだなぁ)
とカイラは穏やかな気持ちで庭を眺め続けた。
(どうしよう、舞い上がって通してしまった)
応接室の扉の前に突っ立ったハルキオンは、早々に後悔していた。
(確かにケーキもジュースもあるけど、いつも買ってるやつしかないや……まぁ、何も出さないよりはマシか)
「ご主人! お茶冷めるよ?」
お盆を手にしハルキオンの背後にいる白いクマが、自身の主人を急かした。
「あぁ、ごめんね、モイ」
深呼吸をして、ハルキオンは応接室のドアをノックし開いた。
「やぁ、お待たせしました」
白いシャツと黒いスラックスという、カイラから見ればやや堅苦しい服装。
その上手袋まで嵌めて肌の露出を極限まで抑えている。
(暑くないのかな)
カイラは不思議に思いながらソファから立ち上がった。
男の後ろについて来たのは……カイラを出迎えたムイというクマの色違い。
「お茶をお持ちしましたー」とお盆を持ちながらトテトテと歩き、カイラの前にブドウジュースが入ったグラスを置いた。
「彼は白クマのモイです」
「はじめましてー」
カイラは奇怪なぬいぐるみにペコリと頭を下げる。
「あの……ええと、あなたをどうお呼びすれば良いのか」
男はしまったと声を上げる。
これからする会話に夢中になり、基本を……名乗る事をすっかり忘れてしまっていたのだ。
「すみません、自己紹介が遅れてしまいましたね。私 はハルキオン・ブラッドムーンと申します」
と名乗る彼の礼は恭しく、教養の高さを感じる。
それもそのはずだ。彼の様に苗字を貰えるのは貴族や豪商といった身分の高い者のみであり、それ相応の教育を受けているのだから。
だが……カイラは、彼の話し方にやや違和感を覚えている。
カイラも彼に倣って立ち上がり、ペコリと礼をする。
「僕はカイラと申します」
「カイラ……さん」
と実に嬉しそうにカイラの名を呼び、ハルキオンはソファに腰掛けるよう声をかけた。
「ケーキもお持ちしましたー」
トテトテと歩く白クマのモイが、今度はケーキを運んできた。
真っ白な生クリームと、艶やかな赤い果実。
冒険者には滅多に食べられない上等なケーキだ。
カイラは思わず唾を飲み込む。
「お気に入りの……店。からいつも買っている物ですが」
「いただきます」
カイラはフォークでひと口分のケーキを取り、口の中へ入れる。
途端に広がる上品な甘さ。
歯が無くとも食べられるのではないかと思うほど生地がふわふわと柔らかい。
果実も新鮮であり、程よい酸味がケーキの甘さを更に引き立てている。
「気に入っていただけましたか?」
「はい……! 凄く、美味しいです!」
カイラは目を輝かせた。
「良かった」とハルキオンは運ばれたティーカップを手に取ろうとして……手を止めた。
(……なんだか暑い)
服のせいではない。
妙に体が火照るのだ。
熱? 風邪? ……いや、そんな兆候は一切無かった。
(カイラさんと会った時から、なんだか……)
ハルキオンは湯気が立つティーカップを手に取るのをやめた。
ふと、ハルキオンはカイラを見る。
「んふ……ふふふ」
自分にとっては普通の菓子を、目の前の少年は実に旨そうに食べている。
それがなんだか愛おしく、自分にあるはずが無い父性が刺激される。
(小さくてふわふわな……まるで、クマのぬいぐるみのように可愛らしくて……)
ハッと我に帰る。
(ぺぺの命の恩人になんて事……を……)
自身の体の変化に気付き、ハルキオンは軽いパニックに陥る。
(どうしよう、せっかくお客さんが来てるのに、どうしようどうしよう……)
「どうしたんですか? ハルキオンさん」
ハルキオンの異常に気付いたカイラは不安そうに声を掛ける。
その声が甘美な響きとなりハルキオンの頭で反芻する。
「……すみません、カイラさん。誘っておきながら……その、体調が」
「えっ、大丈夫ですか?」
「えぇその、ご心配なく……モイが対応しますので」
と言いながらハルキオンはフラフラと立ち上がる。
「失礼いたします、すみません」
と早足で部屋を後にした。
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