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エディ嬢
ギルド内に静かな歓声が上がった。
荒くれ共の巣窟には似つかわしくない、それはそれは麗しい女性が現れたからだ。
栗色の緩く巻いた長い髪に、サファイアの如き深い青の瞳。上品な印象のメイクが良く似合っている。
エンジ色のロング丈のワンピースに、同色のキャノティエと呼ばれる帽子が良く似合う。首元は黒のネックコルセットというコケティッシュな印象のアクセサリーで覆っている。
女性はしばらく酒場を歩いた後、咳払いをしてとある男の隣に立った。
「お隣、よろしいでしょうか?」
見た目に違わず、まるで鳥の囀 りのような声だった。
「……誰。知り合いじゃないよね」
男は面倒そうに返す。
「お初にお目にかかります。エディと申しますわ」
女性……エディは冷たくあしらわれても微笑みを崩さない。
「他当たってくれない? 僕にはもう心に決めた人がいるんだからさ」
ギルド内で「女たらし」だの「スケコマシ」だの不名誉なあだ名を付けられている男が、美しい女性の誘いを断った。
男の事を知っている数名の冒険者がひそひそと話をし始めた。
銀の髪を後ろで一本に束ねた、紫の瞳が鋭い男。
双剣使いヴェルトである。
「あら、そうなのですか?」
エディは口元に手を当て微笑んだ。
「ではその方は今どちらに?」
「ホテルにいる。……もし僕のすぐそばにいたとしても、君には紹介しない」
「あら……では本当に心に決めた人がいるかどうか疑わしいですわね?」
(しつこい人だな)
文心に決めた人 がいるので、こんなどこぞの馬の骨かも分からぬ女などに付いて行く気は更々無い。
「その割には、少し寂しそうな顔をしていらっしゃったから」
「……はぁ」
「私 、寂しそうな人を放っておけないタチなんですの」
「知らないよ。そんなに寂しそうな人が良いんならハルなんちゃらの家に行けば?」
「は、る……?」
周囲の人間も含め、ヴェルトが誰の事を言っているのか分からず困惑する。
「それに寂しい人ならそこにいるよ、ね、ダッド」
「……っ! そ、そうだよ!」
突然呼ばれたダッドは笑みを見せながら立ち上がった。
ヴェルトはたまたま近くにいた、恋人が居ないらしい知り合いのダッドを指名する事で、何とかターゲットをすり替えようとしたのだが……
「うふふ嫌ですわ、貴方のような無粋な人」
と一瞥 されただけでハッキリ断られたので、ダッドは意気消沈し席に座り込んでしまった。
「……なんなんだ、君は」
ついにヴェルトの声色に少々の怒気が混じり始める。
(娼婦か、美人局か)
「ただの旅人ですわ」
ヴェルトの様子を気にかける事なくエディは答えた。
「なら君のほうが……女の人1人なのはおかしいんじゃない? 話したいなら旅のお供にでも話せば良いよ」
と面倒そうに頬杖を付いたヴェルトを見下ろし、エディは鼻で笑った。
「ここまで粘った方は久しぶり」
「奇遇だね、僕もだよ。……何が目的? お金?」
「そんな物に興味などございません。私はただ自信に溢れた殿方の鼻をへし折りたいだけ」
「……ふーん?」
意味が分からず、ヴェルトは訊き返す。
「ネタバラシしましょうか。そっちの方が面白そう」
とエディがヴェルトの耳元に口を寄せると、ふわりと甘い香りが漂う。
「実は私、男なんですの」
ヴェルトは失笑した。
「そんな見え透いた嘘____」
「本当さ」
それは先程までの鳥の囀りではない。ややハスキーな男の声だった。
「名乗らせていただこうか、私 はダーティ。こうして女装して男を釣るのが好きな……物好きな演奏家さ」
背筋が凍り付くような感覚に襲われ、ヴェルトは口を噤んだままだ。
「残念だよ。せっかくホテルまで誘って君の尻を滅茶苦茶にしてやろうと思ってたのに……お前、女にホイホイ付いて行きそうな顔してたからな」
ヴェルトは無礼な男の言葉を無視し、奴の顔を見上げる。
「……声も姿も身のこなしも、女性にしか見えない。実を言うとまだ君が女性なんじゃないかと疑ってる」
「なら試してみるか? 下品な話だが、男としての部分には自信がある。私は寂しそうな男を放っておけないタチなんだ」
「ハッ! ……丁重に断らせていただくよ」
「なんだ、つまらないな」とダーティはヴェルトに囁き、更にこう続けるのだ。
「明日このギルドで演奏をするんだ。もちろんエディ嬢としてではなく、演奏家ダーティとしてね。……エディ嬢の誘いを断るほど君が愛している人に俄然興味が湧いた」
「君なんかに紹介なんてしないよ」
「そうかい? うーん……なら、連れて来てくれたら面白いモノをお見せしようか」
「どーせ大したものじゃないんだろ」
「夢魔だよ」
ヴェルトの目の色が変わったのを見てダーティは妖しく微笑んだ。
「インキュバス。つまり男だがね……言葉通り彼はなんでもしてくれる。君の欲望を全て満たしてくれる」
もちろん、ヴェルトはそんなものに興味は無い。
初めての夢魔に関する直接的な情報だ。上手くいけばミキを捕らえる方法を知る事ができるかもしれない。
「僕1人では決められない」
「なら、その人と相談して明日ギルドへ来るかどうか決めると良い」
「……そうさせてもらうよ」
ダーティは満足気に口角を上げた。
「いいだろう。楽しみにしているよ……君の名は?」
「ヴェルト」
「ヴェルト……良い名だ。演奏家ダーティとして会えるのを楽しみにしているよ」
とだけ言い残しダーティはヴェルトの席から離れていった。
「……危なかった」
ヴェルトは某SFロボットアニメの総司令のように、両手を机に突いて組んだ。
(なんで最近男にばかり狙われるんだ)
ヴェルトは少し離れた席の男に声をかけているダーティの様子を窺い続ける。
少しして、ダーティがその男と一緒にギルドから出てゆく所を見て、ヴェルトは安堵の溜息を吐くと共に、珍しくその他人の尻が無事であるよう祈ったのだった。
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