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いざ別宅へ

 初めての特訓の翌日。  ハルキオンの祖父が建てたこの別宅は、ハルキオン邸よりも小さくやや古臭さを感じるが、それでも庶民の家とは比べ物にならぬほど立派である。  屋敷の前に3つの人影。  1人はいつも通りの緑のローブを羽織り、未だピカピカな杖を手にした半人前魔導士カイラ。  1人は銀の双剣を提げて剣士としての軽装に身を包み、横にいる男に敵意の籠った鋭い視線を向けているヴェルト。  最後はとことん肌の露出を嫌っており、右頬に大きな切り傷の跡があり、横にいる男の視線におどおどしている貴族ハルキオン。 「この前はカイラ君がお世話になったみたいだね」  ヴェルトは相手が貴族だというのにも関わらず、ハルキオンに対し敬語を使わず話しかけた。 「えっ、あぁ……いえ、私の方こそカイラさんにはとてもお世話になりました」  最初は戸惑ったものの、ハルキオンは澱みない口調でヴェルトに返す。  毎日話す練習を続けているのだ。少しでもマトモに見られるように、頑張って話そうとハルキオンは心の中で決意する。 「あの、ヴェルトさん?」  流石にヴェルトの様子に違和感を覚えたカイラは、不安気に彼に声をかけた。  だが、ヴェルトはカイラの心配をよそに更にハルキオンに話し続ける。 「言っておくけど。カイラ君は僕の彼氏なんだ。最近付き合い始めたんだよね」  ヴェルトはカイラの側に寄り小さな肩にポンと手を置いてハルキオンを睨む。  これは完全な牽制である。  目の前にいるハルキオンは、ヴェルトと夢魔のミキを除いて唯一カイラと性的な接触を持つ男。  夢魔が絡んでいたとはいえ、愛するカイラに下を扱かれ達したのだとか。  カイラに対して邪な思いを持っている可能性が高いと踏み、ヴェルトはこのような暴挙に出たのだった。 「ちょ……ちょ、ちょ、ちょ、ヴェルトさんっ!?」  突然何を言い出すのかと、カイラは頬を染め目を白黒とさせる。  ヴェルトの無礼な態度に対してハルキオンは、 「それは……おめでとうございます!」  本心から2人を祝福したのだ。  血塗られたブラッドムーン家に産まれたハルキオンは、自分の代でこの家を終わらせると誓っている。  恋愛感情などはとうの昔に売り飛ばしていた。 「……は?」  ハルキオンの反応が予想と違っていたのでヴェルトは困惑の声を上げる。  ヴェルトの様子を気にもかけず、ハルキオンは更に嬉々として話し始める。 「ならもっと丁度良いじゃないですか! この屋敷でお2人で暮らせば良いのです」 「……報酬の事はカイラ君から聞いてたんだけどさ。本当に良いのかい? こんなに立派な屋敷をもらってしまっても」  とても自分のような貧乏人が住んで良い家では無い。とヴェルトは屋敷を見上げ改めて思い知る。 「えぇもちろんです。むしろ使っていただけるなら、この家も嬉しいでしょうし」  売り渡すなり、人に貸し出すなりできるはずなのだ。これほど立派な邸宅ならば多くの金持ちが借りたいと考えるだろう。  しかし、目の前にいる男はそれを自分達へ渡そうとしているのだ。  「この家を調べて欲しい」というだけの依頼の報酬として。 「……変な人だ」  ヴェルトの呟きを聞いたハルキオンは冷や汗を流す。 (まさか。また何か変な事をやってしまった……かもしれない! どうしようどうしよう……) 「こんなに立派な屋敷があるなら、君が貸し出して家賃を取ればいいだろう?」 「……お金にはあまり興味ありませんので」  お金に興味が無いというのがヴェルトにはとても信じられない。 「やっぱり変な人だ」  ハルキオンは更に汗を掻き目を泳がせ、唯一安心できる人間のカイラに視線を送る。 「……ん? カイラさん虫刺されですか? 首が赤くなっていますよ」  とハルキオンは何気なく訊ねた。 「っ、そうです虫刺されなんです」  カイラは頬を染め、咄嗟に赤みを手で覆い隠す。 「珍しいですね、こんな時期に」  そう呟いたハルキオンは、ヴェルトが自分を見ながらニヤニヤ笑っている事に気付いた。 (……そっか! 今は笑いどころなんだ。よし、笑わなくては!) 「アハハハハハ」 「何笑ってんのさ気持ち悪い」 「すみません調子に乗りましたすみませんすみません……」  ヴェルトの冷酷な口調に驚いたハルキオンは頭を抱えて早口で謝り始める。 「ヴェルトさんやめてください。ハルキオンさんは繊細なんです」 (……死刑執行人が繊細とかそんな訳ないでしょ)  とは思ったが口に出すと確実にカイラに怒られるので、ヴェルトは「分かった」とだけ返した。 「そんな事よりそろそろ屋敷に入ろうか。鍵を開けてくれるかい?」 「あ、はい……分かりました」  ハルキオンはヴェルトに促され、持っていた鍵で玄関のドアを開けた。

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