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アイツ

 カイラとヴェルト。そしてもう1人を乗せた馬車が街を駆ける。  ノラの夢魔シトルから聞き出した頼りない情報……レザーに住む魔導技師クロウが夢魔であるという情報を得たカイラとヴェルトの2人は、クロウと繋がりがあると思われる魔導士マティアスの邸宅へと向かっているのだ。 『良いかいカイラ君。話し合いでは、まず相手をビビらせるのが大事なんだ。後ろにを置いておくだけでも、話し合いが有利に動くんだよ』  自信満々でそう語っていたヴェルトが連れて来た人物に視線を移し、カイラは申し訳なさそうに眉を歪めた。 「あの……ハルキオンさん。忙しい中呼び出してしまってすみません」  癖のあるグレイの髪に、血を思わせる光の無い瞳。顔は病的なほど白く、右頬に大きな切り傷の痕が残っている。  死刑執行人兼拷問官ハルキオン・ブラッドムーンその人である。  マジェスティック家は高名な魔導士の家系であり、長年レザーの貴族達に仕えているという。  それを超える権力者といえば、貴族や王族しかいない。  貴族であるブラッドムーン家のハルキオンを後ろ盾として持っていると知れば、マティアスも大人しく話を聞くと考えたヴェルトが連絡したのだ。 「いえ……お2人の頼み、ならば。すぐに、駆けつけますとも、えぇ」  相変わらずほんの少しの会話だけで相当なエネルギーを必要とするらしいハルキオンは、チラリとヴェルトの様子を窺い微笑んだ。 (なんだか、ヴェルトさんに頼りにされてる気がする……嬉しいなぁ) 「ハルキオン、何ニヤニヤしてんのさ」 「いえ、何でも……えへへ」  ハルキオンに対し嫌悪感と対抗心を剥き出しにしていたヴェルトが、彼とほんの少しだけ心の距離を縮めている。それを喜んだカイラは口角を上げたが、すぐに今朝の夢の事を思い出したのか表情に陰が差す。 (僕、なんであんな夢なんか)  恩師のガゼリオと同衾(どうきん)するという、絶対にあり得ない出来事。  ただの夢。それなのにやけに現実味を帯びていた。何故か挿入された感覚もまだ残っていて、時折体が疼いてしまう。 (まさか正夢? いやでも僕そんな予知能力みたいなの無いからなぁ)  カイラが突然静かになった事により、車内がいたたまれない雰囲気で包まれる。それに耐えきれなくなったハルキオンが口を開いた。 「そういえば。そういえば、お2人に差し上げたあの屋敷。住みやすいですか?」  問いかけにより渦巻く思考から抜け出したカイラが答える。 「ん……えぇ。家具も使い心地が良いし、書斎に残してくれた本も面白いのが沢山あるし、とても住みやすいですよ!」  『書斎』というワードに、ヴェルトとハルキオンの2人は少し眉を顰めた。それに気付かずカイラは更に話し続ける。 「その中でも『ローズ』って小説がお気に入りです」 「ローズ?」  小説など碌に読まないヴェルトは、屋敷に本を残した張本人であるハルキオンに目をやる。  しかしハルキオンもどのような本があったかどうかまでは把握していないらしく、首を傾げて『知らない』とサインを送る。 「恋愛小説ですよ。男性なんですけど、女性として育てられた主人公が、友達に男だってバレてしまって、色々な性的なイタズラをされるという____」 「また変態小説じゃないのさ! 頭が腐るからダメって言ったでしょ!」 「すみません、恐らくおじ……祖父の趣味です」 「君のお爺さんって変な人だったんだね」 「……そうかもしれません」  祖父の浅ましい遺産を思い出し、ハルキオンは苦笑した。 「ローズ、面白いのに……」  お気に入りの小説を再びヴェルトに変態小説と罵られたカイラは唇を尖らせたのだった。    ***  軽快に走る馬車は、遂に目的地へ辿り着き足を止めた。 「皆さ~ん、着きましたよ~」  馬車を運転していたムイに声を掛けられたのと同時に、ハルキオンは身分を隠す為に黒い仮面で顔を覆う。  まずヴェルトが車内から降り、エスコートするようにカイラへ手を伸ばす。  ヴェルトの手を取りゆっくりと馬車から降りたカイラの後を追い、慣れた様子で下車したハルキオンは目前の家を見上げて「えっ?」と素っ頓狂な声を上げた。 「よし、行こうか」 「ちょ、ちょちょちょ待ってください!」  邸宅へ向かおうとするヴェルトの手を、ハルキオンは手袋を嵌めた手で強く握り締めた。 「……何」  想像以上に握力が強いらしいハルキオンに少々驚きながらも、ヴェルトは面倒そうに訊ねる。 「まさか……まさか。話をする相手って……あの人なんですかっ!?」 「? 言ってなかったっけ?」 「……言われてましたっけ?」  実に間抜けでポンコツな会話を繰り広げる大人共に気付いているのかいないのか。少年カイラは神妙な面持ちでマジェスティック邸の呼び鈴を鳴らした。  少しして、「は~い」と間の抜けたドラ声で返事しながら、魔女のようなとんがり帽子を頭にちょこんと乗せた白クマのアマネが扉を開けた。 「わわっ、カイラ君だ~! こんにちいあ!」  カイラの事を気に入っているらしいアマネは刺繍の目をビー玉のように輝かせる。  だがすぐにカイラの後方にいる白髪頭の存在に気付き、「ん゛あ゛あ゛!」と激昂し目を吊り上げる。  初めて会った時に「ネズミ」と呼ばれたのを未だに根に持っているらしい。 「オ~マ~エ~また来たのか~! このぉ、シラガ頭ァ!」  ハァ、ハァ。と興奮で息を切らしながらアマネはファイティングポーズを取りヴェルトへ駆け出した!  ボディの大半が綿でできているので、風圧に耐えきれず背を逸らしながら走っているので滑稽だ。そのうえ……悲しいかな。充分早いのだが、剣士ヴェルトには亀の歩みよりも遅く見えている。  最早避けるのも面倒だと思ったヴェルトは、奴がこちらの間合いに入った途端に蹴り飛ばそうと判断し特に構えず迎え撃つ。 「ヴェルトさん危ないッ!!」  だがそれを見ていたハルキオンが危険と判断し、叫びながら咄嗟にヴェルトの前へ回り込む。そしてとても素人とは思えぬ正確無比なキックをアマネの腹にお見舞いしたのだ。 「ぐえー」  モロに喰らったアマネは大きく後方へ吹っ飛び、マジェスティック邸の外壁に背中からぶつかり「ぶへぇ」と鳴いた。 「ヴェルトさん、おっ、お怪我。は、ありませんか……?」  振り返り、蚊も殺せなさそうなほどオドオドとした態度でハルキオンはヴェルトに訊ねた。 「大丈夫だけど……」  まるで、小柄な乙女がキャアキャア騒ぎながら暴漢3人を同時にノックアウトさせた所を見てしまった時のような気持ちになり、ヴェルトは半歩下がった。 「良かった」  ハルキオンが微笑んだのと同時に、胸に足跡をクッキリと残されたアマネはムクっと起き上がり大泣きし始めた。 「ゔぇえぇ~~~~ん!!」  もちろん、ぬいぐるみなので涙は出ないのだが……子供のようにエネルギッシュな泣き声を上げ続ける。  流石に従者の叫びを聞き逃さなかった主人のマティアス・マジェスティックが扉の向こうから現れた。 「どうしたのだアマネ!」  腰を下ろし、アマネと目線を合わせ頭を撫でながら問いただす。 「鳥の巣頭がいぢめるの~っ!」  アマネが指差した方を、マティアスは「む?」と唸りながら見る。しばらく見つめた後、何かに気付いたように目を丸くしたのだ。 「……貴様、その鳥の巣頭……まさかハル坊か!?」 「「ハル坊?」」  カイラとヴェルトは同時に仮面男へ視線を送る。 「ハル坊は私の息子であるわ!」 「……ええぇえぇえぇっ!?」  カイラの頓狂な叫びが閑静な住宅街に響く中、敬意を払うようマティアスへ向き直ったハルキオンは仮面を外し恭しく礼をする。 「お久しぶりです。相変わらず、生徒を子供と、呼ぶのですね。……先生」 「……せんせぇ?」  マティアスとハルキオンが見つめ合う最中。カイラとヴェルトは困惑し続けた。

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