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昔話

「全く、貴様という奴は顔も見せぬからなぁ……」  マティアスはどこからか持って来たアルバムをそっとリビングの机に置いた。  既に椅子に腰掛けていたカイラ、ヴェルト、ハルキオンの3人はエンジ色の表紙に視線を落とす。 「ほれ、このアルバムの……ここだ。真ん中にいるのがハル坊である」  パラパラとアルバムを捲ったマティアスが指差した写真に写っているのは、3人の人物。  左側にいるのは背の高い女性だ。黒髪をお団子に結い、落ち着いた雰囲気の黒いワンピースを纏っている姿は百合のよう。  中央にいるのはハルキオン。恐らくカイラと同じくらいの年頃で、無邪気な笑顔には幼さが残っている。  右側にいるのが歯を見せるように笑うマティアスだ。昔の写真であるのは間違いないのだが、今と容姿が全く変わっていない。 「これ、何の写真なんですか?」 「昔、私はハル坊の家庭教師として魔法を教えていたのだ。その時の写真である」 「懐かしい……ですね」  ハルキオンは今は亡き母の顔を見ながら呟いた。 「あの頃は可愛かったなぁ。魔法の才は無かったが、真面目で勤勉で……昔の私そっくりである」 「でも今は真面目じゃないよ! アマネの事蹴るんだもん!」  胸に付いたハルキオンの足跡を綺麗に落としてもらったアマネがキッチンからやって来て、全員の前にハーブティーを置いた。 (またハーブティーか)  ハーブティーをただの雑草の煮出し汁としか思えないヴェルトは、顔に出さぬよう努めながらも心底うんざりした。 「これアマネ。ハル坊はな、貴様が突然ヴェルト殿に飛び掛かったから、守る為に貴様を蹴り飛ばしたのだぞ。貴様が悪い」 「ふーん!」  ご主人には逆らえないアマネは苛立たしげに鼻を鳴らし、プンプンしながらキッチンへ戻った。 「しかし……驚いたな。まさかハル坊とカイラが知り合いだったとは。貴様ら一体どこで知り合ったのだ」  ティーカップを手に持ちながらマティアスは興味津々といった面持ちでカイラに訊ねる。 「ええと……ハルキオンさんが落としたクマのぬいぐるみを、僕が拾って届けたんです」  そう。ハルキオンが親友と呼ぶ手乗りサイズの毛むくじゃらぺぺを、カイラが魔法を使って持ち主のハルキオンに届けたのだった。 「ぬいぐるみ? ……あぁ、なるほどな」  ハルキオンにぬいぐるみを持ち歩く癖があるという事を覚えていたマティアスは頷いた。 「それで? 皆で来たという事は、何か頼みがあるのだろう? ほれ、言ってみよ。ただし金を貸せという願いは聞いてやらぬぞ? ハハハハハ!」  笑い方すら偉そうなマティアスを前に、完全に計算違いだったとヴェルトは(ほぞ)を噛む。  権力者……しかも、死刑と拷問を司るというこの上なく危険な男を連れて来れば話が上手く進むと思ったのに。  マティアスがハルキオンの事を恐れているような様子は無く、むしろ歓迎しているように見える。これではまるで親戚同士の集まりだ。  そのうえ、マティアスとハルキオンがかつて師弟関係にあった事に驚いているうちにすっかり会話の主導権を握られてしまっていた。  しかし話さねばなるまいとヴェルトは腹を決めマティアスに向き直る。  鋭い紫の視線にマティアスは「むっ」と唸った。 「とある夢魔から、魔導技師クロウ……つまり、貴方の息子が夢魔だという事を聞きました」 「……ほぉ?」  マティアスは腕を組む。先程までの、「親戚のおっちゃん」といった雰囲気ではない。まるで「記者会見で痛い所を突かれた社長」だ。 「カイラ君にかけられた呪いを解く為に話さなくてはならない。僕らをクロウに合わせてくれませんか」  ふぅむと唸ったマティアスは、ゆっくりとハーブティーを一口飲むと、 「……遂にここまで辿り着いたか」  マティアスは悩ましげな溜息を吐く。 「ひとつ言っておこう。クロウと会っても何の情報も得られないだろう」 「な、なんでですか?」  カイラは恐る恐る訊ねた。 「私も訊ねたからだ。『ミキという夢魔を知らぬか』とな。しかし、クロウは知らんと答えた」 「嘘だ、そんなあっさりとした一言を信じられる訳が無い」  ヴェルトは疑心を剥き出しにする。ミキがカイラの夢に現れた時点で、クロウとミキに関わりがある事は確定しているのだ。  クロウに嘘を吐かれたか。それとも真実を知りながらクロウを庇っているのか…… 「私は信じるぞ。……親が子を信じられなくてどうするのだ」  マティアスの場合、前者だった。  時間さえ合えば魔法の訓練を受けにマジェスティック邸を訪れるカイラ。  植物騒動に対する贖罪の念と、カイラの魔法に対する真っ直ぐな姿勢に好感を持ったマティアスは、少しでも彼の役に立てればと思いクロウにミキの事を訊ねたのだ。  クロウから知らないと言われた以上、これ以上何も得られる物は無い。そのような中会わせれば、ヴェルトから拷問まがいの酷い目に遭わされるかもしれない。  睨み合う2人の視線が火花を散らした時。 「マティアス、ごめん」  突然リビングに現れた者の姿を見て、マティアスは目を見開いた。『何故今このタイミングで』という意の籠った声で彼の名を呼ぶ。 「クロウ……!」  瑠璃のボサボサな長髪と(つぶら)な瞳をもつ、やや大きめな黒いレザーのキャスケットを目深に被った少年に皆が注目した。 「俺、嘘吐いてた」  呆然とするマティアスの隣に腰掛け、クロウは客人に向かって話し始める。 「初めまして。クロウといいます」  帽子を自ら取り、頭に生えている角で自分が夢魔である事を明かしたクロウの簡単な挨拶に、カイラとハルキオンのみが反応した。 「カイラさんとヴェルトさんは、ミキさんと俺が繋がってるって事もう知ってますよね」 「な……!? そうなのか、クロウよ」  今日は何度驚けば済むのかとマティアスは唸る。 「うん、ごめん。……だけど、俺はお2人と敵対したくはありません」  クロウはカイラとヴェルトに向き直る。 「むしろ仲良くなりたいんです」  自分の存在がカイラとヴェルトにバレた以上、彼らと敵対するのは悪手。魔導技師としての静かな暮らしを捨て、遠くへ逃げなければならなくなるだろう。  その上、ミキから精気を貰っているクロウにとって彼らは餌だ。餌と喧嘩するほど馬鹿らしい事は無い。 「君と仲良くだって?」  ヴェルトは冷笑した。 「俺は魔導技師として、様々な魔道具を作ってきました。この前皆さんのお家にお邪魔してしまったクマ型のお手伝い魔道具もそのうちの1つです。……本当に、すみませんでした」  見た目の割に受け答えが割としっかりしているのは、人間よりも遥かに長寿な悪魔の一種だからだろう。 「そのお詫びといってはなんですが、お2人にお手伝い魔道具を1人無償で譲りたいと考えています」  その提案に誰より先に肯定的な声を上げたのはマティアスだった。 「ほぉ! それは良い考えであるな。カイラから聞いていたが、討伐依頼で屋敷を貰ってそこに住んでいるのであろ? 2人だけで掃除するのが大変であろう」  マティアスの言う通り、ハルキオンの祖父の別宅は2人がかりで1日中掃除しても全て掃除しきれぬ程の広さである。  もし家事をこなしてくれるお手伝い魔道具が1体いてくれれば非常に助かる。 「でも無償だなんて……悪いですよ」 「良いんですよ。俺も多くの人の手にお手伝い魔道具が渡ってくれたら嬉しいんですから。俺の家にたくさんいるんで、もし良かったら今からどうです?」  チャンスだ。とヴェルトは心中でにやりと笑った。  クロウの家に入れる。そうすれば、ミキに関する手がかりをつかめるかもしれない。  指示を仰ぐようにカイラに見つめられたヴェルトは小さく頷いた。 「じゃあ。せっかくなので、見に行っても良いですか?」  結局、部屋の広さを考慮しカイラとヴェルト、クロウのみが魔導工房へ向かう事となった。

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