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1−6【涼景×東雨🌺】白月、甘く滲む

<概要> ・リクエスト:みどりねこ様 ・カップリング:涼景×東雨 ・テイスト:切ないすれ違いの両片思い。 ・その他:冗談や、からかいが入って良い。東雨の可愛さ! ――――――――――――――――――――  夜の犀家は、静けさに包まれていた。  秋の冷気が庭に満ち、竹の葉がさらりと揺れるたびに、どこか遠くの音が風に紛れて運ばれてくる。半月が、かげりのない光をまっすぐに落とし、畑の胡瓜の葉も、銀に染められていた。  東雨は、回廊の一隅に腰を下ろしていた。  何もせず、ただ月を眺めている。それだけのことだったのに、気づけば随分と時間が経っていた。夜風が、さっきよりも強くなってきている気がする。薄い着物の裾がふわりと揺れ、首筋に忍び込む冷気が、寂しさを拾い上げてくる。  いかに温暖な歌仙でも、長く夜風を浴びては体の芯が冷える。  家人は皆、寝静まっていた。  ただひとり、犀星だけがまだ起きていた。だがそれは東雨のためではなかった。  今夜も、犀星は玲陽の部屋にいた。  傷を負った玲陽の手当てに、懸命になっているらしい。涼景の指示を仰ぎ、薬湯を煎じ、布を巻き替える。黙々と、丁寧に、まるで自分の命よりも懸命に。  そんな姿を、東雨は知っている。いっそ胸が痛むほどに。  ――ああ、自分は、そこには要らないのだな。 「さむ……」  つぶやきながら、東雨は肩をすくめた。冗談めかして言ったつもりだったが、唇からこぼれた吐息は、ひどく弱々しかった。  我慢していた。拗ねたって仕方ないと、分かっていた。それでも、自分の中の幼い部分が、「少しくらい見てほしいのに」と、駄々をこねている。  犀星は優しい。でも、優しさがどこに向いているかは、はっきりしていた。  そのとき、静かに木板が鳴る音がした。誰かの気配。足音は軽い。けれど、迷いのない足取りだった。  姿を現したのは、涼景だった。  右手に、木盆を持っていた。湯気の立つ粥の椀と、蜜漬けの棗が添えられている。ふわりと漂う甘い香りが、夜気をやわらかく裂いた。 「……おまえ、こんなとこで何してる」  声は低く、少しだけ驚いたような響きを含んでいた。 「ん? 月見です。風流でしょう?」  東雨は振り返らなかった。唇の端を無理に持ち上げたが、目元まで笑えた気はしない。  涼景は少しだけ黙ってから、側に立ち止まった。静かな動作だった。 「その粥、玲陽さまに?」 「ああ。さっき薬を飲んだから、少しでも食わせようと思ってな」 「……涼景様が自ら?」 「いや、星が自分で。俺がやると、あいつ機嫌が悪い」  苦笑まじりの声音に、東雨はくすっと笑った。 「そう、ですか……」  胸のどこかがじんとした。 「俺も……怪我でもすれば、あんなふうにしてもらえるのかな」  冗談交じりに言ったつもりだったのに、語尾がかすれていた。涼景は何も言わない。盆を置き、小鉢から棗をひとつ取り上げた。 「ん?」  不意に、涼景がそれを東雨の唇へと差し出してきた。 「え、ちょ、なに――んっ……!」  抵抗する前に、棗がそっと口の中に押し込まれた。 「……お前の口は、喋るより、食う方が似合ってる」 「なっ……!」  東雨は怒ったふりをして、頬をふくらませた。けれど怒っているわけじゃなかった。怒りなんて、最初からなかった。ただ――  ただ、心臓がうるさかった。  棗をくれた手が、自分の頬に触れた気がした。いや、触れてなどいないのに、そう錯覚するほど近かった。 「……あの」  棗を咀嚼しながら、東雨は言った。 「さっき、ちょっとだけ、勘違いしました」 「何を」 「口に、棗じゃなくて……唇が来るのかと」  ちら、と涼景を見る東雨の目は、昼間よりずっと大人びていた。  涼景の胸も、鼓動を早くした。  しばし、生真面目な顔で二人は見つめ合った。  ――本当に、このまま――  東雨の目が、隠しきれない期待に揺れる。  ごくり、と、涼景の喉が動いた。  夜の庭。月の光。誰も見ていない。  ここで何が起きても、ふたりだけの秘密になる。  虫の声がやけに大きく聞こえた。  少しだけ、涼景が体をかがめて東雨を覗き込む。  ――あ!  鼻がむずむずして、東雨は慌てて下を向いた。袖で覆ったと同時に、小さなくしゃみが出た。 ――なんで、今?――  視線をそっと上げると、涼景は少しだけ眉尻を下げて、ため息をついていた。  呆れたようで、でも――少しだけ困っているような顔だった。 「……風邪を引くぞ。戻れ」  それだけを言って、涼景は立ち上がった。木盆を手に、ゆっくりと玲陽の部屋の方へ歩いていく。  東雨は、その背を見送るしかできなかった。  彼の影が夜の廊に溶けていく。見えなくなったその瞬間、胸の奥に残っていた熱だけが、名残のようにじんじんと滲んでいた。 「……恋じゃ、ないし」  ぽつりとつぶやいた。誰も聞いていない。聞かせたくなかった。  月は、白々と照っていた。まるで全てを知っているかのように、ただ、真っ直ぐに。  静かな夜だった。  涼景の手は、暖かかった気がする。口に入れられた棗の味は、まだ舌の奥に残っている。  それでも、あれは“あの人”の優しさであって、自分だけのものではない。  ――ずるいなあ、と、思った。  優しさだけを置いていって、でも、誰のものにもならない。  涼景は、そういう人だ。  東雨は立ち上がらなかった。夜の冷えは、もうしんと肌に染みていたが、それすら心地よく感じるほど、体の奥が火照っていた。  ひとつ、深く息を吐いて、空を見上げた。  空は高かった。  手を伸ばしても届かないくせに、手を伸ばしたくなるほどに、美しかった。  まるで――あの人みたいだ。 ―――――――――――――――――――― 涼景と東雨は、自分たちでも気づかないけれど、完全に両片思いですね! 第二部で色々あるふたりですが、この時点ですでに気持ちは固まっていたと、ニヤニヤが止まりません。 いつか、十年来の恋が実りますように! (恵)

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