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第7話
休日。
母親は相変わらず仕事で家にはいない。俺はやる事もなく、天気のいい休日だと言うのに未だ部屋でごろごろしていた。
相澤先生の事をまた思い返してしまって、顔を両手で覆う。
胸が高鳴って顔が熱い。こんなのはおかしい。
がばっと勢いよくベッドを起き上がって、下へ降りて洗面所へいく。冷たい水で顔を洗って、壁に掛かっているタオルで顔をおもむろに拭いた。
半袖と半パンの適当な部屋着の格好のまま、重たい玄関を押し開けて外へ出る。
ひたすら外を歩く。初夏の生ぬるい風が肌を撫ぜる。照りつける太陽に、首元に汗が滲んでいた。
構わずひたすらに歩く。ぐるぐるとまだ熱は胸の中に籠ったままで、それを振り払うかのように足を早めた。
かれこれ30分くらい歩いていたような気がする。さすがに暑くなって大きなデパートを見かけたので中へはいる。よく効いたクーラーの風が汗ばんだ肌を冷りと撫でた。
適当に雑貨屋や服屋の前を歩いて通り過ぎる。本屋が見えて、手前に並べられた新刊の漫画に少し足を止めた。
最近はスマホで漫画を買って読んでいるから、紙媒体の漫画を見るのは懐かしい。手に取って試し読みの本をパラパラと捲ると、独特の紙の匂いがして、なんだか紙媒体も悪くないなと思って少し読み進める。
隣を小さな女の子が走り過ぎる。
こんな人の多い中あのスピードで走ると危ないのでは、と少し顔を上げる。
案の定、人にぶつかって女の子がつまづいて転ける。大きな声で泣き叫ぶ小さな女の子。おそらく3歳くらいだろうか。あの年齢だと大人の指示を聞かずに飛び出してもおかしくはないな、と思って、なんだかいたたまれなくなる。
「だから言ったのに!走っちゃダメでしょ!」
駆け寄る母親が、ぶつかった人に頭を下げて謝ったあと、きつく女の子を叱る。すると女の子はさらに大きな声を出して泣いた。
「ほら、もう泣かないよ。父さんが抱っこしてあげる」
参っている母親に、後から来た男が父親が優しく声をかけて女の子を抱っこする。
その声と後ろ姿が嫌に見覚えがあって、胸がぎゅ、と苦しくなる。
――父さんだ。
「パパあー、えーん」
女の子の泣き声が少し落ち着く。片手で抱っこして、もう片方の手で頭を撫でて優しく笑う。
昔俺を撫でてくれた時と同じように笑う父親の姿に、当時の感情が蘇る。
そうか。再婚してたんだな。
奥さんと女の子と幸せそうに並んで歩いて遠のくその背中を、佇んでただ見ていることしか出来なかった。
声を掛ける勇気なんて毛頭ない。
連絡を経ったのは自分が原因なのに、その事実をこんな形で突きつけられて酷く裏切られたような気になる。
胸が重く感じて、息苦しい。
デパートを後にして、逃げるように足早に歩く。
だんだんと早くなって重苦しい感情を振り払うように、思わず駆け出した。
暫く走るとさすがに息が上がって、膝に手をついて立ち止まる。道端の木陰に腰掛けてボーッとしていると、前から歩いてくる見覚えのある顔を見つけてぎょっとする。
「東條?こんな所で何してるんだ」
背を向けようとしたのに、先に声を掛けられてしまって逃げ道を絶たれる。
「相澤先生……」
いつもとは違う私服姿の相澤先生と道端で会うと何だか不思議な感覚にそわそわする。
「汗だくだな、走ったのか?」
まだ少し息が上がっている俺に気づいたのか、そう言って俺の前にしゃがみ込むとポケットから取り出したタオルハンカチを差し出す。
迷っていると、「まだ使った事ないからな」と念を押されておずおずと受け取って首に垂れる汗を拭った。
「ちょっと、運動しようと思って」
適当な言い訳をするとふうん。と言ってじっと見て首を傾ける。
「家からかなり遠いのに、健康的だな」
ちょっと待ってろ、と言って近くの自販機にいって、清涼飲料水を買ってきて渡してくれる。
「ほら、やる」
「……うん」
よく冷えたペットボトルを素直に受け取って、頬につけるともやもやした重苦しい胸の中も少しマシになった気がした。
「先生は何してたの」
「そこのスーパーで足りない調味料買い出しに行ってた。俺の家この辺なんだ。もう1個西の大通り沿いの、5階建てのマンションな」
「そんな詳しく言っていいの」
「別に東條は良いだろ。変なことしないって分かってるし」
「じゃあさ、家、行ってもいい?」
「え?」
相澤先生が驚いたように一瞬動きを止めて目を見開く。
「冗談じゃん、変態教師」
「俺は何も言ってないぞ」
からかわれた事に気づいて、ムッとしてそう言う相澤先生。子供のような態度が少しおかしくてふ、と笑う。
「ちょっとは気分晴れた?」
見透かすよにそう言われて、驚いて顔を上げた俺と目が合うと得意げにに、と笑う。その表情に胸がぎゅっと締め付けられる。
――やっぱり俺はこの人が。
そこまで考えて、ごろん、と芝生に横になる。
空を漂う雲がやけに白く見えて、さっきまで重苦しかった胸が嘘みたいに空いていることに気付く。
胸の中に残る暖かさに、俺はその感情を認めるしか無かった。
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