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第8話

午前の授業が終わって、昼休みのチャイムがなる。 また教室を出て一人で昼ごはんを済まそうと、席を立とうとする。すると目の前の席に上田がおもむろに座って、俺の机に弁当を置いた。 「昼一緒に食っていい?」 唐突にそう言われて困惑する。いつも上田とつるんでいる男子達も上田の行動を不思議そうに見ていた。 「……なんで?」 「駄目?」 首を傾げて迫られる。駄目かと聞かれても、駄目だとは言いづらい。相手がクラスの一軍で人気者の上田なら尚更だ。 「駄目じゃ、ないけど」 そう言って大人しく席に座り直す。 「やった」 ぱあ、と笑顔になって机の上でお弁当を広げると、食べよ、と楽しそうに笑う上田。 「東條の弁当めっちゃ美味そうだな」 「お手伝いさんが作ってくれてるから、栄養とか彩りとか考えてくれてるみたい」 「へえ、お手伝いさんとかいるんだ。東條ってセレブ?」 「ぜんぜん、普通だよ」 茶化すように言われて肩を竦める。セレブまでは言わないけれど、母親は会社をやっていて家は裕福な方ではあると思う。それをわざわざ言う必要はないと思って適当に流す。 「あ、その卵焼き甘焼き?」 「そうだけど」 「俺のだし巻き。甘焼き好きなんだよね、東條はだし巻き好き?」 「え、うん」 「じゃ、1個交換しよ」 「……まあ、いいよ」 何だか女子みたいな事を言うんだな、と思って少し笑う。上田に貰っただし巻き玉子を口に入れると、出汁の味が染み出て凄く美味しい。 上田も俺の弁当から甘焼き玉子をひとつ取って食べると「美味あ!」と大きな声を出した。 ちら、と上田が俺を一瞥する。 1泊おいて上田が話し出す。 「東條ってさ、この前相澤先生に送って貰ってたよな」 「え」 まさか見られていたとは思っていなくて、一瞬驚いて固まる。 「……不審者に追いかけられてたから、助けて貰ったんだ」 嘘は付いていない、本当の事だ。 たいていは個人的に相澤先生を脅して送って貰っていただけだが。 「そうなんだ?大丈夫だったの?」 前のめりになって本当に心配そうに聞いてくる。 「まあ、何もされなかったし」 「そっか、良かった」 俺の言葉に心底ホッとした顔を見せる上田は、本当に良い奴なんだろう。 それから上田は何か言いたげに机に肘をついてなあ、と顔を寄せる。 「相澤先生ってさ、良い先生だよな。生徒のことちゃんと見てくれてるし、困ってたらいつも声掛けてくれて、おまけに爽やかで格好いいから皆に人気あるし」 「……そう言えば、去年の体育祭のとき女子が変なうちわ作って相澤先生のこと応援してたよね。ラブとかキスとか書いてるキラキラのヤツ」 「あれな、ウケた。女子やりすぎ」 去年の体育祭、相澤先生は学年教師対抗リレーでアンカーをやっていた。ごぼう抜きで1位をかっさらう相澤先生に女子たちが変なうちわを振りながら黄色い声で興奮して騒いでいたのを思い返す。 上田の口から相澤が格好いい、という言葉が出てきて内心どきりとしていた。そして、何も知らずにそんな事をいう上田に何故かとても腹が立つ。 相澤はそんな風に言うほど完璧な教師じゃないのに。 「なあ、東條はどう思う?相澤先生のこと」 少し遠慮がちにけれど真剣な目でそう問いかけられる。 俺は体育倉庫で欲情に濡れた目で上田の写真を見て自慰行為していた相澤先生を思い出す。 あんなのが良い先生だと言われる世の中が、酷く憎らしい。 俺がどう応えるべきかと渋っていると、上田が窓の外を見て言った。 「あ、相澤先生だ」 俺も吊られて窓の外を見やると、相澤先生がヤンチャそうな生徒たちと楽しそうに話している。 普段ほかの先生には反抗的な態度をとる生徒も、相澤先生の前ではみんなああして屈託なく笑っている。 どの生徒にも信頼されていて、完璧な教師の鏡。 誰も相澤先生がとんだショタコン野郎だなんて露ほども思ってはいないだろう。 相澤先生がふとこっちを見て、目が合った。俺と上田が一緒に居るのを見て、少し不安げに揺れた瞳を見逃さなかった。 「おーい」と上田が手を振る。 おう、と手を上げて相澤先生も反応した。 「あのさ、」 思わず、口を開いていた。 「あんまり相澤先生ばっかり絡んでたら周りの生徒達から良く思われないんじゃないかな。相澤先生人気だし、上田のこと贔屓してるって思われると相澤先生も厄介だろ。あんまり絡み過ぎるの、良くないんじゃない?」 苛立つ感情に任せて、思ってもないことを口走ってしまう。 上田は苛立ちを含んだ俺の物言いに驚いたように一瞬目を見開いて、首をかいて苦笑する。 「そうだな、確かに……気をつけるわ」 気まずくなって、俺はさっさとお弁当を食べてしまうと席を立ち上がる。 「俺、用事あるんだった」 そんな適当な嘘をついて上田を残して逃げるように教室を出た。 *** ホームルームが終わって放課後。 人けの居なくなった教室に、俺は1人残っていた。 グラウンドからは野球部の掛け声が響く。 駐車場に行くと相澤先生の車はまだ残っていた。職員室を覗いても相澤先生の姿が見えなかったので、俺は教室でひとり時間を潰していた。 相澤先生、何してるんだろう。 昼休みの時間、上田と話をしていた時に不安そうな目で俺達を見ていたことを思い出す。 「東條、こんな所で何してる?」 相澤先生の低く通る声がして振り返る。 「待ってた」 「……待たなくていいのに」 肩を竦めて困ったようにそう言って、俺の席の隣に腰掛けて、体はこちらへ向けて座る。 「先生は何してたの」 「ちょっとほかの先生に呼ばれてな。用事終わって歩いてたら、教室に残ってる東條が見えて、気になって来た」 「そう」 「……そういえばさ、上田と昼間何話してたんだ?」 想像通りの質問をされて、乾いた笑いが出る。 腹の中がどす黒い何かに支配されていくのが分かった。苛立ちと若干の吐き気がして、気味の悪い感情に叫び出したくなる。 「そんなに気になる?そんなに上田のことが好きなんだ?」 吐き捨てるようにそう言った。 本当に気味が悪い。 ――どいつもこいつも、と思う。 相澤先生は俺の言葉に目を見張る。 どうして相澤先生がそんな傷ついた顔をするんだろう。 意味がわからない。 おまえが傷つく立場なのは、そんなのはおかしいだろ。 「あの事は話してないよ。上田が気の毒だからね」 声が苛立ちを含んで大きくなった。 どいつもこいつも、みんな自分本位で嫌になる。自己中心的で自分の都合を優先して、俺の気持ちなんてまるで無視で、そんな横暴に酷く辟易する。 「……東條、俺はただ、」 「ただ、何?自分の事ばかりで、恥ずかしくないの?――俺の気も知らないで」 「っ、待て!」 教室を出ようとして、相澤先生に腕を掴まれる。相澤先生のほうを見ると、苦しそうな表情で俺を見ている。相澤先生は何か言いかけるが、言葉は出てこない。 俺は無理矢理腕を振り切って教室を出た。 馬鹿だ。 ――俺は、馬鹿だ。 なんで相澤先生の事なんか待ってたんだろう。 何を言ってもらえると期待したんだろう。 俺の待ち望んだ言葉なんて、相澤先生から貰えるはずなんて絶対に無いのに。 胸がぎゅっと苦しくなって息が乱れて、視界が滲む。 こんなのは、こんな気持ちになるのは嫌だ。

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