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第15話

相澤先生 side 学校の仕事が休みに入って、実家へ親の顔を見に帰省していた。 実家は山を少し上ったところにあり、周りは川と畑と古民家しかないような田舎だ。 季節になると天然の鮎が釣れるような綺麗な川の水なので、夏にはバーベキューをしにくる家族連れや若い集団でいっぱいになる。 実家の玄関を開けると母親が出迎えてくれる。 「ただいま。元気してた?」 「元気よ。あんた、ちょっと瘦せたんじゃない?」 「気のせいだよ。母さん、心配性だからな」 「そうかしらね。父さんも、奥にいるわよ」 そういってリビングへ入って、そのまま母親はキッチンで食器を片付けに行く。 まさか父親が帰っているとは思っていなくて誤算だった。 普段は単身赴任で東北に出張していて、あまり実家にはいないからまさかこのタイミングで家に帰っているとは思っていなくて、気が重くなる。 こんな事なら母親に確認しておくんだった。 母親に続いてリビングに入ると、父親が読んでいた新聞から顔をあげてちら、とこちらを見た。 「|弘《ひろむ》、帰ったか。最近どうなんだ」 「変わりないよ。元気でやってる」 「そうか。ならいいが、お前そろそろ結婚とか考えないのか。お前ももう27なんだし、そろそろ落ち着いたらどうだ」 「結婚って、相手もいないのに」 これだ。これを言われるのが嫌で、会いたくなかった。 「彼女は、いないのか」 「あのさ、俺はゲイだから男しか好きにならないし、女の人とは付き合えないって前から言ってるじゃん」 「いつまでもそんなこと言ってないで、一度くらい女の人と付き合ってみればそれも治るかもしれないだろう」 「あのさあ、そういう問題じゃなくて……。とにかく俺、結婚はしないから」 話していると疲れてきてそう言い放つと、父親がはあ、と深いため息をついた。 ため息をつきたいのはこっちのほうだというのに。 物心ついた時から、惹かれるのは同姓ばかりだった。 高校生の時は同級生の友達に恋をして気持ちを伝えるのが怖くてなにも言えないまま、人知れず失恋したりもした。自分の年齢が上がるっていくにつれて、恋愛対象の年齢が高校生以下の男の子ばかりな事に気づき、自分の性癖が人とは著しくズレてしまっている事に酷く悩んだ。 それでも幼さの残る少年の眩しさに抗えず惹かれてしまう。 そんな自分が気持ち悪くて、誰もこんな自分を認めてなんてくれない世の中で、生きていくのが辛くて自分なんていないほうがいいんじゃないかと何度も死を考えた。 それでも死ぬのは怖くて、ただ他人に迷惑はかけないようにと自分を押し殺して生きてきた。 「俺ちょっと外出てくる」 そう母親に言って外に出る。 昼間の炎天下に晒されて、外に出た瞬間に汗が肌に滲む。 それでも窮屈な実家にいるよりかはマシだと思って、ただ歩く。 ぼーっと歩いていると向いのほうから声をかけられて顔を上げる。 そこにいたのは私服姿の上田と東條だった。 東條をみて、屋上での出来事を思い出す。 『俺だけ見て、俺の事を好きになってくれたら、俺は先生の全てを許してあげるのに』 そう言った東條の表情は真剣で、本気で言っているんだろうと痛いほど伝わった。 その言葉に自分の全てを預けたくなってしまう衝動に、自分でも驚く。 でも、もし東條の気が変わってしまったら俺の心はバラバラに千切れて、もう一人では生きてはいけなくなるだろう。 ――それがとてつもなく怖い。 上田に言われてスーパーまでついて行ってアイスを奢ってやる。 上田が東條に顔を近づけて覗き込む。じゃれる二人に眩しいな、と思って同時に嫉妬する。 俺もあんな風に、東條の隣にいれる存在ならどれほど良かったか。 「じゃ、俺もう行くからな」 苦しくなる胸に、その場にいられなくなって席を立つ。 こんな浅ましい考えをする俺が、東條の傍にいちゃいけないんだ――。 夕方になって父親と顔を合わせるのを避けたくて、夕飯はいらないと言ってまた外に出る。 適当に見つけた居酒屋に入って酒を飲む。 親のことも、東條のことも、自分のことも、なにもかも忘れてしまいたくてひたすらに飲む。 そんなことしたって、なにも変わらないことはわかっている。 わかっているけど、現実から逃げるように酒を煽った。 頭がぐるぐるしてきて、意識が遠のく。 薄れる意識の中に東條が見えて愛しくて手を伸ばした。 しばらくたって目を覚ますと、隣に東條がいて目を見張る。 寝てしまっていたことに気づいてハッとして時計を見ると18時を回っていた。 やってしまった。 東條を家に帰すために、慌ててアプリを使ってタクシーを呼んだ。 居酒屋のお会計をすぐに済ませて、東條と外に出て道の端でタクシーが来るのを待つ。 向かいから大きなトラックが走ってきて、とっさに東條を引き寄せる。 自分よりも小さな肩。 東條に熱の籠った目で見つめられて、胸がぎゅうと締め付けられて目を逸らせない。 「……先生、俺、先生が好きだよ。本気なんだ。先生は、俺を好き?」 「俺は……」 真剣な表情でそういう東條に、俺はなにも答えられない。 タクシーが来て、目を逸らす。 俺は、いつも逃げてばかりで――。 自分の弱さに嫌気がさした。 *** 夏休みが明けて、二学期が始まった。 校門をくぐる生徒達と挨拶を交わす。 東條の姿が見えて、心臓が高鳴るのが分かった。 「おはようごさいます、先生」 「おお、おはよう」 丁寧な挨拶をする東條。その横からどこからともなく上田が現れる。 「おはよ!あ、この前さ、東條の家に漫画忘れたと思うんだけど、今日取りに行っていい?」 「ああ、いいよ」 会話の内容からして家で遊ぶほどの仲になったらしい。 夏休み前より仲良さげに会話する二人に、少し胸がもやもやする。そんな自分が大人げなくて嫌になる。 「相澤先生もおはよー」 東條の肩に腕を回したまま、俺を見て挨拶する。おはよう、となんとか冷静に勤めて返事した。 ――その腕どけろよ。なんて、内心は嫉妬まみれだ。 *** 放課後。校舎の渡り廊下を歩いていると、校庭に東條の姿が見えた。 しゃがみこんで、迷い込んだ猫と戯れている。 少し口角を緩めてほほ笑む姿に、胸が締め付けられる。 「東條、かわいいよね」 東條に見惚れていて、上田が隣に来たことに声をかけられてやっと気づいた。 驚いている俺を真剣な表情でじっと見る。強い眼差しに気圧されそうになる。 「先生はさ、東條をどうしたいの」 「……なにがだよ」 「わかってんだよ。とぼけたって無駄」 上田の整った顔が苛立ちに歪む。強い口調に圧倒されてしまう。 上田は勘のいい生徒だと思っていたけれど、どこまで知っているんだろうか。 確かに、とぼけても無駄かもな。そう思って正直にぽつりと話す。 「俺は、東條のことをどうこうできる立場じゃない。そんな資格、俺にはないんだ」 「ふうん。じゃあ、東條のこと俺が貰っても文句ないよね」 「えっ……」 思ってもみなかった言葉に、目を見張る。 そんな俺をみて、ふん、と鼻を鳴らし嘲笑った。 「中途半端なやつ」 そんなんじゃ東條が傷つくだけだろ。そういわれて何も言い返せない。その通りだ。 俺は東條の為と考えているフリをして、結局はすべて自分の為だった。 上田は黙った俺をみて意気地がないと思ったのか、ため息をつく。 そのまま背を向けて何処かへ行ってしまった。

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