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檀香の夜に堕ちる

 深紅の天蓋が張られた寝台の上。  イリアは、王ラザールの前で静かに跪いていた。肌にはまだ湯と香油の艶が残り、薄絹越しに浮かび上がる白い喉も肩の輪郭も、まるで神殿に奉納される生贄のように神聖だった。 「立て」  王の命令に逆らえる者など、この島にはいない。  イリアはゆっくりと立ち上がると、絹衣がさらりと脚元に落ちた。音もなく崩れた赤い布の上、裸のままの身体が灯火に照らされる。  ラザールが立ち上がった。長い黒衣が床を引き、彼の動きがまるで獣のように静かだった。 「肌に香が馴染んでいる。良い仕上がりだ」  指先が首筋に触れる。イリアは小さく肩をすくめたが、それ以上の拒絶はできなかった。あまりにも慎重で、丁寧な手つきだったからだ。 「……何を、する……」  震える声に、ラザールは微かに目を細めた。 「王の夜は、花を味わうことから始まる。だが……お前だけは少し違う」  そう言って、ラザールはイリアを寝台に座らせ、自身もその隣に腰を下ろした。  指先が髪を梳き、耳元に流れる銀髪をそっと掬う。その仕草には奇妙な優しさがあり、イリアは戸惑った。 「この箱庭で咲く花は、皆、最初の夜に奪われる。血も涙も、歓喜もすべて、私のものとなる。だが――お前はまだ咲かぬ」  イリアははっと顔を上げた。  ラザールの瞳は冷ややかなのに、どこか苦しげにも見えた。 「なぜ……」 「美しすぎるものは、簡単に壊れる」  王は囁くように言い、イリアの手を取った。細い指が、王の大きな掌に包まれる。じんわりと熱が移り、心臓がひどく騒がしくなった。 「私は奪うが、壊しはしない。それが私の矜持だ」  意味も理由もわからないまま、イリアはただ黙って王の目を見つめた。  そしてその瞬間、王の手が彼の胸元に触れ、指先で乳首を撫でた。 「――っ!」  逃げようと身体をよじるが、肩を抱かれ、腕を固定される。ゆっくりと、じっくりと、触れる場所すべてを丁寧に撫でられた。力ではなく、熱で抗う力を奪う方法だった。  胸元に舌が這い、唇が軽く吸う。  そのたびに、肌の奥が熱くなり、イリアは恥ずかしさと屈辱の間で喘いだ。 「お前はこの島で、最も美しい花になる。私だけが咲かせる」  王の囁きに、体の奥が震えた。怖いのに、冷たいその声が、なぜか心にまで届いてくる。  手は下腹部へと滑り、まだ敏感な部分に触れる。そこに快楽を感じたことなど一度もなかった。なのに、王の手の中で、自分の身体がほんの少しだけ熱を持つのを、イリアは感じてしまった。 「嫌……やだ……ッ」  必死の声も、香の煙とともに吸い込まれていく。寝台の四隅に置かれた香炉からは、媚香――檀香(だんこう)白檀(びゃくだん)を混ぜた、快楽を促す特製の薫が炊かれていた。  息を吸うだけで、身体の奥が疼く。  ラザールが指を止め、顔を近づけた。 「花よ、お前が咲くその瞬間を、私は誰にも譲らぬ」  唇が重なる。やさしく、しかし決して逃げられない力で、王はイリアを捕らえた。  舌が差し入れられ、熱を分け合うような口づけが深まっていく。  イリアは息ができず、涙を滲ませた。だが、唇の奥で感じた震えは、恐怖だけではなかった。  ラザールの唇が離れ、ひとこと、囁いた。 「今夜は触れるだけにしておこう。お前の花は……まだ、蕾だ」  イリアはただ、息を吐くことしかできなかった。   ◆ ◆ ◆  その夜、王はイリアの傍らでただ彼を抱きしめ、髪を梳いた。  どこにも逃げ場のないこの島で、唯一のぬくもりを感じたのが、自分を買った男の腕の中だったということが、イリアを静かに打ちのめした。  夜が更け、天蓋の布の向こうで香が揺れる。  熱と匂いと、知らない感情に包まれながら、イリアは眠れぬまま瞼を閉じた。

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