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蜜と刃

 その夜から、イリアを見つめる他の「花」たちの視線が変わった。  イリアが「兄弟の間」に招かれて夜伽を行ったという噂は、すぐに島中に知れ渡り、あっという間に、彼は奴隷たちの間で羨望の対象となった。  イリアの指南役であったジュナンも、エリオスの「庭」で出会った双子のカイとシスも、どこか遠巻きに彼を見つめるようになった。その目には、新入りに先を追い越されてしまったという嫉妬の色が、確かに浮かんでいるようだった。彼らがそのようなプライドを持ち合わせていたことに、イリアは今更ながら気がついた。  ーーあの兄弟と交わることは、そんなにすごいことだったのか?  ーー一夜にしてこれほどまでに状況が変わるなんて。  イリアは混乱しながらも、自分がある種の「力」を持ったことを知った。しかし、それは決して求めていたものではなかったし、そもそもすでに、イリアはその「力」を振りかざすことを放棄していた。花は、所詮王族たちの熱を受ける「性の器」なのだ。イリアがたとえ奴隷としてどれほど美しく咲いたとしても、この島を出ることは叶わない。むしろそれは、自分で自分の首を絞めることに繋がる。  ーーそれに…  性脈によって開花したイリアの蕾は、常に快楽を求めて疼くようになっていた。大輪の薔薇が、愛でられるのを待つように。イリアは、昼も夜も、そのことしか考えられなくなっていた。あまりにも熱を持て余す時には、自室で自らを慰めた。それでも、欲望は決しておさまるところを知らず、尽きることのない泉のように次から次へと溢れてきた。  二人に抱かれたのはあの夜だけで、それから数日は、ラザール一人に寵愛される日々が続いたが、それだけでは満足できないほど、イリアの身体は常に刺激を欲していた。まるで、自ら花粉を放射する花芯のように。イリアは夜毎、自分の肉体がラザールに愛されるのを心待ちにしていた。一日の全てを、その瞬間に捧げていると言っても過言ではなかった。 「リュサの花よ、お前は本当に美しい」  耳元でそう囁かれながら、ラザールの根で蕾を貫かれる間のみ、イリアは深い満足を覚えた。ラザールは、喘ぎ声を漏らすイリアの唇を自らのそれで塞ぎながら、胸に咲いた小さな二つの蕾も同時に愛撫した。そうされると、イリアの根はぴくぴくと興奮に喘ぎ、白い蜜を何度も、何度もほとばしらせる。ラザールはそれを見て悦びながら、自身も低く唸りながらイリアの蕾に熱を放った。  この期間は、まさに蜜月と呼んでも良かった。  他の花たちから注がれる不穏な視線は相変わらずだったが、イリアは、自身がラザールに寵愛されていることを信じていたし、「性の器」としての自分の役割を全うしていた。ただ、花の命が短いように、その「蜜月」はそう永くは続かなかったーー  日常の(ほころ)びは、小さなところから徐々にやってきた。  ある夜、イリアが夜伽に備えて着替えようとすると、衣装がズタズタに切り裂かれているのが見つかった。薄い布のあちこちに傷がつけられ、とても身につけて王に謁見できる状態ではなかった。そこには、あからさまな悪意と、ゾッとするほどの憎悪が感じられた。侍従に事情を話すと、すぐに新たな衣装が持ち運ばれ、ことなきを得たが、その事実自体が消えるわけではない。イリアは、自分の胸に小さな不安の種が植え付けられるのを感じた。  またある日には、夜伽を終えて戻った自室の寝台の上に、巨大な毒蜘蛛の姿を見つけた。それはシーツの間から這い出し、まるでイリアを威嚇するように毛で覆われた不気味な前脚を上げると、しばらくその場をガサガサと動き回った後、どこかへと消えていった。イリアは悲鳴をあげることさえ叶わず、ただその様子を呆然と眺めていた。  他にも、身体に振りかける香水の瓶から異臭がしたり、(かぐわ)の間で、自分の香油だけが見つからなかったりと、不穏な出来事は続いた。中庭で自分を見ながら、くすくすと意地悪げに笑みを浮かべる他の「花」たち…明らかに、イリアの日常に小さな刃が向けられていた。  しかしそれは、あくまでも威嚇の類でしかなかった。イリアは、元々誇り高いリュサの民だ。そんなことで心が折れるほど、弱くはない。より美しく咲いた花が、他の花から嫉妬を受けるのは自然の摂理。イリアは、自らの心に植え付けられた不安の種から目を逸らし、あくまでも自分の「仕事」と、快楽を追求することに集中した。イリアが奴隷たちの間で孤立しようとも、ラザールは優しく自分を寵愛してくれる。その事実に、決して変わりはなかった。  その夜まではーー 「夜伽の時間です」  その日、イリアが自室で身支度をしていると、いつもよりも早い時刻に侍従が彼を迎えにきた。イリアは、急いで衣装を身につけると、火照る身体に期待を滲ませながら、彼らの後へと続いた。今日も、ラザールの優しい愛撫を受け、逞しい根で蕾を貫かれるのだ。すでに、彼の中で欲望と愛情は同義だった。王に抱かれる瞬間だけが、イリアが味わえる至福の時間だった。  しかし、そこで再び異変が起こった。侍従たちがイリアを連れて行った先は、王の間ではなかった。巨大な広間へと続く扉。中から、複数の人間が賑やかに談笑している声が聞こえてくる。 「ここは…?」 「接見の間でございます」 「ここで、夜伽を行うのか?」 「はい、本日の会場はここでーーと、ラザール様より命が下っております」  混乱するイリアを尻目に、侍従たちが重たげな観音開きの扉を開いていく。イリアは、軋むようなその音に身がすくむのを感じながら、その先に待ち受けている何かに、悪い予感をひしひしと覚えていたーー

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