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罪への狂走

「分かりました…あなたを信じます」  イリアは、細い声で、しかしはっきりとエリオスに向かってそう告げた。その瞬間、不安で曇っていた弟王の顔に、まるで太陽が差し込んだかのような輝きが満ちてゆく。エリオスは、イリアの肩をしっかりと掴むと、そのまま自らの胸に抱き寄せた。再び、熱い唇がイリアのそれに重なる。 「ん…っん…あ」  決断を下した瞬間、イリアは「花」ではなくなった。しかし、体に刻み込まれた「花」としての才覚と経験は、すでにこの肉体に深く根を下ろしている。想いを確かめるための口づけであっても、イリアの肉体を火照らせるには十分だった。イリアは根と蕾が疼き出すのを感じながら、エリオスの甘いキスを受け入れた。  ーー何だかとても、複雑な気分だ。  ーーこの島を出られる希望があるというのに…  自分の回答が、ラザールへの裏切りであることは十分承知していた。しかしそれでも、彼から受けた寵愛を忘れることはできない。一生、それは甘美なる記憶としてイリアの頭の中に残り、彼自身を苛み続けるだろう。それが、せめてもの償いなのだ。 「リュサの子よ、誠に俺は、お前を愛している」  エリオスは、そんなイリアの心中を知らずに、熱い口づけと抱擁をやめようとはしなかった。いや、むしろその姿は、兄王に勝利したという歓喜に満ち溢れているように、イリアの目には映った。確かに彼は勝ったのだ。イリアという「花」を我が物にしたのだから。凱旋した騎士のような勇ましさで、エリオスはイリアの裸身を力強く抱きしめると、蜜を滴らせ始めた根に視線をやりながら言った。 「これからは、この一滴一滴が全て俺のものになるのだ。イリア、覚悟しておけ。俺は兄上にも引けを取らないほどの絶倫だぞ」  そのまま、「そこ」に手を伸ばそうとするエリオスを、失礼にならない程度に宥めながら、イリアは尋ねた。 「それで、脱出の決行はいつーー?」  エリオスは名残惜しげにイリアから身を離すと、その問いに答えた。 「お前が望むのなら、今すぐにでも。準備はすでにできている。お前が思っているよりもたくさん、俺の草はこの島に潜んでいるのだよ。どうする、心の準備はできているか?」  イリアは、しばし考えた後、首を縦に振った。 「はい、できています。俺はすぐにでもーーこの島を出たい」  決心が鈍らぬうちに、とイリアは心の中で付け足した。少し気が緩むと、ラザールの顔が頭に浮かんでくる。しかし、こうなったのは自分の運命。贖罪の中で生きる覚悟は、この胸にある。 「分かった。ではこれを」  エリオスが、懐から茶色く薄汚れた布を取り出す。恐らく、追放される「花」たちが被らされる衣装なのだろう。夜伽の際に身につける瀟酒なそれとは天と地ほどの差があるが、その違いこそが、これからイリアを待ち受ける試練の証のようにも思えた。 「有難うございます」  イリアは裸の体にその襤褸を纏うと、独房の中ですくっと立ち上がった。暗がりの中で、エリオスとしっかり向き合う。その瞳には、すでにリュサの一族としての誇りが蘇ってきているように見えたーー ♦︎ ♦︎ ♦︎ 「こっちだ」  廊下を出て、地下へ続く階段へと向かう。途中何度か看守のような人間たちとすれ違うが、皆エリオスの顔を見ると頭を下げ、ろくにイリアの方へは目を向けようともしなかった。そもそも、茶色い襤褸きれに身を隠していて顔は見えない。それに、彼はこの島の主の弟という身分だ。イリアは布地からそっと目を出しながら、その広い背中に頼もしさを感じていた。  ーー大丈夫だ、この人について行けばきっと上手くいく  ーーまた砂漠で、リュサの民として同胞たちと暮らすこともできるはずだ  イリアは確かに高揚していた。その胸の高鳴りが、どこから来るものなのかは分からない。偽りの騒動を起こし、秘密裏にこの島を出ようとしている計画のさなかにいるせいなのか。それとも、エリオスに対して信頼を…いや、それ以上の想いを抱き始めているからなのか。しかし、薄暗い塔の中を地下へ地下へと降りていくうちに、その高揚が高まっていくのは確かなことだった。 「この扉だ。いいか、ここから少し通路が狭くなるぞ」  エリオスの言葉通り、扉の先には大人一人がやっと通れるほどの細い道が続いていた。それがまるで、迷路のように蛇行しながら、下へと伸びている。イリアは自分の腕をしっかりと掴むエリオスの手の平の熱さを感じながら、必死でその通路を歩き続けた。暗ければ暗いほど、先に待つ未来が明るいもののように感じられる。 「大丈夫か、少し休んでも良いが」 「その必要はありませんーー俺の心は、もう決まっています」  イリアの言葉にしっかりと頷きながら、エリオスが心なしか歩く速度を速める。やがて、ぼんやりと燭台に照らされて扉のようなものが見えてきた。 「あそこだ。あの先が、入江に繋がっている」  イリアは、その幽かな明かりに、満ちてくる希望を投影しながら、エリオスが扉に手をかけるのをじっと眺めた。  ーーやった、やっとこれでこの島から出られる。  ーー俺は、自由の身になるのだ  扉が軋むような音を立ててゆっくりと開く。潮の匂いが、その隙間から吹き込んでくる。イリアは爆発しそうなほどの高鳴りを胸に抱えたまま、エリオスに続いて扉の外へ向かったーー

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