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思惑の迷宮
「イリア、俺だ。目覚めているか?」
その声を聞いた途端、イリアは自分の冷え切った体に再び血が巡ってくる感覚を覚えた。エリオス。それはまさしく、あの弟王のものだった。自分を翻弄し、陥れ、この「花墓の塔」に幽閉されるよう導いた男。きっと、ラザールに命じられた通り、イリアに犯してもいない罪の「自白」をさせるために訪ねてきたに違いない。自然と、胸の中に怒りが込み上げるのを感じる。
しかし、しばらくして扉を開け、中に入ってきた彼の表情を見て、イリアは妙な感覚を覚えた。
ーー何だ、この顔は?
ーーやけに切迫しているような…
エリオスは、血の気の引いたような青白い顔をして、部屋の入り口に立ち尽くしていた。イリアを見つめる視線に、どこか痛々しいものを見るような悲しみが宿っているのが分かる。弟王はそのまま亡霊のようにこちらを見つめていたが、やがて意を決したような表情になり、こちらに歩み寄ってきた。
「大丈夫か、怪我はないか?何か手荒なことはされなかったか?」
その言葉が、イリアの琴線に触れた。
「何を今更…! これは一体どういうことなんですか?俺は、俺は何もしていない!」
エリオスは、再び哀しげな表情になり、床に膝をつくと、イリアに向かって頭を下げた。
「すまない、だがこうするしかなかったんだ。俺の頭ではこのような策しか考えつかなかった」
それを聞き、イリアはますます混乱のるつぼに飲み込まれていく。何が何だか分からない。イリアを幽閉することが、彼の考えた策というのなら、その目的は何だ?自分は先ほど、死さえ覚悟して涙を流していたというのに。
イリアは、まだ乾き切らない涙を隠しもせず、再びきっとした目でエリオスを睨んだ。
「どういうことですか?俺にはあなたの言っていることがまるで分からない。理解できるよう説明を…」
しかし、そう言いかけたイリアの肩を、エリオスの両腕が包み込んだ。意外なほど優しいその抱擁に、思わず緊張が解けていくのを感じる。剥き出しの肌に、弟王の体温が染み渡っていく。
ーー何だろう?どうして彼は俺を抱いているのだろう。
ーー拷問しに、ここを訪れたんじゃないのか?
「悪かった。今の俺には詫びることしかできない。だが分かってくれ、これは決して罠じゃない。お前のためを思ってやったことだ」
「だから…とにかく説明を」
エリオスはしばらく黙りこくった後、ゆっくりと顔を上げ、何も言わずにイリアに口づけをした。唇と唇が触れ合い、先ほどよりも直接的な熱が、イリアの全身を温めてゆくのが分かる。混乱したまま、しかしイリアはそのキスを受け入れた。本能が告げていたからだ。エリオスが確かに、本気で自分を愛しているということを。
やがて、エリオスは唇を離すと、子供に言い聞かせるような口調でイリアの目を見て告げた。
「この『花墓の塔』は、その名の通り、罪を犯したり、何らかの理由で客に差し出せなくなった『花』たちを幽閉しておくための塔だ」
イリアは黙ったまま、先を促すように彼の真剣な瞳を見つめ返した。
「そして…この島で唯一、外の世界へと通じている場所でもある」
「一体どういうことですか?」
イリアは尋ねた。
「この塔には地下に隠し通路がある。そこは入江に通じていて、入江には島と本土を行き来する船がやって来る。大抵の『花』は、処分される前にこの島から追放される。だからーー」
「俺をそこへ導くために、この場所へ…?」
「ああ、その通りだ。布で体を覆えば、誰もお前だとは気づかない。俺はこの通り自由の身だ。他国と交渉をしに海を渡ると言えば、誰も逆らう人間などいない。つまり、二人でこの島を出られるというわけだ」
「その後は?島を出た後は、どうなるんです?」
「しばらく身を隠せる場所を知っている。そこでお前は、俺を待て。大丈夫、必ず迎えにゆくさ、リュサの子よ。もしそうしたければ、再び砂漠へと戻っても良い。ただし、その時は俺も一緒だ」
イリアは、しばらく黙って何とか頭の中を整理しようと努めた。もしもエリオスの言う通りになれば、自分は間違いなくこの島を離れられることになる。再び、誇り高いリュサの民の一人として、生きることも不可能ではない。だが、一度「花」として咲いてしまった自分を、同胞たちは受け入れてくれるだろうか…?いや、その前に、それほど上手く事が進むのか?
ーーそれに、ここを出れば、もう二度と彼に会えなくなる
ーーラザールに、抱いてはもらえなくなる。
「分かりません…俺には。どうしたら良いのか」
「何を迷うことがある?」
エリオスは再び切迫した顔つきに戻ると、イリアの肩を強く抱いた。その力の強さに、彼の真剣さが込められているのを感じる。
「俺を信じられないのか?それとも、兄上のことを本気で愛しているのか?」
イリアは何も答えられず、ただじっと彼の目を見つめ返した。
「聞いただろう?あの冷たい言葉を。ラザールは、兄上はお前を見捨てたんだぞ。今日中に罪を認めなければ、『最悪の場合も想定しておけ』とまで言って。それなのに、お前はまだ迷うというのか?」
確かに、彼の言う通りだった。イリアは、絶望と希望が入り混じった不思議な心情を抱えたまま、必死に脳を働かせようとした。昨夜までの出来事が、まるで走馬灯のように、イリアの脳内を駆け巡る。ラザールの厳しい表情、隣で磔にされていたジュナンの俯いた顔、そして、今ここにいるエリオスの真剣な顔つきーー
やがて、イリアは弟王に向かって、静かに口を開いた。
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