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第9話①

 ノルツブルクの王宮の奥には聖堂がある。  長い歴史を感じさせる石造りの立派な大聖堂で、見上げるほどに高い天井には緻密な絵が施され、荘厳な祭壇にはステンドグラスに染められた極彩色のまばゆい光が降り注ぐ。  祭壇の下で聖なる光を浴びながら、リオンは膝をつき深く頭を垂れていた。 「それでは『三度の叩打』の儀式を始める」  白地に金の刺繍を施したローブを身につけたオースティンが、祭事用の剣を掲げリオンの前に立った。そして厳かに口を開く。 「其の命、この世に授かりしを祝す」  口上を宣べながら、オースティンは剣の平をリオンの右肩に優しく置いた。とん、と軽い衝撃と共に剣の重みが肩に加わる。 「其の身、このノルツブルクに結ばれしを祝す」  その次には左肩。 「其の道、光明に照らされんことを」  最後にもう一度リオンの右肩に剣が乗せられ、オースティンが満足したように小さく息をついた。 「さあ、これでリオンは正式にノルツブルクの民だ」  オースティンが穏やかな声で言い、リオンは「ありがとうございます」と深く頭を下げた。  ノルツブルクには、生まれた赤ん坊を教会に連れていき、司祭が 『三度の叩打』 を与える慣習がある。儀式用の剣を、一度目は右肩に、二度目は左肩、最後の三回目は右肩に押し当てて祝福の言葉を宣べるのだ。  『本来であれば生まれたときに受ける祝福だけど、せっかくだし受けてみてはどうかな? 司祭ではないけれど、僕が執り行うよ』と提案してくれたのはオースティンだった。  ノルツブルクでは、王命のみで異国民を帰化できるという決まりになっている。その他には身元の確かな人物の保証が必要だが、クレイドが保証人になってくれたのでリオンがノルツブルクの国民になるのは比較的簡単なことだった。  その上でこの儀式を提案されたときには、手間になって申し訳がないと一度は断わろうとしたのだが、その場にいたクレイドに「受けてみたらいいんじゃないですか」と言われ、お願いすることに決めたのだ。  今では思い切って好意に甘えて良かったと思う。儀式を無事終え、リオンはとても晴れ晴れとした気持ちだった。 「この国の民になった気分はどう?」  祭儀用のローブを脱いだオースティンがこちらに近づいてくる。リオンは満面の笑みで答えた。 「すごく嬉しいです。人様の役に立てるように頑張らないといけないなって」 「それは良かった。あ、王宮の図書塔はいつでも入れるように申請をしておいたから、明日以降ならいつでも行って大丈夫だからね」 「本当ですか? ありがとうございます!」  リオンは学校に通ったことはないが、母親のアナが文字を教えてくれたので読み書きは一通りできる。この国の歴史を学びたいと思って、オースティンに図書塔の利用をお願いしていたのだ。 「もし本を読んでわからないことがあったら書き留めておいて、来週から来る教師に聞いてみるといい」 「あっ、そうですね」  しかも図書塔の利用だけではなく、宮廷に出入りしている学者先生がリオンに国史や経済を教えてくれることにもなっているのだ。 (本当に良くしてもらってるよね。頑張らなくちゃ)  この前までは『ブルーメなのだから何もしなくていい』と言われていたが、今ではこうして積極的に学びの機会を与えてもらえる。ようやく一人の人間として認められたようで、リオンはとても嬉しかった。  大聖堂を出ると、扉の近くにはクレイドとエルが控えていた。  オースティンの顔を見たエルが、さっと側に歩み寄ってくる。 「陛下、終わりましたか」 「ああ、無事にな」  そうですか、と頷いたエルは無表情だ。 (機嫌悪そうだな。……それもそうか)  もともとリオンを嫌っている様子のエルは、リオンがノルツブルクの国民になることには反対なのだろう。オースティンの手前、口には出さないだけだ。   「リオン様」  クレイドが口元に微笑みを浮かべながらこちらにやってきた。 「おめでとうございます。これでリオン様も正式なノルツブルクの民ですね」 「クレイド、……ありがとう」  と答えながら、リオンは思わずその笑顔に見とれた。 (かっ……かっこいい……)  クレイドのことが好きだと自覚してから、リオンの心臓はせわしなく動きっぱなしだ。笑顔一つ向けられるだけで心臓が速くなり、顔が熱くなってしまう。  しかも今まで以上にクレイドが格好良く見える。今日はあまり見慣れない立ち襟の服に丈の長いマントを身につけていて、格好よすぎて直視できないくらいだ。 「あ」  そのときクレイドが小さな声を上げた。顔を近づけてじっとリオンの顔を見つめてくる。 「えっ」 (な、何……っ!? 顔! 顔! 近いよッ)  しまいにはクレイドの手がリオンの顔の方に伸びてきて、リオンは緊張に息を止めた。  クレイドの指がそっと目の下に触れ、離れていく。 「すみません、顔にゴミがついていたもので」 「あ……。あ、ああ~! そうなんだ! ありがとう!」  リオンはあはは、と空笑いをしながらも強張った身体から力を抜いた。 (僕、絶対顔赤くなってるよね。恥ずかしいな……。クレイドに変だと思われてないといいんだけど……)  クレイドから慌てて顔を逸らし、大きく息をつく。  ふいに突き刺さるような視線を感じたのはそのときだ。顔を上げると、エルがこちらを凝視している。 (え……何?)  思わず動揺した。  エルの顔は驚くほどに険しかった。ほとんど睨みつけるような顔つきだ。だがすぐにいつもの無表情に戻り、視線が逸らされる。 「陛下、謁見の時間が迫っていますのでそろそろ行きましょう」 「ああ、そうだな。時間か」  エルに促されたオースティンは、くるりと振り返った。そしてこちらまで歩いてきたかと思うと、リオンの手を取り甲にキスを落とした。  リオンはひっと小さく悲鳴を上げてしまった。 「オースティンっ、こういうことは……あの、ちょっと……」 「ん? ただのよくある挨拶だよ? 嫌なのかい?」 「嫌というわけでは……ない、ですけど」  よくある挨拶だと言われれば、ノルツブルクの習慣をよく理解していないリオンは黙るしかない。女性扱いされているような気がして居心地が悪いけど、オースティンにとっては新しい遊びのようなものなのだろう。  それに、わざわざ今日のような儀式を執り行ってくれたり、図書塔への立ち入りを許可してくれたり、専属の教師をつけてくれたり……そういうことと合わせて考えれば、『この国の人間になりたい、この国の役に立てるようになりたい』というリオンの意志を尊重して応援してくれていることはわかる。わかるのだけど――。 (クレイドの前では辞めて欲しいよ……。エルもすごく怖い目で見てくるし……)  慌てふためくリオンを見て、オースティンは上機嫌に笑い、そしてふと真面目な顔になって小さな声で呟いた。 「嫌じゃないなら辞めないよ。……慣れて貰わなくちゃいけないしね」 「え?」  よく聞こえなかった。 「何か言いました?」 「いや、なんでもないよ」  オースティンは口元に笑みを浮かべ首を振ったとき、エルが「陛下」と固い声で割り込んできた。 「陛下、そろそろ。ヴァルハイトからの使者をこれ以上お待たせするわけにはいきません」 「ヴァルハイト……そうだな」  オースティンの顔が見る見るうちに引き締まる。背中を伸ばし国王の顔に戻ったオースティンは「さて」とリオンの顔を見た。 「リオンは来週から講義が始まるから準備をしておくように。それと今日はクレイドと一緒に楽しんでおいで」  リオンにそう言って笑いかけると、次はクレイドの方を見る。 「それじゃクレイド、リオンのことは頼んだよ」 「……ええ、任せて下さい」  オースティンは大きく頷き返すと、颯爽と身を翻した。エルを引き連れて回廊のほうへと去っていく。  しばらくオースティンを見送り、リオンはクレイドの方に振り返った。 (あれ……?)  クレイドは未だにオースティンたちの消えた回廊の方を見て、何かを思案している。 リオンはクレイドの顔を見つめながら、小さく首を傾げた。 (なんか……最近オースティンも変だけど、クレイドも変なんだよなあ……)    前だったらオースティンがリオンの身体に触れようものなら手を叩き落す勢いだったのに、最近は苦々しい顔つきで見ているだけなのだ。文句ひとつさえ言わない。しかも時々こうして何かを考えこんでいるし、そういえばオースティンとの軽快な舌戦もしばらく見ていないような気がする。 「……あの、クレイド?」  リオンが声を掛けると、クレイドははっと顔を上げた。 「ああ、すみません。そろそろ出発しましょうか」 「……うん、そうだね」  今日はクレイドに王城の外に連れて行ってもらうことになっているのだ。 (ノルツブルクの国を知りたいからって頼んだのは僕だし、二人で出かけるのも楽しみにしてたけど……クレイド、大丈夫かな……)  明らかに様子が変だし、何か悩みごとや心配事があるのだろうか。  もしそうなら話してほしいと思う。  力になりたい。だってクレイドのことが好きなのだから。 (でも聞きたいけど聞けないよな……。僕なんかには話してくれないだろうし……)  歩き出したクレイドの大きな背中を追いかけながら、リオンは小さなため息を落とした。

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