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第9話③

◇  馬に乗り、いくつかの長閑な丘とブドウ畑を超え、辿り着いた先は小さな集落だった。今朝通ってきた集落とは違いあまり活気はない。人も少ないようだ。 (ここがクレイドの故郷……)  集落を通り抜け、外れにある石積みの門の前でクレイドは馬を止めた。門の向こうには教会のような大きな建物が見えている。てっきりどこかの家に入ると思っていたので、拍子抜けしてしまった。 「えっ、ここ?」 「ええ。ここは修道院です」  クレイドは門のところに馬を繋ぎ、慣れた足取りで門の中へと入って行く。リオンもその後を追った。     敷地には二つの建物が隣り合っていた。石造りで鐘塔がついた修道院は大きく、その隣の飾り気のない四角い建物は小さい。  さらに建物の前には緑の生い茂った畑があり、白い修道着を身につけた年配の女性が屈んで作業をしていた。  女性は門から入ってきたクレイドに気がつくと、嬉しそうな顔で歩み寄ってきた。 「あらクレイド! おかえりなさい」 「ご無沙汰しております、マザー。こちらは王宮でお世話になっているリオン様です」 「は、初めまして。リオンと申します」  紹介されて、リオンは緊張しながらも頭を下げた。マザーを呼ばれた女性はふふっと穏やかに笑う。 「可愛らしい方ね。私はこの修道院で修道院長を務めているセシリアよ。気軽にマザー・セシリアと呼んで頂戴ね」 「はい」  よろしくお願いしますとリオンはもう一度頭を下げた。  左側の四角い建物の中から五、六人の子どもたちがわらわらと飛び出してきた。 「クレイドだっ」 「クレイド~!」  子どもたちは嬉しそうに叫びながら駆けてくると、クレイドの大きな身体に飛びついた。クレイドも頬を緩めて抱き留めてやっている。 「元気だったか?」   クレイドが声を掛けると、子どもたちは一斉にしゃべりだした。 「うん、みんな元気だよ! この前クレイドがたくさん本を送ってくれたから、みんなで頑張って勉強してるんだよ!」 「ぼくね、ぼくね、たくさん文字かけるようになったよ! じぶんのなまえもかけるようになったんだから!」 「ほう、それはすごいな」  クレイドはしゃがみ込んで子どもたちと視線を合わせながら、笑みを浮かべて話を聞いている。きっと子どもが好きなのだろう。微笑ましい気持ちでクレイドたちの会話に耳を傾けながら、リオンは周囲の建物を見回した。 (ここは修道院って言ってたけど、この子どもたちはどこの子だろう? ここに住んでるのかな?)  四角い建物から出てきたから、そちらが生活の場なのだろうか……と考えていると、セシリアが話しかけてきた。 「あなたは騎士団の方?」 「あっ、いいえ、僕は――」   リオンは慌てて佇まいを直し、自分は王宮から来たが騎士団の人間ではないこと、クレイドにとてもお世話になっていることを話した。  セシリアは「そう」と優しく目を細め、クレイドと子供たちのほうへ視線をやる。 「この修道院は、身寄りのない子供たちを隣の孤児院で預かっているの。この子たちは親のいない身寄りのない身の上だけど……。見て、子どもたちの顔が明るいでしょう」  なるほど、とリオンは頷いた。修道院の隣の建物は孤児院だったのだ。改めて子どもたちを見てみると、確かに楽しそうな顔つきをしている。 「ここは修道院の中でも裕福な方なのよ。食事も衣服も教育も水準が高い。それもこれも、クレイドが毎月かなりの額を寄付してくれているからなの」 「クレイドが?」 「ええ。クレイドもこの孤児院で育ったから、恩を返しているつもりなのでしょうね」 「えっ?」 (クレイドは……孤児院で育った?)  リオンはその言葉に、ようやく自分の勘違いに気が付いた。  クレイドはここが故郷と言っていた。このあたりに生家があるのかとリオンは思っていたが、違う。この孤児院が故郷だという意味だったのだ。  そういえば王宮に来た最初の頃、オースティンとの思い出話をした折に「昔修道院にいた」とクレイドは言っていた気がする。どうして今まで気が付かなかったのだろう。  リオンの顔色が変わったのに気が付いたのか、セシリアは驚いたような顔をした。 「もしかしてクレイドから聞いていなかったの?」 「……はい」 「そうなのね……。クレイドはあまり自分のことを話さないから。だからこそ私も心配なのよ。国からの援助だけではやっていけないから、クレイドの寄付には助けられているけれど……。あの子は……クレイドは王宮でうまくやっているのかしら」  少し心配そうに、でも真剣な眼差しで聞かれ、リオンは先ほどの街での出来事を思い出した。  『獣人』だと言われ、一方的に蔑まれたクレイド。何事もなかったように振る舞っていたクレイド。  その姿を振り払い、リオンは大きく頷いた。 「はい。クレイドは騎士団の騎士たちからも王宮の人たちからも、とても尊敬されています」 「……そう。良かったわ」  セシリアは安心したように微笑んだ。その慈悲に溢れた微笑みを見て、リオンはクレイドの真意を悟った。  クレイドは、『自分には心配してくれる人も、慕ってくれる子どもたちもいる』ということをリオンに知ってもらい、安心させたかったのだ。  だけど――。  心の中に小さな棘のようなものが引っかかっているのはなぜだろう……。 ◇ 「クレイドーまた遊びに来てねー」 「リオン兄ちゃんもいっしょにねー!」  孤児院の建物の前で子どもたちが一生懸命に手を振っている。リオンも大きな声で叫び返した。 「またね! また遊びに来るね!」 リオンもクレイドも何度も振り向きながら手を振り返し、修道院の門を出た。 あれから子供たちといっしょに修道院の庭で遊び、昼食までご馳走になった。子供たちは「うわあ、このお兄ちゃん綺麗!」「天使みたい」「髪の毛きらきらでお日様!」などと言ってリオンに懐いてくれて、セシリアも交えて和やかな時間を過ごすことができた。  それなのに、リオンの心は晴れないままだった。なぜだかわからないが、胸にどっしりと重いものが圧し掛かっているのだ。 「リオン様、疲れてしまいましたか? すみません、すっかり長居してしまって」  隣を歩くクレイドに心配するように言われ、リオンは慌てて首を振った。 「えっ、ううん! 大丈夫だよ」 「それならいいのですが……。西の空が暗いですね。少し急ぎましょう」  確かに晴れ渡っていた空にはいつのまにか重く厚い雲が流れて来ていた。  先ほどと同じように馬に乗り、行きよりは早いスピードで田舎の一本道を戻る。「そういえば」とクレイドが切り出した。 「本当だったら街の大聖堂や神学校に案内しようと思っていたんです。予定がかなり狂ってしまいました」 「そうだったの? でも僕はここに来れて良かったよ」 「退屈ではなかったですか?」 「全然。子供たちも可愛かったし、マザーにも良くしてもらって嬉しかった。それに――」  空模様に同調するように、またふっとリオンの心が陰った。クレイドが「それに?」と先を促してくる。 「うん、あのね……。うまく言えないんだけど、クレイドのこともっと知りたいなって思ったんだ。好きな食べ物とか、嫌いな食べ物とか、小さな頃どんな子供だったのかなとか、――クレイドは、どんなところで育ったのかな、とか……」  話しながらちらりと後ろのクレイドを見あげる。その顔つきで、敏いクレイドはリオンが言おうとしていることを理解したらしい。 「もしかしてセシリアから聞きましたか? 私がさっきの孤児院で育ったということを」 「うん、ごめん」  リオンが申し訳ない気持ちで頷くと、クレイドは小さく笑った。 「謝ることはありませんよ。隠しておきたいことでもないですし、内緒にしておきたかったならあなたをここに連れては来ていません」 「それなら聞きたい。聞かせて」  リオンは勢い込んで言った。  クレイドはほんの少し馬の速度を緩めて、「あまり面白話ではありませんが」と前置きをして話し始めた。 「私が半獣であることはすでにお話したと思います。私の父にあたる男の方が獣人で、母の住む村に流れてきた傭兵だったようです。そして母は無理やりその男に孕まされた」 「え……?」   「獣人の男はそのことを知ると姿を消したそうです。母は宗教上の理由で堕胎をすることができず、そのまま私が生まれました。でも獣人の子どもを持つ母は田舎の小さな村ではやっていけなかったようです。しまいには村から追放される形になり、流れに流れてこの修道院に辿り着いた。そのとき母はかなり身体が弱っていて、半年もたたずに亡くなってしまったんです。私が五歳のときでした。それから私はあの孤児院と修道院で育ちました」  穏やかな声で語られる壮絶な話に、リオンは息を呑んだ。  ひたすら絶句しているリオンの顔を覗き込み、クレイドは苦笑した。 「リオン様、そんな顔をしなくても大丈夫ですよ」  そんな顔、と言われてもよくわからなかった。何も言葉が出ず、首を振ることしか出来ない。 「私が生まれたころはちょうど大きな戦の後だったので、こういうことはよくあったのです。とりたたて珍しい話ではありませんし、私のような境遇の人間はどこにもたくさんいました。でも私はこの修道院で腹を空かせることもなく育つことが出来たのだから、幸運だった方の人間ですよ」  『幸運だった方の人間』。  その言葉に込み上げてきたのは圧倒的な寂しさだった。  言っていることはわかる。  不幸な人間は世の中に山ほどいるだろう。それでも――。 「ほんとに……?」 「え?」 「本当にクレイドもそう思ってる……?」  リオンが後ろを向いて見上げると、クレイドは少し驚いた顔をしたが、すぐに迷いなく「ええ」と頷いて笑った。 (なんで……そんな顔するの……)  クレイドが迷いもなく頷いたことがショックだった。そしてこの瞬間理解してしまった。  クレイドは自分を愛していないのだ。自分をどうでもいい存在だと思っている。  だから『獣人だ』と差別されても動じない。大したことがないと笑うことが出来る。凄惨な生い立ちを他人事のように穏やかに語ることができる。 「リオン様……?」  強張った顔で黙り込むリオンに、背後のクレイドはただ戸惑っていた。きっとクレイドには、リオンの言葉の意味も、何にショックを受けたのかもよくわからないのだろう。 「あの、リオン様。私は本当に――」  クレイドが言いかけたときだ。空からぽつりと水滴が落ちてきた。 「雨……?」  はっとしてクレイドが空を見上げる。リオンもつられて上を見上げると、ぱらぱらと雨粒が落ちてくるのが見えた。  あっという間に数滴の雨粒は土砂降りの雨に変わる。クレイドは急いで自分のマントでリオンの身体をくるむと、馬の脇腹を蹴った。 「近くの村まで急ぎます。掴まっていてください」  クレイドはそう言うと、あとは無言で馬を走らせたのだった。

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