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第13話①
リオンは自室の長椅子に腰かけ、ぼんやりと窓の外を見つめていた。
春らしい空に浮かんだ細長い雲が桃色に染まっている。陽が暮れ始め、少しずつ部屋の中は薄暗くなり始めていた。
王宮の慌ただしい足音や人々の声が途切れなく部屋まで聞こえてくるが、それらの音もはるか遠くから聞こえてくるように感じる。
(……あれから五日か……)
クレイドがヴァルハルトに発ってから、リオンは空気の抜けた風船のようになってしまった。唯一の仕事である薬草園の手入れにも身が入らない。最後にクレイドに会ったときのことを思い出すと、どうしようもなく気が塞いでしまうのだ。
あのとき――リオンはクレイドに『好きだ』と気持ちを伝えたが、クレイドは拒否するように目を逸らした。そして『あなたの気持ちには応えられない』とはっきり言ったのだ。
「やっぱり……迷惑だったのかな」
クレイドは、リオンに対して特別な好意はないということなのだろうか。でもそれなら何故キスなんてしたのだろう。生真面目な彼のことだから、遊びや冗談でそんなことをするとは思えない。
(わからない……わからないよ、クレイド)
リオンは項垂れ、クレイドに貸してもらった十字架にそっと触れる。
出発した日数を考えると、おそらく昨日にはヴァルハルトの首都に着いているはずだ。あちらの国ではどんな扱いを受けているのだろう。無事なのだろうか。
有事の際には早馬で王宮まで報せが来る手はずになっているようだし、いまのところ何も報せは届いていないと聞いている。だが不安が無くなることはない。
もしクレイドに何かあったら――そう思うと胸が詰まって、食事もろくに喉を通らなくなってしまう。
とんとん、と扉が軽く叩かれる音が聞こえてきた。
「リオン? ちょっといいかな?」
続いて扉越しにオースティンの穏やかな声が聞こえ、リオンは長椅子から立ち上がった。扉を開けると、執務服を着たオースティンが立っている。
クレイドがヴァルハルトに行ってしまってから、オースティンはこうして日に一度はリオンの顔を見に来てくれるようになっていた。
きっと護衛の兵から、リオンの様子がおかしいと報告を受けているのだろう。忙しい執務の合間をぬっての訪問なので、少し話をするとすぐに帰ってしまうが、リオンにとっては不安が薄まる大事な時間だった。
オースティンは入り口に立ったまま、リオンの顔を見て小首を傾げる。
「やあリオン、調子はどうだい? 元気? ……ではなさそうかな?」
「こんにちは、オースティン。ええと……はい」
オースティンに苦笑されて、リオンはあいまいに頷きを返した。
「すみません……僕やっぱり、クレイドのことが心配で……」
「気持ちはわかるよ。だけど自分のことを疎かにするのはいけないな。あまり食事を取っていないんだって?」
「……ごめんなさい」
リオンは申し訳ない気持ちで顔を伏せた。何も出来ない上に、多忙なオースティンに心配をかけてしまうなんて情けなかった。
だがオースティンはリオンの頭を撫で、優しい声で言ってくれた。
「謝るのはこちらの方だよ。ずっとリオンをひとりにしてごめんね。久しぶりに時間が取れるから、今日一緒に晩餐をどうかなと思って誘いに来たんだ」
「晩餐、ですか?」
リオンはいつも食事は自室で取っていて、大人数での晩餐会は経験がなかった。自分のような人間が参加してもいいのだろうか……とすっかり気後れしていると、オースティンがはははと笑った。
「リオンが想像しているような大層なものじゃないよ。僕の部屋で、二人で話でもしながら夕食をとらない? 少しは気が紛れるだろう?」
「オースティン……」
ずっと独りで不安を抱えていたので、オースティンとゆっくり話を出来ることは嬉しい。リオンは「はい」と頷き、安堵の笑みをオースティンに向けた。
◇
早々と湯あみを済ませ陽もすっかり落ちたころ、エルが部屋まで迎えに来た。
「エル……」
エルの顔を見たリオンは、つい顔が強張ってしまった。エルに会うのは久しぶりだった。ヴァルハルトの国境から騎士たちが戻ってきたとき以来だ。
厳しい言葉を散々掛けられたときのことを思い出し、気まずい思いで黙り込んだリオンだったが、エルは無表情に「陛下がお待ちです」と促してくる。
あいかわらず冷ややかな態度だ。さすがに少しむっとしたが、リオンはオースティンの自室の場所を知らない。黙って付いていくしかなさそうだ。
リオンは仕方なく「うん……」と頷き、エルのあとに続いた。
王の自室は王宮の一番奥にあるようだ。いくつもの階段を登ったり下りたりして、気が遠くなるほどに長い廊下を歩く。
ようやく豪奢な彫刻が彫られた大きな扉の前に付いた。扉の両脇には警備の兵が控えている。
「陛下、リオン様がいらっしゃいました」
重厚な扉に向かってエルが声をかけ、ゆっくりと扉を開く。
部屋は広く、調度も装飾も絢爛な美しさだった。部屋の真ん中に置かれた大きなテーブルの上には明かりのともった燭台が等間隔で並び、その中央には色とりどりの花が活けられている。
ゆったりとした服装に着替えたオースティンが出迎えてくれた。
「こんばんは、リオン。よく来てくれたね。さあ座って」
「あ、ありがとうございます」
緊張しながらも豪華な装飾の付いた椅子に座ると、エルが食事の準備を始めた。
(エルが給仕してくれるのかな……)
リオンは意外に思いながら部屋の中を見回した。
普段だったら付いているはずの給仕係は不在で、部屋付きの侍従の姿もない。この部屋の中にいるのはリオンたち三人だけだ。
エルはオースティンの食前酒の杯にワインを注ぎ、リオンの方には小さなガラス盃を置いた。盃にはとろっとした琥珀色の液体がなみなみと注がれている。
「滋養にいいとされる薬膳酒です。疲れが取れます」とエルが小さな声で説明を付け加えた。
「それでは麗しの『ブルーメ殿』に」
ワインを掲げ、オースティンが仰々しく言う。リオンもオースティンを真似してガラス盃を掲げた。
「いただきます」
薬膳酒を一口飲んでみたが、驚くほどの甘さと妙な香りに噎せそうになった。
(ちょっと苦手な味だな……)
そう思ったが、エルがじっとリオンの様子をうかがっているし、出された手前残すことも出来ない。リオンは半ば無理やり一気に飲み干した。
無事に食前酒を飲み干したリオンの前に、食事の皿が次々と置かれる。
「わ……美味しそう」
野菜や香草と煮た骨付きの肉、乳白色のソースが絡んだ川魚のムニエル。パンの皿にはとろっと柔らかそうなチーズが添えてある。
「懐かしいな。こういうチーズがって、ノルツブルクにもあったんですね」
この国にあるチーズはどれも石のように硬い固形のもので、やわらかいチーズは食事に出てきたことはなかった。
故郷で食べていたチーズに似ているな、と思いながらリオンがそう言うと、オースティンは「リオンの故郷の方から取り寄せた」と笑う。
「え? 取り寄せたんですが? わざわざ?」
「うん。リオンの故郷の国の料理を模してみたんだよ。懐かしいでしょう? さあ、食べてみて」
促され、さっそくパンをちぎってチーズに絡めて食べる。
「美味しい……!」
「良かった。他の料理も食べてみて」
「はい!」
リオンは感無量で料理を頬張った。チーズも他の肉料理も、どこか懐かしい味がする。全然食欲がなかったはずなのに、自然とフォークを持つ手が進んだ。
「食欲が出たみたいで良かったよ」
食事をするリオンを眺めながら、オースティンが嬉しそうに言った。
オースティンは多忙な執務の傍らで、リオンのためにこの晩餐を用意してくれていたのだ。その気持ちがとても嬉しかった。
「オースティン、本当にありがとうございます。ここまで気遣ってもらって、申し訳ないくらいです」
「気遣うのは当然だよ。……僕にとって、リオンは特別な存在だから」
(え……?)
その言葉に妙なニュアンスを感じてリオンはふと手を止めた。顔を上げると、オースティンは決意を込めた目で真っすぐにリオンを見ていた。
「リオン」
静かに名前を呼ばれた。その声音にドキッとする。
「今晩ここに君を招いたのは、大事な話をしたかったからだ」
「は、はい」
オースティンの言葉に、リオンは姿勢を正した。オースティンが静かに口を開く。
「――僕の|番《つがい》に……なってはくれないか?」
その言葉が耳に届いた瞬間、リオンは思わず息を呑んだ。
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