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第15話

 あたたかな午後の日差しを背中に受けながら、今日もリオンは王宮奥の薬草園の畑の前に座り込んでいた。  肥料を混ぜ込んで柔らかくして置いた土に、芽吹いたばかりの薬草の小さな苗を移し変えていく。穏やかな風に髪の毛を揺らされ、リオンははあとため息をついて空を見上げた。  オースティンからノルツブルクの国の事情を聞いてから三日。自分はいったいどうすればいいのかわからず、リオンは悩み続けていた。    ブルーメとして自分に期待されている役割は理解した。震えてしまうくらいに責任が重いとても重要な役割で、強要されないのはただ単にオースティンが優しいからだ。リオンはノルツブルクの国民だし、他国からこの国に受け入れてもらった事情も含めれば、有無を言わず番になるべきなのだろう。 (でも――僕が好きなのはクレイドだ……。出会った時からクレイドにはそんな気がないのはわかっているけど……)  そう思うと途端に心の中が暗くなる。  『あなたの気持ちには応えられない』とクレイドに言われた夜から十日も経っている。あのときは混乱していてどういう意味かわからなかったが、十分な時間が過ぎて冷静になった今ではきちんと理解しているつもりだ。それなのにまだ、クレイドのことを諦められない自分がいる。 明日にはクレイドが帰ってくる。それまでに心を決めなくてはならない――。 「リオン様」  急に背後から声がかかり、リオンは驚いて振り返った。  薬草園の入り口には、王宮の侍医ドニが立っている。意外なお客さんにリオンは目を見開いた。 「調子はどうですか?」 「あっ……、ええ、おかげさまでだいぶ元気になりました」 「顔色は悪くありませんね。ふむ、よかった」  すぐ側まで歩み寄ってきたドニは、リオンの手元の苗に視線を落とした。 「おお、オルフェン草ですか。よく育っていますね。この種類は水加減が難しいのですが、うまくやっている」 「ありがとうございます。あの……ドニさんは薬草に詳しいんですか?」 「まあ、ほんの少しだけですけどね」  おどけるように言ったあとでドニは小さく目を細めた。 「実は昔、この薬草園を開墾するのを、私も手伝ったことがあるんですよ」 「……え」 「ついでにもう一つ。僕、あなたの母上のことも知っていますよ。実は一緒にこの薬草園を耕した仲です」 「えっ!」  今度は大声を出してしまった。だって母親と一緒にこの薬草園を耕したなんて。 「あはは、その驚いた顔、あなたの母上とそっくりですねぇ。懐かしいな。この薬草園でよく話したものです。カイラン様も交えて、三人で薬草の世話をしていましたから」 「カイラン様?」  どこかで聞いたことがある名前に、リオンは首を傾げた。 「ええ、オースティン陛下の叔父君にあたる方です。カイラン様は薬草についてすごーく詳しくてね。この場所を薬草園にしようと耕し始めたのも彼ですよ。カイラン様から『王宮の中に薬草園を作りたい』と相談は受けていましたが、こんな石だらけの固い土の場所では無理だと再三申し上げていたのですが、彼は諦めなくてね。そんな一生懸命な姿を見ていたらついつい手助けをしたくなってきてしまった。で、そこにあなたの母上も手伝いにやってくるようになったというわけです」 「そう、なんですか……」  初めて聞く話だった。もしかして母親は、そのカイランという王族の人に薬草の知識を授けてもらったのだろうか。 「ああー思い出すなあ。とても楽しかったですよ、カイラン様とあなたの母上と僕の三人で、泥だらけになりながら土を掘り起こしてレンガを敷き詰めたものだ」  しみじみと語られるドニの話を聞いた途端、ふっと脳裏に蘇ってくるものがあった。前に暮らしていた村で、母親といっしょに薬草園の世話していたときの記憶だ。  母は土いじりが大好きだった。愛おしむように土を触る横顔や、リオンの頬に付いた泥を擦り落としてくれた優しい指先の感触。その笑顔を思い出し、リオンは切なさと悲しさに項垂れた。  母親が恋しかった。話を聞いてもらって、「どうしたらいいのかわからない」と子供のように泣いて抱きつきたかった。でもここに母親はいない。 「おやおや、どうしたのですか?」  ドニはそっと手を伸ばしリオンの頭を撫でてくれる。その優しい仕草に、堪えていたものが決壊しそうになる。懸命にこらえていると、ドニが震える背中をとんとんと叩いてくれた。その手つきがまた母親を思い起こさせ、気が付くとリオンは弱音をぽつりと口にしていた。 「……僕、どうしていいか……わからなくて」  あいまいな言葉でも、ドニにはすぐに意味が分かったようだ。ああ、と頷く。 「オースティン陛下の番になるかどうかの話ですね?」 「はい……」  リオンは頷き、視線を落とした。  正直に言うと、オースティンに聞いた話は重たすぎて、その責任に押しつぶされそうだった。自分の決定に国の存亡がかかっていると言っても過言ではないのだ。 「う~ん、そうですねえ。いち国民としては是非にでも番になっていただきたいところですが……リオン様は陛下のことがお嫌いですか?」 「い、いいえ……そんなことは」  オースティンのことは好きだ。特別な意味での好意はないが人間としても尊敬している。だからこそ彼を拒むことが出来ない。 「ですよね。陛下はかなりいい男ですしねえ。それなら番になればいいのでは? オースティン陛下ならあなたを大事にしてくれると思いますよ」  それに反論はない。確かにオースティンなら大事にしてくれるだろうし、全力で自分を守ってくれるだろう。 「だけど……」 「だけど、なんです!?」 「……え」 「なぜ駄目なんですか!?」 「えっ」  ずいずいっとドニが身を乗り出してくる。その勢いに押されるようについ本心が口から出てしまった。 「ぼ、僕は……し、慕っている人が、いて……っ」  リオンの言葉に、ドニは「ああ!」と大きな声を上げた。 「わかりました! クレイド隊長のことですね!?」 「ええっ!? ――あっ、痛っ」  ずばり言い当てられ、リオンは驚きのあまり後ろに尻もちをついてしまった。下は柔らかい土なのでそれほど痛みはなかったが、ドニが慌てたようにリオンは手を掴んで起こしてくれる。 「大丈夫ですか、リオン様」 「あ、ありがとうございます……っていうか、今……なんて……?」 「え? リオン様がクレイド隊長のことを好きだという話ですか?」  けろっとドニに言われ、リオンは赤面して首を振った。 「違いますっ……!」 「え、違うのですか?」  きょとんとドニが首を傾げる。『あら残念』と言わんばかりの表情にふっと気が抜けてしまった。ここ数日ずっと気が張った状態だったので、一度空気が抜けてしまうともう駄目だった。もういいか、という気持ちになり、リオンは頷いた。 「違いません……」 「ああ、やっぱりそうですか」  ドニは楽しそうに膝を打ったが、黙ったままのリオンに気が付いて、小首を傾げた。 「リオン様はクレイド隊長のことが好きなんですよね? それなら答えは出ているはずでは? 悩む必要ありませんよね」 「いえ……クレイドには……振られているので……。『あなたの気持ちには応えられない』って……はっきり言われてるんです」 「あらら、そうでしたか」 「それに……僕がオースティンの番にならなかったら、この国は困ったことになりますよね?」 「うーん、まあそれもそうですけども……」  ドニが困ったようにぽりぽりと頭を掻く。それきり薬草園には静かな沈黙が落ちた。 「えーっと、あのですね、リオン様」 「はい」 「物事に絶対的な正解はないと思います」  真面目な言葉に、リオンは驚いて顔を上げた。 「人には必ず本音と建前というものがあるんです。そのうえで『本音ではないけど言えないこと』、というものもある」 「な、なるほど……」 「ですから、人の言葉を基準に物事を決めると他人のことを恨んだり、のちのち自分が後悔したりすることになるんです。他人はあなたの人生の責任は取ってくれないですよ」  ドニの言葉はどれも、今までまともな人間関係を構築してきていないリオンにはよくわからなかったが、心の真ん中にどしんとくるものがあった。  固唾をのんで聞き入るリオンを見ながら、ドニが続ける。 「それも含めてどうすればいいかと言うと、やっぱり出来るだけ自分の心に沿うように選ぶしかない。それが一番自然で一番確かで良い道です」 「……僕の心に沿うように……選んで……いいのですか?」 「ええ、ええ、もちろん! どんな選択をしても大丈夫だと、この僕が太鼓判を押しましょう」 「ドニさん……」 リオンはまじまじとドニの顔を見つめた。  今までドニのことは『何を考えているのかよくわからない年齢不詳の人』という印象が強かった。でも今正面から微笑みかけてくる彼は、懐が深い大人に見えた。 「まあ今の僕に言えるのは、それくらいまでですかね」  目を見開いているリオンににっと笑いかけると、ドニはさっと立ち上がった。「それではまた」とあっさりとした挨拶を残してひょいひょい歩いて薬草園を去っていく。リオンはただ黙って鳥の巣のようにくるくると渦をまく金髪と猫背気味の背中を見送った。 (誰のためでもなく、自分自身のために、か――)  リオンはしゃがみ込んだままで深く息を吸った。  そして心に問いかける――本当は、どうしたいのか。  目を閉じると、浮かぶのは一人の姿だけだった。  どんなに拒まれても、どんなに苦しくても。 「……僕は……やっぱり、クレイドが好きだ」  クレイドが不在の今、残されたものをかき集めて組み立てようとしてもそれ以上の答えは出ない。クレイドが帰ってきたら、彼の気持ちを聞こう。きちんと向き合おう。それが今の自分に出せる、精いっぱいの答えだ。  気持ちが定まり心が軽くなる。ようし、と手についた土を払い、他の苗も植えようと弾みをつけて立ち上がった。 (……ん? あれ?)  王宮の方がざわざわと騒がしいのに気が付いた。歓声のようなものも聞こえてくる。何かあったのだろうか。  不思議に思ったリオンは、早足で王宮の広場の方に向かった。  王城の門を入ってきたのは、ノルツブルクの旗を掲げた大きな馬車と、それに寄り添う騎馬隊だった。 「――あ――」  遠目でもわかる。一番前の馬に乗っているのは、隊服に身を包んだクレイドだった。 (クレイドが帰ってきた――! 無事に帰ってきた……!)  リオンは駆けだした。

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