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-律人-ビルマの5日間①

——1944年、夏。 東南アジア特有の濃密な空気と腐臭が肌にまとわりつく。 昼間にはうなるような灼熱、夜は湿った闇が、兵たちの皮膚と肺を容赦なく侵した。 ここはビルマ。敵よりも、病と飢えが命を奪う戦場だった。 今から2年前、ビルマを占拠した日本軍は、ここをインド方面への拠点とした。 春木律人は、ビルマ戦線に送り込まれてきた日本兵の一人だった。 家族と離れ、縁もゆかりもない外国の地で二年間を過ごしてきた律人。 その二年間で大勢の仲間が死んでいく瞬間を目にした。 敵の銃弾に倒れた者も少なくないが、ジャングルという過酷な土地で 熱帯気候の暑さと、マラリアや赤痢などの蔓延に苦しめられながら死んでいった者も数多くいた。 そして現在、補給路が立たれたこの日本兵駐屯地は、まさに地獄絵図だった。 「甘いもん……食いてえな……」 仲間の死体のすぐ横に寝転びながら、律人はぽつりと呟いた。 二年間、過酷な日々を過ごすうちに家族の顔がだんだんと薄れていく今日この頃。 その一方で、日本にいるときに食べた美味しいものの味は今でも鮮明に思い出せる。 唯一の気晴らしだった食事がままならなくなり、いよいよ律人は肉体的にも精神的にも限界を迎えつつあった。 そんなある日—— パアァーン!と、けたたましい音が鳴り響いた。 銃声ではない。 何事かと律人が飛び起きると、遠くに大勢の兵達が固まっている姿が目に入った。 パパァー、パパァーンと地鳴りのように響いてくるのはトランペットの音色だった。 本物の楽器を見たことはないけれど、音楽の授業で楽器のことは習っていた律人。 トランペットやクラリネット、太鼓の音が駐屯地中に響くように派手に鳴っており、それを誰も止めようとしないのを見た律人は、数日前に上官が言っていたことを思い出した。 『陸軍戸山学校の軍楽隊が、日本帝国より遥か遠くの地で戦う我々を労うために近く派遣されてくる』 軍楽隊とは戦地で兵士の士気を上げるため吹奏楽器や太鼓などで音楽を演奏する集団で、 軍校として名高い東京の戸山学校といえば、軍楽隊の総本山とも称されるエリート校であった。 そんなエリート吹奏楽集団が、過酷な環境で日々戦っているビルマ戦線の駐屯兵たちを励まし、勇気づけるために派遣されてくるという話を確かに聞いた覚えがある。 音楽は明るく、景気のいい行進曲だった。 だがその旋律は、まるで地獄に舞い降りた天使の笑顔のようで……律人の耳には、ただただ不気味だった。 死者の横で、音楽が鳴っている。 骨の浮いた仲間たちが、骨の髄まで乾ききった手で、わずかに拍手を送っている。 何が慰問だ、何が士気高揚だ。 音楽で腹が満たされるか。 音楽で戦争が終わるのか。 阿呆なのか——と。

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