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-律人-ビルマの5日間⑦
部隊長が睨み付けると、弓弦はそれに臆することなく告げた。
「彼の行いは咎めるべきことではあるかもしれませんが、一度の過ちで厳罰に処することには異議申し立てをします」
「この者を咎めたところで、この者が食い尽くした食糧が戻ってくるわけではない。
罪を償うことが出来ぬならば、死んで誠意を見せるのが兵たるものだと思うが?」
「人ひとりであっても、貴重な戦力には変わりありません。
誠意のために切腹させるくらいならば、戦線で少しでも多くの功績を上げるよう努めさせる方が、より御国のためになると考えます」
『御国のため』
その言葉に、部隊長はうっと喉を詰まらせた。
「それから、失われた分の足しになるかわかりませんが、僕の分の食事を皆さんに分配するのでは駄目でしょうか」
弓弦の提案に、再び周囲がざわめいた。
そんなことをすれば、弓弦が飢えてしまうことは明らかである。
そうだというのに、それをわかっていながら、見ず知らずの男のためになぜそのようなことを提案できるのだろうか。
律人は弓弦の自己犠牲の精神が理解できなかった。
「それでいかがですか」
「……ふん」
部隊長は、苛立たしげに鼻を鳴らした。
「そうしたいのは山々だが、それでお前が飢え死にでもすれば、学校から糾弾されるのは私だからな。
私の部隊の処遇は私が決められるが、他所の預かりであるお前に害が及んでは私に追及が来てしまう。
——お前、それを分かっていて提案しているな?」
「そのようなつもりはありません」
弓弦はかぶりを振って言った。
「ただ、不要に血が流れるのは耐え難く、僭越ながら申し上げている限りです」
「……まあいい。
この男は減給処分とし、切腹は取り止めとする。
お前の食糧を分配することはない」
部隊長は、うずくまって泣いている男にもう一度蹴りを入れた。
「減給とした上で、有事の際には仲間のために精一杯命を張ってもらう。
覚悟をしておくんだな」
「……はい。大変申し訳ございませんでした……」
男は解放され、周囲にできていた人だかりも少しずつ捌けていった。
「——秋庭!」
部隊長が去った後、律人は弓弦の後ろ姿を追いかけて行った。
「!……ああ、春木さん」
「さっき、見ていたぞ。アンタ一体何がしたいんだ」
「あの人が切腹させられるのを防ぎたかっただけですよ」
「それにしたって、自分の食糧を分け与えるなんてこと——そこまでして異議申し立てをすることはなかろうに!」
すると弓弦は唇の端を上げた。
「軍楽隊がビルマに滞在するのは、ほんの五日程度です。
もうあと数日の間食べなくたって、死ぬことはないでしょう」
「っ……でも……」
「それに、僕は皆さんと違って三日前まで日本で暮らしていた。
皆さんが長らく食糧難に苦しんでいる中、このようなことを言うのは不躾かもしれないけれど、日本ではちゃんと食べていましたから」
弓弦はそう言うと、徐に軍服の裾を捲り上げた。
律人はぎょっとしつつも、弓弦の方を凝視した。
「ほら——この通り、身体に肉も付いているので、そう簡単には飢えませんよ」
そう言いながら見せて来た弓弦の腹には、余分な肉など一切ついていなかった。
確かに、がりがりに痩せ細った駐屯兵たちに比べれば、健康的な身体であるようには感じるが——
「……分かったから、しまえよ」
律人は手の甲で目元を覆いながら言った。
なぜだかわからない。
宿舎で仲間達の裸は嫌と言うほど目にしているのに、弓弦の白く透き通った肌は、何か見てはいけないものを見せられているような気持ちを掻き立ててきたのだ。
弓弦が大人しく裾を整えると、律人はぽつりと呟いた。
「さっきも、今も……案外大胆なことをする性格なんだな、アンタ」
「そうでしょうか?」
「少なくとも、物腰の柔らかさからは予想出来なかった。
——でも思えば、あんな暗い森の中に一人で入って行って、楽器を演奏してしまうくらいだから、元から大胆だったか」
それを聞いた弓弦は「ふふ」と笑った。
少し照れたような笑みが、無垢な少年のようで、どこか愛くるしさを思わせた。
二人はその後、それぞれの持ち場に行くためすぐに別れた。
その晩、点呼の時間を終えた後、律人はこっそりと宿舎を出た。
さすがに二日連続で食糧を譲るのは自分の身体が保たなかったため、
本来禁止されているが、夜の点呼を終え、就寝時間となった後に抜け出して来たのだ。
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