12 / 200
-律人-ビルマの5日間⑩
翌日——
「おい。昨日も夜遅くまでどこ行ってたんだよ」
布団の中でいつもより遅い時間まで寝ていた律人が目を覚ますと、二度点呼を代わってもらった兵——高田がそう尋ねてきた。
「散歩だよ」
「夜中抜け出してまで、か?」
「悪いか?」
「散歩はともかく、就寝時間に抜け出すのは規律違反だろ」
「でも、切腹モノの違反ではないよな」
「そうかもしれないけどよぉ」
高田は朝の身支度を終えた後も執拗に絡んできた。
「別に抜け出したことをとやかく言うつもりはないんだけどよ。
純粋に気になるから教えてくれよ。
こんななんの変哲もない木々に囲まれた森の中を、視界の悪い夜中に出歩きたくなるほど散歩したいか?
——本当は何か別の目的があるんじゃないのか」
「別の目的、って?」
律人が平静を装って尋ねると、高田はこう言った。
「例えば——夜這いとか」
「!」
「いや、冗談だよ!
そりゃあ男色家も中にはいるだろうけどさ、お前は日本に奥さんがいる身だもんな」
妻が兄と再婚したということは周囲には話していなかった律人。
その方が変に詮索されたりなど、ややこしいことにならないと思ったからだ。
「夜這いなんかするわけないだろ」
「まーな。でもここじゃ食欲も満たせない、賭け事もできない、娯楽なしの毎日だ。
おまけに死と隣り合わせの暮らしだと、ヒトは本能的に子孫を残さなければという意識が働いて、性の欲求が高まるらしいぜ。
となると、この際男同士でもいいからって欲を満たそうとする輩がちらほら居ると噂に聞いている」
「あくまでも噂なんだろう?
それから、俺は見境なく襲ったりもしない」
律人はそう断言したものの、昨日の日中、弓弦が不意に服を捲り上げた時には邪な気持ちが僅かに高まりはした。
気のせいだと思い込もうとしたが、一晩寝た後も、弓弦の白い肌が目に焼き付いて離れなかった。
なんてことだ。
散々男の裸なんて見慣れていたのに、なぜだか弓弦の——それも腹を見た程度で、こうも脳裏にこびりつくとは。
律人は日中の間ずっと、己の中に沸いてきた煩悩を捨て去ろうと目の前の作業に集中した。
夜になると、律人は再び布団から体を起こした。
隣の高田はいびきをかいて眠っている。
それを確認した後、律人は森の中へ入って行った。
森の奥深くで、弓弦は待っていた。
これまでの三日間と同じように、バイオリンを弾きながら。
まるで自分の居場所を律人に教えてくれているようにも錯覚したが、
あくまでも家族との日々を思い出しながら弾いているだけなのだと思い直した。
「——弓弦」
律人はバイオリンの演奏が終わると、弓弦に呼びかけた。
「バイオリン——俺でも弾くことってできるのか?」
弓弦は目を数度瞬かせたあと、にっこりと微笑んで言った。
「触ってみます?」
弓弦はバイオリンの弓を律人に渡すと、持ち方を教えてくれた。
「持ち方はこうで——手首のしなりをきかせながら4本の弦の上を滑らせます。
弦に当てる時の力が適切でないと音が出ないから、まずはその感覚を掴むところからかな」
弓弦言われた通り、バイオリンの胴体を肩に乗せ、顎で押さえると
左の指はまだ弦に触らず、弓を持つ右手を弦に添えた。
グギギ、と、何とも嫌な音が響く。
律人が思わず顔を顰めると、弓弦はくすりと笑いながら律人の後ろに回り、そのまま背後から右手を律人の手の上に重ねた。
「これくらいの強さで引いてみて」
弓弦が律人の手を持ったまま、すうっと弓を下に引いた。
すると澄んだ音が響き、律人は思わず「おお」と感嘆の声を漏らした。
その後何度か自分一人で弓を引いているうちに、弓弦と同じような音を鳴らせるようになってきた。
「次は反対に、弓を下から上に引き上げてみて。
強さは上から下の時と同じくらいに。
でも、力の加減がさっきよりも難しいので気をつけてください」
律人が言われた通り下の方から弓を上げていくと、また聞き心地の悪い、ギリリという音が鳴った。
「さっきより難しいな…」
「どうしても力が入り過ぎてしまいますからね。初めはみんなこんなものです」
弓弦は微笑みながら、再び律人の手を取って弓を動かしてみせた。
ともだちにシェアしよう!

