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-ガク-コンサートマスター⑥

ガクは、スポットライトの真下、一人だけ立っている人物を一目見て気付いた。 黒のタキシードジャケットと蝶ネクタイに、白のドレスシャツ。 黒の革靴は光を浴びて艶やかに輝いている。 そんなドレッシーな姿を最大限に引き出すかのような、見惚れるほど長い手足と、そして涼やかに整った顔。 これまで見て来たイオリは、ゆるくウェーブのかかった柔らかい髪を無造作に降ろしていたが、 今日の髪型はしっかり撫で付けてセットされており、それもまたよく似合っていた。 「わ。すごいかっこいい」 「あの人がコンマスだよね」 隣の席に座っていた女性二人組が、そんなことをこそっと囁き合っていた。 イオリは静かにバイオリンを構えると、一番端の弦の上に弓を乗せた。 会場中に響き渡る、優しく澄んだ音色。 先程までの囁き声や、服のこすれる音などは全て立ち消え、 一本のバイオリンを除き、その場は静寂に包まれた。 誰もが目と耳を一点に奪われ、繊細な音に聴き入った。 それから暫く旋律が進むと、やがてチェロのソリストが加わり、バイオリンの音は色を変えた。 先程までの透明で柔らかな音から、力強く存在感のある音に変わり、本当に同じ楽器を奏で続けているのかと疑ってしまいそうになるほど、イオリのバイオリンは表情を変化させた。 やがてピアノやファーストバイオリン、セカンドバイオリンが合流し、音楽は一気に華やかさを増す。 そこにコントラバスの重厚な音が入ると、いよいよオーケストラの迫力は最高潮に達した。 ガクは唯々、その勢いと華やかさに圧倒され、我を忘れた。 自分の知らなかった世界。 身体中から勝手に震えが沸き起こり、自然に涙が滲む。 この曲の背景も何も知らないのに、醸し出される旋律から異国の風景が鮮烈に浮かんでくる。 自分が今、東京のコンサートホールにいることを忘れてしまうかのような浮遊感。 音楽には、こんな力があったのか。 ——演奏が終盤に差し掛かると、再びイオリは椅子から腰を上げ、指揮者とアイコンタクトをとった。 先程までの、耳が痺れるような音の重なりが一瞬で静寂を取り戻し、再び一本のバイオリンの音色がその場の空気を満たしていく。 圧巻だった。 これがCDの音源やDTMで打ち込まれたものではなく生身の人間、それも目の前に立っているイオリの身体から発信されている音なのだと思うと、 ガクは目の前に神様を見ているかのような感動を覚えた。 そして音が止んだとき、ガクは確信した。 ここまでの音楽を奏でられるようになるまでに、どれほど血の滲むような努力をしたのだろう、と。

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