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-ガク-コンサートマスター⑧

呼び止められたガクは、イオリに連れられ、人気のないホール裏まで歩いて行った。 「あの……良かったの?周りにいた人たち……」 「あの人たちは次の演奏会にも来ると思いますので」 「そ、そう」 「でも、ガクさんは次も来てくれるか分からないじゃないですか」 イオリはそう言って立ち止まると、ガクを見た。 席から壇上を見上げていた演奏中と違い、今は目の前にイオリの顔がある。 ピシッと分けられていた前髪は、やや早足で歩いて来たせいか、少し崩れかかっていた。 「……また聴きに来てもいいの?俺」 ガクはイオリに訊ねた。 「勝手にチケット取って、勝手に観に来たから、イオリを嫌な気持ちにさせてないかと不安だった」 「なんで嫌な気持ちになると思ったんですか?」 「だって……、ずっと連絡とってなかった相手がいきなり目の前に座っているとか、キモいだろ……?」 するとイオリは、少しの沈黙の後、こう告げた。 「——実は、ここ数週間スマホを開けなかったんです」 「……そうだよな。 あれだけ凄い演奏ができるくらいだもんな、スマホ見てる余裕もないくらい追い込んで練習してたんだろうなとは思った」 「まあ、それもありますが—— 物理的に見れなかったんです。父に、スマホを没収されていたので」 ガクが目を見開く。 スマホを親に没収されていた……? 中高生ならまだ分かるけど、ハタチの成人した大学生が……? 「演奏会を前に、僕が頻繁にスマホを眺めているのを嗜められたんです。 それでスマホは没収の上、学校から帰ったら寝る時まで防音室に篭って練習する—— そんな一ヶ月を送っていたので、もしガクさんからメッセージをくれていたなら、まだ見れていないと思います。すみません」 イオリはそう言って謝った。 謝るようなことを、イオリはしていない。 「今日にはスマホを返してもらえる予定ですが、次の演奏会でもコンマスを務めることになっているので、土日も外に出してもらえる日があるか分からなくて。 また会いましょうと言ったのに、すみませ——」 イオリが言いかけた時。 ガクは衝動的にイオリの身体を抱き締めていた。 「っ……」 イオリが息を呑む音が、空気を通して伝わってくる。 「謝らないで……。 イオリにはどうしようもなかったことだろ。 俺、全然気にしてないから——」 ガクはイオリを抱き締める手に力を込めようとして、それを避けた。 バイオリン奏者の大事な腕に負荷をかけてはいけない、と。 「今日、イオリの演奏が聴けて良かった。 俺、人生でこんなに感動したの、生まれて初めてかもしれない。 ——告別式でアヴェ・マリアを聴いたときは、前世のこととか思い出して、音楽に聴き入るどころじゃなかったけれど。 イオリのバイオリンの音、本当に綺麗だった」 「バイオリンの音は、誰が弾いても同じ音です」 少しの間の後、イオリは呟くように言った。 「どれだけ練習したところで、僕が出来るのは楽器の持つポテンシャルを最大限まで引き出すこと。 感動を与えるのは楽器が放つ音であって、僕の演奏ではありません」

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