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-ガク-音楽一家①
「お待たせ……!」
ガクが清澄白河駅に着くと、やはり一際華やかなオーラを放つ人影をすぐに見つけた。
そもそもそれほど大きな駅ではないため、指定された出口に向かうと、そこに立っていたのはイオリ一人だった。
「ガクさん」
イオリはガクを見ると、ふわりとした笑みを浮かべた。
その柔らかな表情に、ガクはぐっと心を掴まれつつ、
「今日はちゃんと電車で来たから!」
と胸を叩いてみせた。
「自転車は置いて来たから、どこでも行けるよ!で、どこ行く?」
「ちょっと歩きませんか」
イオリはそう言うと、徐に歩き始めた。
「清澄白河って何があったっけ?
現代美術館に、ブルーボトルコーヒー?」
「清澄庭園に、深川江戸資料館もありますよ」
「へえー。詳しいじゃん!」
「まあ、地元なので」
イオリの言葉に、ガクが固まる。
「えっ。ええっ!?」
「……何ですか?」
「あっ、いや、そうなんだ!」
——そりゃそうだよな。
大学が上野ってだけで、住んでるわけじゃないんだよな。
実家が都内にあるとは言っていたけれど、何処かを聞いてはいなかった。
「えーじゃあ……もしかして家に連れてってくれんの?」
ガクが半ば冗談めかして言うと、イオリは少し黙り込んだあと、こくり、と頷いた。
「実は週末、海外から特別講師の先生をお呼びすることになって……。
僕も今朝父から聞いて知ったんですけど、土日はその先生とのレッスンが入るので、ガクさんと会えなくなってしまって……」
「そっか、それで今日誘ってくれたんだ」
「はい。それで……今日は両親が揃って家を空けていて。
こんなことは滅多にないので、ガクさんと家でゆっくり話せるかなって……」
イオリは少し遠慮がちにガクを見た。
「突然家に招待するのは、変でしたか……?」
「——いや。めちゃくちゃアリだと思います」
世間的にアリなのかどうかは分からないが、イオリとゆっくり会えるなら何でもよかった。
「僕も考えはしたんですよ。
交際して間もない相手を、家に招くのは倫理的にどうなのかと……。
けれど相談できる相手もいないので、とりあえずガクさんを呼び寄せてしまえば、流れでついて来てくれるかと思い」
「あれ?俺ってそんなにチョロいと思われてる……?」
「実際、二つ返事で了承してくれたじゃないですか」
「ああ、チョロかったわ、俺」
二人が並んで歩いて行くと、閑静な住宅街の中に、一際大きな邸宅が現れた。
ブルックリンスタイルとでも言うのだろうか。
異国風の外観だが、シックさがあり、綺麗めな印象のある建物。
周りをレンガ調の塀で囲っており、中庭には手入れのされた夏の花々が咲き誇っている。
童話の世界に出て来てもおかしくない、しかし地に足がついたように見えるその家の中に入ると、真っ直ぐと長い廊下が伸びていた。
その左右にいくつもの部屋の扉があり、ガクはその広さと部屋数の多さに圧倒された。
「すげえ……豪邸だな……」
「リビングはこっちです。コーヒー淹れるので座っていてください」
イオリに案内され、ふかふかとした皮のソファに腰掛けると、ほどなくしてイオリがキッチンから現れた。
綺麗な装飾のなされたカップには香りの良いコーヒーが注がれ、丁寧にソーサーとティースプーンが置かれている。
「これカップ置きって言うの?
こんなん、喫茶店でコーヒー頼んだ時しか見たことない」
「砂糖とミルク——は、いつも入れてなかったですよね」
「うん、ブラックでいいよ。ありがと!」
ガクはそう言ってカップに口をつけた。
酸味寄りの、夏にぴったりな爽やかな風味だった。
夏ではあるが、リビングは充分なほどエアコンで冷えていたため、温かいコーヒーが体に心地良い。
ガクはイオリの自宅で、イオリが淹れてくれたコーヒーを飲めることに極上の幸せを感じた。
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