63 / 200

-ガク-音楽一家②

「ご両親って、明日まで帰って来ないの?」 イオリも自分の紅茶を淹れて戻った後、一息ついたところでガクが訊ねた。 「そうなんです。 本当に珍しいことなんですが、たまたま二人とも、泊まりがけの用事が入って」 「そういえばご両親は何をしてるんだっけ」 「母は自宅でピアノ教室を開いていて——父はバイオリニストです」 「!」 あの父親も、バイオリンをやっているのか! 「親子揃ってバイオリニストだったのか。 お母さんもピアノの先生って、絵に描いたような音楽一家なんだな」 そういえば弓弦も—— 母親がピアニスト、姉がバイオリニストという音楽家系だったっけ。 弓弦は軍楽隊でクラリネットを専攻していたけれど、 亡くなったお母さんとお姉さんのことを忘れないよう、バイオリンを学んで 二人がよく演奏していたアヴェ・マリアを練習するようになったって—— 「——僕は、自分のことをバイオリニストだと思っていませんが」 イオリは少し不満そうにそう述べた。 「でも、父は正真正銘のバイオリニストです。 若い頃は日本のオーケストラに所属していたらしいですが、近年はソリストとして海外でのコンサートにも参加したりしています」 「めちゃくちゃ売れっ子じゃん」 「まあ……そうなのでしょうね。 とにかくそう言うわけで、父は公演のために家を空けることもしばしばあるのですが。 母は自宅で教室を開いていることもあって、基本的には在宅で働いています。 でも今週はたまたま、古い友人と旅行するということで三日ほど教室を休みにしています。 そして今日は、父の公演出張と母の旅行が重なり、奇跡的に家に誰もいないんです」 ガクは「なるほどなあ」と言いながらコーヒーを啜った。 うちも両親共働きだったけど、イオリの家と違って、二人とも外に働きに出ていたから 夜まで両親とも帰って来ないことはザラにあった。 でもイオリは、家には常に母親がいて、母親の教室に通ってくる生徒たちが出入りするような環境で育ってきたんだな。 「一人暮らしのガクさんが羨ましいです」 「一人暮らしも大変だけどな。 まあ、一人で好きにできるのは気楽なんだけど、なにせ貧乏だからさ」 「お金持ちの一人暮らしが一番幸福ってことですね」 「うーん……そうかもしれないけど」 ガクはコーヒーのカップを置くと、少し照れたように笑みを浮かべた。 「でも好きな人と一緒に暮らせたら、お金なんて無くてももっと幸せな気がする」 イオリは、何も言わなかった。 ガクとは意見が異なるからなのか、もしくは、それが叶わない環境にいるからなのか—— 「まあ、せっかくだし……!」 ガクは空気を変えようと、勢いよく立ち上がった。 「家の中、案内してよ!」 「……いいですよ。父の書斎と両親の寝室以外は、どこでも自由に入れるので」 逆に、家族なのに入らない部屋がある、ということにカルチャーショックを受けるガクだったが、 ともあれ邸宅の中を一緒に歩いて回ることになった。

ともだちにシェアしよう!