64 / 200
-ガク-音楽一家③
「ここは、母が生徒にピアノを教えているレッスン室です」
ガクが通されたのは広くて大きな窓のある部屋だった。
中央にはグランドピアノが一台置かれており、壁には沢山の楽譜や教本、メトロノームなどの機器が置かれていた。
「グランドピアノって高いんだろ?」
「らしいですね。このピアノの値段は分かりませんが」
「相場とかあるの?」
「グランドピアノは1000万くらいだったでしょうか……」
「ひえー。そんな高価なもん、外からやってくる生徒たちに触らせてんの?」
「それが商売なので」
ガクは震える指先で、鍵盤の上に手を近づけた。
「——押してみてもいい……?」
「どうぞ」
ポーン、と音が鳴り、ガクはびくっと身体を揺らす。
「そんなに驚きます?」
「や、なんか……高級な音がした!」
「高級な音……」
イオリは少し考えた後、こう言った。
「それで言うと、たぶん父のバイオリンの方が高価ですよ」
「ええ!?ピアノよりちっちゃいのに?」
「いつの年代に、誰が作った作品で、どんな保存状態か——価格を決める要素は色々ありますよ。
父の所有するバイオリンはこのグランドピアノと桁が一つ違うので、
演奏会のために持参する時以外は書斎の金庫に保管しているんです」
「へえぇ……」
ってことは、一億以上……
ガクは震え上がった。
「普段の練習では、もう少し安いモデルを使っています。
そっちは防音室に、ポンとケースで置いてありますよ」
「防音室とかあんの!?」
「はい、父がバイオリンを練習するための部屋として作ったそうです」
「……てか、ピアノ教室の部屋を防音にすれば良かったんじゃ……」
「ピアノの部屋は広いので、防音処理をしてもどうしても音の漏れや空気の流れが入ってしまうそうです。
消防法も厳しく決まりがあるそうで……。
防音室は狭いですよ。窓もひとつもありません」
「確かに機密性を高めるなら窓とか排気口とか、極力無い方が良いもんな。
そんな狭くて息苦しい部屋じゃ、生徒さんもレッスンしにくいよな。
——逆に言うと、ガクとお父さんは、その防音室で普段練習してるのか」
ガクが言うと、イオリは今度は防音室に案内してくれた。
家の中の一番隅にある、目立たない扉。
その先にあるのは、ぽつんと置かれた譜面台と、バイオリンのケースのみだった。
「……これしか、ないの……?」
「物を色々置けるほどのスペースがないので」
「ここでいつも練習してるんだ」
「はい」
ガクは殺風景な部屋の中をしげしげと眺めた。
窓もない、外の音も聴こえない、伽藍堂のような密室の中で
ただバイオリンの音だけと向き合う。
自分なら、ここに何時間も籠っているのは気が狂いそうだ、とガクは感じた。
ともだちにシェアしよう!

