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-ガク-音楽一家⑤

イオリの腹には、無数の傷跡があった。 最近できたと思われる生傷から、色が変色し、年季が入ったように見えるものまで。 白い肌を埋め尽くすように、大小様々な傷跡が、イオリの身体に刻まれていた。 「……っ、なん——」 なんだこれは。 なんでこんなことをするんだ。 ガクは言葉にならず、ただ口元を押さえた。 「父も母も、音楽には人一倍拘って生きて来たので、 二人の血を引く僕にも、その拘りを持って欲しいそうで。 初めてもらった誕生日プレゼントは、子ども用のバイオリンでした。 ——以来、バイオリンとは離れられない関係です。 バイオリンを触らなかった日なんて人生で数える程しかない」 イオリはそう言って、傷の痕を指でなぞった。 「誕生日プレゼントも、もらえたのは小学校に上がる前まで。 それから両親に貰ったものと言えば、消えることのない傷跡くらいでしょうか——」 ガクは、瞳孔の開いた目で傷跡を見つめた。 両親からの贈り物が、こんな悲しいものであっていいはずがない。 イオリの両親は、明らかにおかしい。 間違ってる。 狂ってる。 そんな言葉が喉元まで出かけて、ぐっと押し込まれた。 イオリも、それは理解しているみたいだ。 理解した上での現状なのだから、今までイオリにはどうしようもできなかったことなのだろう。 こんな傷だらけになるまで——イオリは耐えて来たのか、たった一人で。 ガクの頭に、弓弦の最期の姿がフラッシュバックする。 たった一人で敵兵の視察に出され、数え切れない傷だらけの姿で倒れていた弓弦。 敵兵たちに辱められ、さぞ無念な思いで死んでしまったことだろう。 イオリの身体の傷は、あの時の弓弦のものに、どこか似ている気がした。 ガクは何も言えないまま、ただ口元を抑え、しばしイオリのことを見ていた。 暫くしてイオリがシャツを下ろそうとした時、ガクはあるものに気がついた。 「っ、待って。この痕——」 「はい?」 「へその上にある、この痕って……」 その形には、どこか見覚えがあった。 「……ああ」 イオリは痕の上を手でさすりながら、こともなげに言った。 「これだけは、生まれつきの痣です」 これは……俺が——いや、春木律人がつけたものと同じだ。 弓弦と過ごした最期の夜、律人は弓弦の腹に吸い付き、痕を残した。 姿形が変わっても、自分に気づいてくれるか—— そう寂しげに微笑む弓弦に、不安を感じさせたくなくて。 どうしたらいいかもわからず、無我夢中でつけた吸引痕。 それと同じ形が、同じ場所にあるということ。 やはりイオリは、秋庭弓弦の生まれ変わりに違いなかった。 ガクは『律人』としての自分、そして今のガク自身、どちらの思いも堰を切ったように溢れ出してくるのを自覚した。 「イオリ、ごめん——」 ガクはイオリに断るや否や、その痕目がけて唇を当てた。

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