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-ガク-夏の逃避行⑤

ガクに背中を押され、アパートを出たイオリ。 ガクにとっては見慣れた近所の景色だが、イオリはきょろきょろと四方を眺めながら歩いていた。 「あ、ついでだから教えとくわ。 スーパー行く道の途中にコンビニもATMもあるから、何か必要ならこの通りを歩いていれば事足りるよ。 ちなみに俺の通ってる大学は、反対方向! キャンパスの中歩いてると、鳥人間コンテストの準備してる集団とかがいて面白いよ」 「鳥人間……?何ですかそれは」 「知らない?長寿番組のさ。 うちの大学、その番組の常連なんだよね」 「テレビをほとんど観たことがなくて……」 「そっかそっか。 イオリには教えてあげられることがいっぱいあって、なんか嬉しいな!」 ガクがにこっと笑うと、イオリも小さく微笑んだ。 控えめながらも嬉しそうな表情を見せるイオリは、たまらなく愛おしく感じる。 ここが外じゃなかったら、ぎゅってしたいところだけど—— うちに帰ってから、ハグしていいか聞いてみよっと。 ガクは浮かれた気持ちでスーパーの自動ドアを潜った。 「何食べたい?」 「……うーん」 「そういえばイオリって家で何食べてた?」 「……普段は冷凍の宅食で…… 週末だけ家事代行の人が来て、数日分の作り置きをしてくれていました」 「ご両親は料理しないの?」 「二人とも手が商売道具なので、火や包丁は使わないんです。 ——同じ理由で、僕もキッチンで何か作ることは禁じられていました」 「ああ……なるほどなあ」 ガクは少し考えた後、 「ま——やっぱ、男子ならカレーでしょ!」 と言い切った。 「男子はカレーなんですか?」 「カレー嫌いか?」 「嫌いじゃないですけど」 「んじゃ今夜はカレーだな!夏野菜カレーにしよ〜」 ガクはそう言うと、ナスやオクラ、トマトにズッキーニとひょいひょい籠に入れていく。 「夏は夏野菜が安いんだよな。 旬のものが安く買えるって、当たり前だけど有難いわ」 「そうなんですね。知らなかった」 「逆に、肉は年中高いけど。 ——よし。肉は諦めて、野菜たっぷりヘルシーカレーという方針でいこう」 ガクはそう言うと、今度はカレールゥの吟味を始めた。 「カレーのルゥって、こんなに種類があるんですね」 「な!鉄板のやつから、高級路線、エスニック、激辛とか……やっぱ需要あるんだなカレーって」 「知らなかったです」 「イオリは小学校の給食、カレーの日が楽しみじゃなかった?」 ガクが訊ねると、イオリは思い出すように視線を宙に向けた後、真顔で答えた。 「……覚えてないです。 食に興味が無かったせいだと思いますが……」 「ふうん」 ガクは棚の中からルゥを選び出すと、 「じゃあオレのカレー食べたら、これからはカレーの日が楽しみになるかもな!」 と言って笑った。 「……ガクさんって」 スーパーからの帰り道、イオリが口を開いた。 「人を喜ばせる言葉を選ぶのが、上手ですよね」 「そうかな」 「僕は口下手なので、羨ましいです」 するとガクは、横からイオリの顔を覗き込んで言った。 「俺、俺の言葉に喜んでくれてるイオリを見ると、すっごい嬉しいよ」 「っ……」 「イオリが喜んでくれるなら、俺、こんなに嬉しいことない」 「そう、なんですか……?」 「うん。だから—— 帰ったらハグしてもいいかな」

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