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-ガク-夏の逃避行⑥

アパートに戻って来ると、玄関のドアを閉めてすぐ、ガクはイオリの身体を抱き締めた。 「……イオリ」 「……はい……」 「イオリの髪——良い匂いする。 俺と同じシャンプーの匂い」 「ガクさんの家のバスルームを借りたので、それはそうですよ」 「だね。てか、『俺たちの家』って言って欲しい。 これからはイオリも暮らす家なんだから」 「!……はい」 イオリはガクの背中に、そっと腕を回した。 「んじゃあ、包丁と炒める作業は俺が担うから! イオリは野菜洗うのと、味見するの担当な!」 調理スペースに材料を出して並べると、ガクはイオリに分担を発表した。 「あの。確かに両親からは包丁と火を禁じられていましたけど——」 「とはいえいきなりは怖いじゃん? 最初は俺が作ってるのを見て、覚えた方が良くない?」 「……拝見します」 イオリは、ガクがまな板に材料を並べていくのを見守りながら言った。 「……んー」 ガクはナスを切り始めて間もなく、ふと手を止めた。 「なんか……固くない?」 「ナスですか?」 「いや、イオリが」 「?」 イオリがきょとんとすると、ガクは 「その喋り方だよ」 と指摘した。 「俺ら同い年だし、もう、ほら……付き合ってるじゃん。 そろそろ敬語を取ってくれてもいいんじゃないかなーって」 「取った方が良いですか?」 「うん!」 「……検討します」 「……ねえ、わざとビジネスライクになってない?」 ガクが苦笑いを浮かべると、イオリは真顔で「いえ」と否定した。 「昔から何かと、年上の人と接する機会が多かったからかもしれません。 敬語を使っていれば失礼がないですし、これがスタンダードなってしまっていて」 「え、もしかしてクラスメイト相手でもこうなの?」 「いえ、クラスメイトとはタメ口です」 「んじゃそのノリで俺とも接してよ」 するとイオリは考えたあと、少し眉尻を下げた。 「そうしたいですが……。 ガクさんと話す時は、もうこれが自然な感じになってしまっているんですよね」 「せめて『ガク』って呼ぶとか」 「……ガク……さん」 「丁寧だなあ」 ガクはくくっと笑った。 「イオリが自然に敬語取れるまで、気長に待ちますか」

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