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-ガク-夏の逃避行⑬
「——ッ!」
汁を啜った瞬間、優しい味噌の風味が鼻腔を抜ける。
根菜類をよく煮込んだ出汁が全身に染み渡っていくのを感じる。
「……どうです……?」
「……身体が喜んでる」
「え」
「俺の全身が、『イオリ、ありがとう』『イオリのおばあちゃん、ありがとう』って合唱してるような、そんな味がする!」
「不気味だ……」
イオリが引いている合間にも、ガクはすいとんを口に放り込んだ。
歯応えの良さともっちり感の加減が絶妙で、いくつでもつるりと喉へ流れ込んで行く。
「あ〜やばい、箸が止まらない。家庭の味だ……」
あっという間に食べ終え、二杯目をよそいに鍋へ手を伸ばすガク。
イオリは呆然とその光景を眺めていた。
「はー、食った食った!」
実に四杯おかわりを繰り返したガクは、鍋が空っぽになったところで食事を終えた。
「いっぱい作ってくれてありがとー!」
「……明日の朝の分もと思って多めに作ったんですが、もっと多くても良かったですね……」
「マジ!?ごめん、完食しちゃった」
「いえ。僕も、ガクがたくさん食べてくれて良かったって思います」
「——イオリってさ」
ガクは背中をだらりと壁にもたれ、ぽっこり膨らんだお腹を撫でながら、口元を緩ませた。
「自分ではバイオリン一色の人生って言ってるけど、実際は料理もできるし、勉強もできるし、バイオリン以外にも得意なことが沢山あるよな」
「料理は本当にレパートリー少ないですよ。
あと勉強も、得意かと言われると……」
「藝大に入る学力あるじゃん。
それにイオリがレモンティーを飲んでる理由が科学的データに基づいてのことだって話してるの聞いて、俺ちょっと感心しちゃったもん」
「そうです?」
「うん。イオリ、飲み物飲む時でも、ちゃんと考えて選んでるんだなあって……。
俺なんて、カフェでコーヒー飲んでたのは『ブラック飲める大学生ってなんかカッコいい』ってイメージがあったからだし。
ほんとは苦いの得意じゃないのにさ」
「——ふ」
イオリがくすりと笑った。
「つまり……僕の前で格好つけてブラックコーヒーを飲んでいたんですね」
「そっ!」
「一緒だ。僕もガクと会話を弾ませたくて、カフェでは紅茶の中に絞れるだけ絞ったレモンを入れてました」
「ああ、『追いレモン』してたよな。
よっぽどレモン好きなんだと思ってた」
「内心、酸っぱいなあと思いながら飲んだんですよ。
本当は酸っぱいの得意じゃないのに」
それを聞いたガクも、盛大に笑った。
「あははは、俺らやってること一緒じゃん!!」
「ふふ……っ」
そうやってひとしきり笑ったあと、どちらともなく唇を合わせた。
互いが互いのために虚勢を張っていたことのおかしさと、愛しさ。
案外似たところがあるのかもしれない——
ガクはイオリの髪に指を通しながら思った。
「——あ、そうだ」
イオリから顔を離すと、ガクは思い出したように訊ねた。
「旅行先、どこがいいか浮かんだ?」
「——星空……」
「星空?」
「星空が見えるところに、行ってみたいです」
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