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-ガク-5年後②
ガクは後輩社員からの誘いに乗り、デートに応じることにした。
あれほど女性たちからのアプローチを華麗に交わしてきたガクが
とりわけ美人でも、仕事ができるというわけでも、業務上の繋がりがあるわけでもない女性の誘いには乗ったとあって
社内ではちょっとした騒ぎになった。
だがガクの目当ては、コンサートに行くことのみだった。
コンサートが開催される日までの数日間で、ガクはネット上で探せるだけの情報を探した。
イオリは藝大を卒業した後、プロのバイオリニストとしてデビュー。
最初の数年はオーケストラ楽団にソリストとして参加したり、海外での公演に参加するなどし、日本で目立った活動はしていなかった。
少なくとも、ガクが血眼になって漁ったネットの世界に彼の名前が出てくることはなかった。
転機は半年前。
イオリは雪宮という音楽一家の次女・麗華と結婚。
雪宮家の婿養子となった。
雪宮家は由緒正しい音楽一族で、日本でもよく知られる作曲家やピアニストなどを輩出してきた名門だった。
麗華は祖父、父、母、姉がそれぞれ既に演奏家として名を挙げており、
麗華は姉と二人で『美人声楽家姉妹』としてテレビに取り上げられたり、
『天使の歌声を持つ女子大生』として学生時代から話題だった。
国立音楽大を卒業してすぐの23歳でイオリと結婚。
学生時代から何かと話題になっていた美人声楽家に射止められた相手、ということでイオリにも注目が集まり、
この度夫婦二人での単独コンサートが決まった——
というのが、ネットに書いてある情報だった。
「……結婚したんだ、イオリ……」
初めはその事実を受け止めきれず、仕事にも精が入らなかったガク。
五年も経てば、人も環境も変わるものだ。
あれだけ深く思い合い、青春を共にした相手でも、離れていた五年間というのはあまりに長い年月。
正確には、離れたくて離れたわけではなかった。
ガクはイオリと引き離された後、何度も清澄白河に行ってはイオリの家に上がろうとした。
だが部屋の窓はいつも鍵が掛けられ、そして恐らくは一階の自室をイオリが使っている形跡もなかった。
日中にも窓をのぞいた時、カーテンの隙間から見えた室内は物置に変わっていたからだ。
もちろん、正攻法で玄関のベルを鳴らし、両親に直談判しようとしたこともあったが、彼らがイオリのベルに応じることは一度もなかった。
当然ながら、スマホも通じなかった。
ある時からメッセージ自体に既読がつかなくなり、恐らくアカウントを削除したか、あるいは削除されてしまったのだろうと思った。
藝大のコンサートも、三年目からガクが出ることは無くなった。
もはや、ガクの方からイオリと接触できる手段は何ひとつ無かった。
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