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-ガク-5年後④
この席の場所、既視感があるな——
ガクはホールの中をぐるりと見渡しながら、五年前を振り返った。
あの時は、クラシックコンサート自体に行くのが初めてで、安いシャツに汚れたスニーカーを着て行って、周りの品の良さに圧倒されたっけ。
こんな身なりの俺が最前列に座るなんて申し訳ない、って感じたけれど——
今日は仕事終わりということもあって、ちゃんとしたスーツに革靴だ。
それなりにコンサート会場にも馴染めているんじゃないかと思う。
そして席から見上げたイオリの演奏は、本当に圧巻だった。
まさかあんなに自由のない空間で磨き上げられた腕前だとは、聴いている時には知らなかったから
イオリが只々人より努力を重ねた結果なのだと、前向きな気持ちでそれを体感することができた。
今日の演奏を聴いて、俺は何を思うだろう。
何を感じるだろう。
五年ぶりに会うイオリ。
あの頃より大人になったイオリ。
——結婚した、イオリ——
開演前のブザーがなり、客席の明かりが暗くなる。
隣に座る麻希が、わくわくした表情で舞台の上を見つめるなか、ガクはどんな顔でその場所を見たらいいのかがわからなかった。
暗闇の中央にスポットライトが当たる。
そこには一人の女性が立っていた。
すらりと背が高く、真っ赤なマーメイドドレスを見事に着こなした姿。
舞台映えするようなキラキラとした瞼が見開かれ、すうっと息を吸い込んだ後、
ルージュを塗った唇から放たれる、圧倒的な歌唱力。
コンサートは雪宮麗華の独唱から始まった。
その澄んだよく通る歌声に、会場中がうっとりとした空気に包まれる。
ガクは、イオリの妻である美しい彼女を、真顔で見つめるのが精一杯だった。
自分にはない華やかさ。
自分にはない音楽の才能。
自分にはない由緒正しい血統。
自分にはない性を持った、イオリの妻——
そんな麗華が、何語かさえ分からない言語で一曲を歌い終えると、会場の上手から一人の男性が歩いて来た。
髪を綺麗に撫で付け、黒いドレススーツに身を包んだ、華奢な背中——
そこに現れたのは間違いなくイオリだった。
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